スペシャル・トーク
レポート


「東京裁判三部作」新国立スペシャル・トーク
─ 井上ひさしの現場 ─


第三回
2010年6月11日(木)小劇場
出席者:辻 萬長
    鵜山 仁
聞き手:大笹吉雄

井上芝居と方言

大笹●そういえば井上さんが演出なさったのは『きらめく星座』が初めてでしたね。あれはなぜおやりになったんですかね。
辻●僕は初演にいなかったんで、わかりませんけど。やっぱり演出もやりたい気持ちがあったんでしょうね。新国立劇場の『紙屋町さくらホテル』の再演は演出に入りましたし。
大笹●辻さんの初めての井上作品、『人間合格』は太宰治でしたよね。やっぱり台本が遅くて、ということがあったうえで、あれも難しい芝居でししたね。
辻●難しいけど、楽しい芝居でしたね。
大笹●ふと思うんですけど、いろんな方言が入っているでしょ。
辻●仙台弁でしたね。
鵜山●岡本麗さんと中村たつさんが初演でいろんな役をやらなければいけない、しかもいろんな方言が出てきて、ついに初日を遅らせることになりましたが、「本がいつまでならやれますでしょうか」という話になったときに、「これ以上方言が出てくるようなら私は……」と女優さんが言いました。
大笹●きょうだっていっぱい方言が出てきましたけど、もちろん指導なさる方がいらっしゃるんでしょうけど、たいへんだなあと思います。辻さんは確か九州ですよね。
辻●新藤兼人監督がおっしゃっていましたが、映画で原田大二郎を使って彼は山口の人間なんで、やっぱりしゃべりが明るいんですよ、だから失敗したのは彼を使ったことだって。(笑)だから僕も東北弁はたいへんなんですよ。方言はきちんと音が伝わらなければいけないから、はっきりしゃべらないと舞台の上の台詞にならないし。
大笹●『父と暮せば』も広島弁ですからね。
鵜山●大原穣子さんという方言指導の方が毎回懇切丁寧にご指導されています。
辻●昭和20年代の広島弁ということで、そのための辞書をつくったとおっしゃっていました。だから、今の広島の人に言わせるとちょっと違うというかもしれませんが、昭和20年代ということもあるし、やっぱり文学的にご自分でつくった言葉もあるでしょう。聞いていてきれいですし、方言指導の方もちょっと戸惑うこともあるくらい、ちょっと特殊な言葉の使い方もあるので、最終的には井上文学じゃないですか。
大笹●それこそ、そういう意味では共通語の生まれる過程をドラマ化した『國語元年』という芝居を書いていますが、これもまたたいへんな芝居ですよね。全国各地の言葉がでてくる。共通語を生み出そうという文部官僚の一家に全国各地から人が集まってくるわけで、会津がでてくるわ、南河内が出てくるわ、京都がでてくるわ、お公家言葉も出てきて、主人公は薩摩出身でしょ。
辻●それを演じた佐藤B作は福島出身でした。(笑)
大笹●ああいう芝居を書く人はちょっといないと思いますね。きょうの芝居『夢の痂』も、天皇を迎えるというので共通語を使わなければいけない、それと方言と二重構造のドラマになっていて、私は非常におもしろいと思うけれど、そういうことで言葉に焦点をしぼって書く人はあんまりいないでしょ。そのことで一種のヒエラルキー(階級)を形成して、奥の深い芝居ですよね。
鵜山●とにかく劇場というものに対する信仰というのが篤い方ですよね。それは『連鎖街の人々』という芝居でも、追い詰められた人たちがひとつの劇場に集まり、劇場のなかで再生するみたいな夢があって、片方で、それこそ『人間合格』は男3人の友情の話というか、辻さんが初演でなさったのは共産党の活動家で、太宰治がいて、あと役者がいて、その3人の友情物語ですが、友情とか劇場とか、背景やものの見方はそれぞれ別なんだけど、そういう人たちが一つの場所に集まってくるとか、それぞれの利害をはなれて友情が生まれる瞬間とか、そういうところに対する思い入れはものすごく強いですよね。それで、僕のなかでは永遠の謎みたいなところがあって、そこに思いを託すというところの危うさがある、大事さもわかるんですけど。言葉もそうで、それこそ憲法ということもおっしゃっているけれど、全然立場の違う人たちが集まってきて、信仰というか信頼をもって結ばれるという瞬間の尊さと危うさがある。ですから、いろんなアプローチをこれからもしていかなければいけないと思っています。それが言葉のことについても表れていると思うので、ヒエラルキーを形成するとおっしゃっていたけど、それが一瞬バランスがとれるということにすごくアクセントをおいて書いていらしたと思います。
大笹●辻さんの場合も『雨』という芝居があって、あれもたいへんな山形弁がでてくるじゃないですか。江戸っ子が山形弁を習得したあげく、罠にはまって殺されるという芝居でしたが。
辻●あれは、段階的に山形弁がうまくなっていかないとあのドラマは成り立たないし、よくがんばったねと思わせたら殺されるという芝居で、完成度をお客さんに見せてあげないと納得できないでしょうし。
大笹●書き手としては、俳優を責めているというとおかしな言い方だけれど、苦しませたあげくに、花を咲かせる仕掛けがありますね。
辻●井上さんの芝居をやっていていちばんの喜びというのは、いまおっしゃったようにいろんな責めがあるんですよ。なんでこんなことやらなくちゃいけないんだと思うんですが、それをやるとちゃんとお客さんの拍手がある、ご褒美が待っている、これがいちばんいいですね。
大笹●いわゆる「かせ」というんでしょうか、それが何重にもあって、「かせ」が重くかかってくればくるほど、芝居としてもおもしろい。俳優としてもやりがいがあるわけでしょ。そして、それを抜けたらお客さんの拍手が待っていると、それこそ私は俳優の経験がないので味わったことがないけれども、うまくいったらこれは俳優冥利につきるとい思いますね。
辻●『雨』で、最後に白装束をおたかが着せるじゃないですか、やっぱり着せるというのは実はすごい技術なんですよ、しかも着せながら山形弁でしゃべる。それをやるとお客さんがわぁとくるから、それが本当に井上さんの舞台をやっていちばんの喜びですね。
大笹●そうだと思いますね。とにかく背負っているものが非常に大きいという気がするんですけど、演出家にとってはどうですか。
鵜山●そういうことがすべて書き込まれちゃっているから、ちょっとずつバーを高くして、それを超える姿を見たいというか、できるだけコンマ一秒でも早く走る姿を見たいというのと同じなんですけど、書き込まれているので、こちらはちょっと畜生という感じですね。(笑)だから木村さんがおっしゃったように、誰がやっても同じで、これ以上バーの高さをあげるというのは難しいよねとか。
大笹●でも、来年『化粧』を鵜山さんは演出しますけど、やっぱり木村演出とは違うふうにしたいでしょ。
鵜山●思いますね。(笑)それはそうなんですが、同じ井上作品、同じ日本人だという限界はあるんでしょうけど。
大笹●『化粧』という芝居もたぶんみなさんご覧になった方が多いと思いますが、うまい演出だと思うんですよ。それに対してあらたな挑戦をするわけだから楽しみは楽しみで、同じだということはあり得ない。
鵜山●ただ、繰り返しになりますけれど、本当に井上さんの色が強いので、どこからみても井上ワールドであることには変わりないということです。