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『巨匠とマルガリータ』小田島創志(翻訳)×大森雅子(千葉大学大学院教授/20世紀ロシア文学)×上村聡史(演出/演劇芸術監督)スペシャル座談会【前編】

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(左から)上村聡史、大森雅子、小田島創志
[撮影:阿部章仁]


上村聡史芸術監督就任の第1作として、ウクライナ出身のロシア語作家ミハイル・ブルガーコフの代表作『巨匠とマルガリータ』が11月7日から上演されます。
悪魔の舞踏会や喋る猫、そして不滅の愛と芸術讃歌と、20世紀最高の奇想小説を舞台化した本作について、翻訳の小田島創志、20世紀ロシア文学を専門とする大森雅子千葉大学大学院教授、そして演出を担う上村聡史芸術監督によるスペシャル座談会が開催されました。



構成・文:嶋田真己

『巨匠とマルガリータ』の文学史における位置付けとは?


上村:今回上演する『巨匠とマルガリータ』は、自分にとって芸術監督就任1本目となる作品です。「この作品をやるのか」という驚きや喜びのお声をいただくこともありますが、同時に本作をまったくご存知でない方も多くいらっしゃる。ヨーロッパでは今日でも、戯曲になっていないこの小説を舞台化するくらい浸透度が高い作品です。この作品は、文学史において、自国ロシアではどういった位置付けの作品になるのでしょうか?


大森:現在のロシアでは、ブルガーコフは、ドストエフスキーやトルストイに匹敵する、あるいはそれ以上に人気のある作家だと言っても過言ではないと思います。特に『巨匠とマルガリータ』は、ロシア国内で2005年にボルトコ監督(※)による全10話のテレビドラマが放映されましたが、モスクワの初回放送の視聴率はなんと58.6%という、驚異的な記録が残っています。原作に比較的忠実に作られたドラマで、現在でも名作と見なされていて、どの世代にも愛されています。


『巨匠とマルガリータ』は、ブルガーコフが1928年から亡くなる直前の1940年まで書き続けた作品ですが、スターリン時代であったため、幻想小説は世に出る機会がありませんでした。しかし、1953年にスターリンが亡くなり、恐怖政治から解放された、いわゆる「雪解け」の時期を経て、ようやく1966年から67年にかけて雑誌『モスクワ』で発表されました。スターリン時代にこのような奇想天外で壮大な小説が書かれていたことを、当時の読者は大きな驚きと感動をもって受けとめました。奇しくも、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が発表されたのが1967年です。マジックリアリズムが世界に衝撃を与えた時期と重なりますので、その流れで『巨匠とマルガリータ』も各国語に翻訳され、多くの読者を魅了しました。


※ウラジーミル・ボルトコ:ソ連・ロシアの映画監督。数々のロシア文学の名作を映像化し、大ヒットを生み出した。



小田島:ブルガーコフがこれを書いた1920~30年代はいわゆる戦間期ですが、そうした時期は世界的に見ても、リアリズムから離れた文学、あるいは実験的な小説が出てきた印象があります。ロシアでも「ロシア・アヴァンギャルド」という流れが1910、20年以降にありました。(ウラジーミル)マヤコフスキーなども世に知られるようになりましたが、ブルガーコフは、この流れの中にあったのか、それとも突発的に出てきたのか、どのような位置付けなのかが気になります。


大森:マヤコフスキーとは同時代人なので、モダニズムの作家として比較されることはありますが、ブルガーコフ自身は、たとえばメイエルホリドの実験的な演劇は受け入れがたいと感じていたようです。ドストエフスキーやトルストイといった19世紀ロシア文学の影響を強く受けた作家で、特に幻想小説を書いたゴーゴリのことは自らの師と仰いでいました。

小田島:先ほど、ブルガーコフは現在、ロシアで非常に人気があるとおっしゃっていましたが、その中でも1番よく読まれているのはどの作品なのですか?


大森:やはり『巨匠とマルガリータ』だと思いますが、『犬の心臓』も同じくらい人気があります。


小田島:そうすると、『巨匠とマルガリータ』は、ブルガーコフ研究においても、大事な位置付けの作品となるのですね。


大森:そうですね。亡くなる直前まで本人が不屈の精神で創作を続けた作品なので、研究史の上でも重要な位置を占めています。

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大森雅子
[撮影:阿部章仁]
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小田島創志
[撮影:阿部章仁]
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大森雅子
[撮影:阿部章仁]
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小田島創志
[撮影:阿部章仁]


上村:先ほど2005年のテレビドラマで高視聴率を記録したというお話がありましたが、どのようなところが好まれていたのでしょうか? 例えば、長く封印されていた(死後26年経ってからの出版)作品だからこそという評価なのか、マジックリアリズム的な奇想天外な物語であるからなのか。


大森:それは、もしかしたら世代によるのかもしれないですね。若い世代は、悪魔たちの痛快で奇想天外な物語に惹かれているところがあるかもしれませんし、交流のあるロシア人の中には、(巨匠が描いた)ピラトとヨシュアの物語で、重厚感があって格調高い文体が用いられている描写が印象深いと言う人もいます。それから、巨匠とマルガリータのロマンチックな恋の物語がやっぱり好きという人もいるでしょう。そうすると、悪魔の物語、ピラトとヨシュアの物語、恋人たちのロマンチックな物語という3つの物語のそれぞれに魅力を感じている人がいるのだと思います。そして、この3つの物語はそれぞれ異なるロシア語の文体で書かれていますので、そうした特徴もロシア語ネイティブの読者がこの小説を好む理由の一つかもしれません。


小田島:こうした文体が違うという書き方は、ブルガーコフ以外の作家の作品でもよくあることなのですか?


大森:そうですね。たとえば、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は、語り手も各登場人物の言葉もそれぞれ文体が異なっていて、文芸学者のバフチンは、複数の声が響き合う「ポリフォニー小説」と名づけましたが、そうした小説の特徴は『巨匠とマルガリータ』にも当てはまります。

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『巨匠とマルガリータ』人物相関図


上村:創志さんは、英米文学の幅広い見識のなかで、イギリスでも上演が珍しいこの作品にどんな印象がありますか?


小田島:イギリスでは、第一次世界大戦が起こるまではリアリズムの小説、あるいは演劇におけるウェルメイドな芝居が人気だった印象があります。その後、第一次大戦が終わるころから、ヴァージニア・ウルフやジェイムズ・ジョイスのような、言葉そのもので実験をしているような小説や、形式や構造を崩していくタイプの小説が人気になってきたと感じます。ただ、マジックリアリズムといったものはイギリスではそれほどイメージはありません。『巨匠とマルガリータ』は1960年代後半に英訳されていますが、マジックリアリズムはラテンアメリカだったり、ポストコロニアル文学と呼ばれるような、イギリス以外の地域での流行だったイメージがあるのではないかと思います。マジックリアリズムの「イギリス小説」という文脈では、サルマン・ラシュディの『真夜中の子供たち』が有名ですが、これも1981年の出版なので、だいぶ後です。



『巨匠とマルガリータ』ここが面白い!


上村:さまざまな魅力のある本作ですが、創志さんは、どんなところに面白さを感じています?


小田島:それぞれの登場人物をどういった視点から切り取るかで見方が変わってくると思います。ヴォランドは万能なようでいて、ボロボロで疲れている悪魔だったり......注目するところが変われば、キャラクターのイメージも変わる。いい存在なのか悪い存在なのか、あるいは凡庸なのか人間っぽいのかなど、その捉え方もお客さんによって変わってくるように思います。


それから、ブルガーコフがこれを書いたときは、祈りに近いものを込めたのではないかと感じました。それはケンプ版の戯曲からも感じます。戯曲では、原作から変えているところはいろいろとありますが、その軸はぶれていない。それこそ「原稿は燃えない」という言葉を効果的に響かせるためのストーリー作りや、抑圧されていた人間がどこに解放を求めるのかを書いています。そうした解放の一つに、巨匠とマルガリータのロマンスがあるのではないかと思いますし、そうした描き方によってストーリーにより入りやすくなっているのが、舞台の面白いところかなと思います。突拍子もないことが起こるけど、物語に入りやすい。


上村:この作品の見どころは、まさにそうしたところにある?


小田島:そうですね。上村さんが昨年上演した『スリー・キングダムス Three Kingdoms』もミステリーとして見ることができるけれども、ミステリーとしての分かりやすい答えはないという作品ですよね。1つの分かりやすい答えを出しているのではなく、観客が想像力によって補完しながら物語を一緒に作っていくところがあるのかなと思います。『巨匠とマルガリータ』でも、想像力で遊びながら観ていただけたら、すごく面白い作品になるのかなと感じています。

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上村聡史
[撮影:阿部章仁]



上村:今言った、創志さんの想像力で言うと、なぜ巨匠は"ジーザス"という名称ではなくヨシュア(YESHUA)に拘ったか考えました。劇中では、ジーザスの存在や復活を奇跡だと描くことはなく、ヨシュア、そしてピラトを凡庸に描いています。ただ、そうした凡庸な人間の対話や苦悩の結果、奇跡を生み出していて、神格化されたそれとは異なる、至極人間的な、己と葛藤し他者を想像することの尊さをブルガーコフは説いているように思います。そう捉えると、想像力の可能性は無限大で、だからこそ人には尊厳があるという今日的なテーマが見えてきます。


そういった意味でも、ブルガーコフは、まだまだ古びることはない。今現在もやっぱり重要な作家の1人だと思います。芸術監督就任にあたり大きな指針として、現代演劇以降のアップデートを目標に取り組んでいきたいと思っていますが、そういった意味で『巨匠とマルガリータ』は、「物語がどうして必要なのか」といった根源的な問題を扱っているように読み解けますし、そのあたりを大事にして演出したいと思っています。大森さんは、今回の公演にどんな期待がありますか?


大森:この作品ほど演出が難しい舞台はないのではないかと思います。登場人物の首がいとも簡単に切断されたり、一瞬でモスクワからヤルタに飛ばされたりするので、そうしたシーンはどんなふうに演出されるのだろうと、今からとてもワクワクしています。それと、小田島さんがおっしゃったヴォランドについても気になっています。ケンプ版の戯曲でも、ヴォランドは何者なのか、悪をなす悪魔なのか、善をなす悪魔なのかは、場面ごとで変わっていきます。様々な姿を見せていくヴォランドがどう捉えられて舞台で提示されるのか、そして、それを観た私たちはどう考えることになるのか楽しみにしています。


スペシャル座談会【後編】はこちら



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(左から)上村聡史、大森雅子、小田島創志
[撮影:阿部章仁]

公演概要

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『巨匠とマルガリータ』チラシヴィジュアル
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『巨匠とマルガリータ』宣材ヴィジュアル
(上段 左から)成河、花乃まりあ、篠井英介
(下段 左から)松島庄汰、菅原永二、大鷹明良



『巨匠とマルガリータ』

【公演日程】2026年11月7日[土]~23日[月・祝]

【会場】新国立劇場 中劇場

【原作】ミハイル・ブルガーコフ
【翻案】エドワード・ケンプ
【翻訳】小田島創志
【演出】上村聡史

【出演】

成河 花乃まりあ 松島庄汰 菅原永二

明星真由美 小松利昌 富山えり子 内田健介 山本圭祐 
山森大輔

柴 一平 釆澤靖起 近藤 隼 猪俣三四郎 篠原初実 
笹原翔太

大鷹明良 篠井英介

ものがたり

舞台は1930年代のモスクワ。文学界は官僚主義と検閲にがんじがらめ。そんな中、劇作家である、通称「巨匠」は、キリストの処刑を決めたローマ総督・ピラトを題材にした野心的な作品を書き上げる。
しかし、その作品は体制に受け入れられず、激しい批判にさらされ、絶望の淵に突き落とされた結果、彼は自分の原稿を焼き払い、精神病院へと姿を消してしまう。
一方、巨匠には愛する女性、マルガリータがいた。彼女は美しく聡明で、巨匠の才能を誰よりも信じていた。巨匠がいなくなり、絶望的な日々を送るマルガリータの前に、突如として奇妙な外国人ヴォランドとその取り巻きたちが現れる。ヴォランドはモスクワの街で様々な騒動を引き起こしながら、市民たちの本性を試そうとしていた。マルガリータは、唯一の願い"愛する巨匠と再び会うこと"を叶えてもらうためにヴォランドの取引に応じる。ヴォランドの目的、巨匠の運命、そしてマルガリータの愛の行方は一体どうなるのか──?