シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

V シェイクスピアとジャンヌ・ダルク ―ナショナル・ヒストリーの曙― 佐藤賢一(作家)
2009年11月18日[水]

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では、実際にどういうふうにイギリス人の歴史観をシェイクスピアは左右しているのかというと、イギリス人にとっての百年戦争とはこういうことなわけです。
最初は黒太子エドワードで勝つ、ここは問題ありませんね。いったんはフランスに逆転される。ここまでは認めているようです。
問題は後半で、百年戦争の英雄というと、我々は黒太子エドワードとかジャンヌ・ダルクというのが出てくるんですけれども、イギリス人、わけてもシェイクスピア通の人たちによれば、真っ先にヘンリー五世という名前が挙がるらしいのです。というのも、シェイクスピアが『ヘンリー五世』の中で史上最高の名君として描いているからで、実際フランスを国家存亡の危機にまで追い詰めた張本人というのもイギリス王ヘンリー五世で、間違いないわけです。
もう少し具体的に話をしますと、1415年9月25日、ヘンリー五世は軍隊を率いてフランスに乗り込んで、アザンクールというところで、フランスの大軍を撃破してしまうわけです。これが決定的な勝利で、イギリスでは再びネイランズから引用しますと、“このアザンクールの戦いの後、ヘンリーがフランス王の娘であるカトリーヌ王女と結婚してほどなく戦争は終結した”というように信じられているわけです。
史実で確かめてみますと、1420年の出来事なんですね。1415年にアザンクールの戦いに勝ちまして、その5年後、1420年に勝ったほうのイギリス王ヘンリー五世と負けたほうのフランス王シャルル六世の間で和議が結ばれます。これは、トロワ条約と呼ばれる和平なんですが、この条約で合意されたのが、シャルル五世の王女、娘であるカトリーヌ王女とヘンリー五世が縁組みをする、結婚することです。それと一緒に皇太子シャルル、のちのフランス王シャルル七世ですけど、皇太子シャルルのほうは廃嫡にされるというわけですね。つまりフランス王シャルル六世は娘婿ヘンリーこそ自分の後継者であり、自分の死後にフランスの王位を継ぐべきであると承認したわけです。ヘンリー五世にとってみれば、これで英仏2つの王冠をかぶれる、いわゆる英仏二重王国構想が浮かび上がってきた出来事だったわけです。こうした歴史を捉えて、シェイクスピアは『ヘンリー五世』の中で、新郎新婦が揃う結婚の場面で、カトリーヌ王女の母親であるフランス王妃に言わせています。
ちょっと引用してみます。
 すべての結婚の良き結び手であられる神が、
 二人の心を一つに、二人の領土も一つに結びたもうたように!
 夫と妻は、からだは二つでも、愛する心は一つです、
 あなたがたの二つの王国もこの夫婦のようでありますように。
 そして祝福された結婚の床をしばしば脅かす
 悪意の干渉や恐ろしい疑惑が、固く結ばれた
 両国の間に入り込み、一心同体であるべき
 友愛の絆を断ち切ることなどけっしてありませんように。
 イギリス人はフランス人として、フランス人はイギリス人として、
 睦みあいますように」
こういうような結びでシェイクスピアは、歴史を描き出すわけですね。みなさん聴いていただいてわかるように、なかなか感動的ですし、悪くない結末といえば結末なわけです。ですから、イギリス人はこれで百年戦争を終わらせたというふうに信じこんでしまう。信じこませる、ある種の病気が、シェイクスピア症候群だというふうにいうわけです。
イギリスは、フランスに勝った。フランスを併合して、イギリス王は2つの王冠をかぶったんだと。めでたしめでたしということで、イギリス人にとっての百年戦争は終わる。
つまりフランスで言われていること、あるいは日本で言われているように115年間の百年戦争ではなくて、1420年に終結してしまう82年間の約100年戦争がイギリス人にとっての百年戦争だということなんですね。
しかし、そうだとすれば、フランスの逆転というものはどうなってしまうのか。あるいはジャンヌ・ダルクという人はどういう扱いになるのか。これほどの有名人をイギリス人は知らないと言うのか。そういった数々の疑問が浮かんでくることも確かです。もちろん、イギリス人はジャンヌ・ダルクを知らないわけではない。というのも、誰より先に、シェイクスピアが忘れずに書いているからです。このヘンリー五世に続く息子の時代を書いたヘンリー六世、今まさにこの舞台で上演されている『ヘンリー六世』のなかに描いているわけですけれども、今度もヘンリー六世の史実からふまえていきますと、ヘンリー六世というのは、父親のヘンリー五世から英仏2つの王冠を確かに譲られているんですね。ところが、ジャンヌ・ダルクの登場以後は、徐々に劣勢に追い込まれて、最後はフランスからの撤退を余儀なくされてしまいました。教科書的な叙述で言うイギリスの敗北であり、フランスの勝利なわけですが、この流れ自体はシェイクスピアも『ヘンリー六世』の中で割愛せずに書いているんですね。
ところが、その書き方というのが実に巧みなわけです。
フランスからの撤退は、イギリスの敗北ということにはされていないのですね。代わりにフランスのシャルル七世と和議を結んだんだと。和議を結んだだけで、敗北じゃないんだということにするわけです。その条件を明らかにするイギリス王の側近ウィンチェスター司教のセリフとして、シェイクスピアは次のように書いています。
 すなわち、国王ヘンリーが和議に同意なされるのは、
 あくまでその厚い同情心と寛大なお気持ちから、
 あなたがたの国を災い多き戦争より解き放ち、
 実り多き平和のうちに生かさんがためであることを思い、
 ご一同には王の忠実な臣下となってもらわねばならぬ。
 そして、シャルル、あなたは王に貢ぎ物を納め、
 恭順の意を表することを誓われるかぎり、
 国王ヘンリーのもとにあって副国王たる地位と、
 従前どおりこの国を治める権利とが約束されよう