2016/2017シーズン オープニング公演 ワルキューレ2016/2017シーズン オープニング公演 ワルキューレ

INTERVIEW インタビュー ヴォータン役 グリア・グリムスレイINTERVIEW インタビュー ヴォータン役 グリア・グリムスレイ

 神々と侏儒(こびと) 、巨人、それぞれの種族が面子を賭け、権力をめぐって相争う。世界の構築、没落、そして再生への希望。リヒャルト・ワーグナーのライフワークとなった4部作「ニーベルングの指環」において、その2作目となる『ワルキューレ』は、単独でも上演される機会が多い。権力闘争うずまく物語の中にあって、神々といえども人間らしい葛藤に苛まれる姿がしっかり描かれ、共感できる場面が多いことに、その理由を求められよう。
 この4部作において、もっとも重要な登場人物は誰か。もちろんひとによって意見は違うだろうが、筆者はこの問いに対して、ヴォータンやジークフリートといった男性ではなく、そのジークフリートの母となったジークリンデを挙げる。ワーグナーが描いたあらゆる登場人物の中でもっとも人間らしく悩み、傷つき、そしてその人生を生き抜いた存在として、ジークリンデは屈指の存在であり、なによりワーグナー自身が4部作の中でとりわけ重要な音楽を数多く与えている。本稿では、そのジークリンデが登場する唯一の作品『ワルキューレ』の3つの幕からそれぞれ1箇所ずつ、実際にワーグナーがどのような言葉と音楽をこの人物に与えたのかを概観し、その重要性を追いかけたい。
<ジ・アトレ5月号より>

Production:Finnish National Opera
Photographer:Heikki Tuuli

第1幕 目は口ほどに物を言い第1幕 目は口ほどに物を言い

 ナイディング族のフンディングの家で、囚われの身同然に暮らし、不遇をかこつ妻ジークリンデ。そこへ傷ついた丸腰の勇士がやってきて一夜の宿を請う。夫フンディングと話しているうちに、その勇士がナイディング族と戦って破れた落人であり、そして同じ血を引く兄であることを女は直感的に悟る。フンディングは明朝までは勇士をかくまうが、明日には自分と決闘をせよと勇士に覚悟を迫る。
 その後、フンディングがジークリンデを引っ張るようにして退場するまでにはやや長い間奏が続く。この間、ジークリンデは夫を眠らせるための薬酒を調合し、なんとかして勇士をうまく逃がし、みずからも逃げるための算段を整える。そのト書きの最後には、「ジークリンデはジークムントを憧れに満ちた眼差しで見つめ、目配せし、意味ありげにトネリコの木の一点を見つめる」という記載が見られる。すでにこの段階でジークリンデは、丸腰の勇士が振るうべき武器が、かつて隻眼の老人がトネリコの幹に刺していったその剣しかない、と見定め、なんとかその存在を勇士に教えようとしたのである(勇士は残念ながらこの目配せに気付かない)。ワーグナーがこの場面に充てた音楽(764小節目)は、いわゆる「ノートゥング、剣のモティーフ」。はじめはト長調主和音の分散和音(バス・トランペット)、そして1オクターブ上がった二度目はト短調主和音の分散和音(オーボエ)。選ばれた楽器のくすんだ音色と旋律のもの哀しさとで、この2人の行く末が暗示されているかのような寂しさを醸し出す。いずれにせよ、ジークリンデの機知と機転によって、勇士は難を逃れ、ジークリンデという妹にして妻、そして「ジークムント」という名前を得て、春に包まれた戸外へと逃げ出す。
Production:Finnish National Opera Photographer:Stefan Bremer

第2幕 極限状態の中で見る夢は第2幕 極限状態の中で見る夢は

 愛する2人は手に手を取って、荒野を進む。やがてジークリンデに体力の限界が訪れ、かつての悪夢のフラッシュバックに苦しみながら、気を失うように眠りにつく。ジークムントは自身の死を告げに来たブリュンヒルデを翻意させ、ともに戦おうと誓い、妻を残して戦場へと駆けていく。いつから目覚めていたのか、あるいはまだ夢の中か、ジークリンデはほとんど動かぬまま、「父が戻ればいいのに 兄と森の中をさまよっている」と低音域でつぶやく( 1922小節目)。自身が子供のときの思い出話をしているようでありながら、かつての不幸な出来事が再び起きるかのような予知夢のようでもある。

Production:Finnish National Opera Photographer:Stefan Bremer
 ジークリンデが夢うつつで語るこの場面でも、ワーグナーが施す音楽は無慈悲なまでに現実を暴き出す。すでにフンディングの追っ手が迫り(チェロによるフンディングのモティーフ)、第1幕でジークムントを苦しめた嵐が再びこの場を襲う。自分を辱めたとはいえ、かつて夫であった男と、自分に自由と歓びを与えてくれた男の対決という、ジークリンデがもっとも避けたい事態が現出する。全力をもって(とト書きにある)「止めて まず私を殺して」(1975小節目)と叫ぶその場では、かつてジークムントに授けた剣のモティーフ(トランペット)が無慈悲に鳴り渡ると同時に、フンディングのモティーフも絡み合い(ワーグナーチューバ、チューバ)、愛するジークムントの死によって、女の願いは無残にも砕かれる。茫然自失のジークリンデを剣の破片とともにその場から救い出したのは、父に逆らった娘、ブリュンヒルデだった。

第3幕 世界を救う女、ジークリンデ第3幕 世界を救う女、ジークリンデ

 ブリュンヒルデは、かつて父ヴォータンが愛したジークムントに死を与えよという父の命令に一旦は従うも、実際にジークムントに接してその思いを翻した。父が戦いに介入したことによって、結局ジークムントは斃(たお)れるが、ジークリンデだけはなんとか救い出す。だが、彼女にとってそれはありがた迷惑でしかなかった。どうしてあの場でともに死なせてくれなかったのか、とブリュンヒルデを詰るが、神の力を持つ戦乙女は、その胎内に子が宿っていることを知っていた。運命の変転を知った女は、その瞬間に女から母の顔へと変わり、なんとかして身籠もった子を救おうと懇願する。ブリュンヒルデは、みずからがヴォータンに対する盾となり、ジークリンデを東の森へと逃がすことを決意し、胎(はら)の子に「ジークフリート」の名を与える。
 その歌い納め( 531小節目)で新たに剣のモティーフが鳴り渡り、感極まったジークリンデは最後の気力を振り絞って歌う。「気高き奇跡 なんと素晴らしい方 あなたの誠に聖なる感謝を」という歌詞に与えられた音楽は、『ラインの黄金』『ワルキューレ』を通じてはじめて登場するモティーフ(535小節目)。しかも、フルート、オーボエ、クラリネット、ヴァイオリンに支えられ、ジークリンデが高らかに歌うこのモティーフはこの後しばらく登場せず、次に堂々と鳴り響くのは、なんと最終話『神々の黄昏』の、しかも大詰め、ブリュンヒルデが世を救うために炎の中に身を投じた後、世界がライン川の濁流に呑まれ、新たな世界が再生への道を踏み出そうとするその瞬間である。
 一般に「救済のモティーフ」と呼ばれるこの音楽によって、みずからの危険を顧みず、世を救う(はずだった)英雄ジークフリートを産んだジークリンデ、そして志半ばにして斃れたジークフリートと神々による世界に幕を引き、新たな世界への橋渡しを務めたブリュンヒルデの姿が、ワーグナーによって同じモティーフで重ねあわされる。 『指環』前半と後半のクライマックスに置かれたこのモティーフに、新しい世界への希望を託す意味合いをワーグナーは込めた。神々・男たちに「救い」をもたらす女、ジークリンデによって、『指環』の世界は二度にわたって「救済」されることになる。

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