スペシャル・トーク
レポート


「東京裁判三部作」新国立スペシャル・トーク
─ 井上ひさしの現場 ─


第三回
2010年6月11日(木)小劇場
出席者:辻 萬長
    鵜山 仁
聞き手:大笹吉雄

こまつ座と旅公演

大笹●みなさま、こんにちは。「井上ひさしの現場」と題した3回目のスペシャル・トークです。私は司会の大笹と申します。今回は芸術監督の鵜山仁さんに、いま舞台を終えたばかりの辻萬長さんをお迎えして3人で行います。どうぞよろしくお願いします。(拍手)
井上さんが4月にお亡くなりになりました。きょうの『夢の痂』を拝見してても、しみじみ残念としかいいようがないのですが、この夢シリーズも井上さんでなければ書けなかった作品ですし、井上さんでなければ、こういう仕上がりもなかったと本当に思うのですが、辻さんは、井上さんが座付き作者であるこまつ座唯一の専属の俳優ですよね。
辻●はい、そうです。
大笹●どういうきっかけで、そうなったんですか。
辻●僕がいちばん最初に井上さんの作品に出たのは『人間合格』なんですけど、その芝居が終わって、自分で言うのもなんですが、井上さんに気に入ってもらって次の年の新作『シャンハイムーン』に声をかけていただいたんですが、その最中に、実はそのころ僕は事務所がなかったんですよ、ちょっと人間関係がうまくいかなくて、もういいや、こんなとこって(笑)、自分一人でやっていこうと思っていたところに、こまつ座の制作の人が「電話だけぐらいなら、うちで面倒みますよ」とおっしゃってくれて、「じゃあ、お願いします」と入ったのがきっかけですね。
大笹●『人間合格』が最初ということは、これは鵜山さんの演出ですよね。
鵜山●ええ。
大笹●鵜山さんの初めての井上作品の演出は、その前からですか。
鵜山●そうです、87年だったと思うんですが、『雪やこんこん』が初めてです。
大笹●『雪やこんこん』は、ご覧になった方もいらっしゃると思いますけれど、「昭和庶民伝三部作」の最後ですね。『きらめく星座』が最初で、『闇に咲く花』があって、3本目でしたね。これはちょっと変わった趣向で、いわゆる大衆演劇の世界がバックになっていました。井上さんの作品では『化粧』とこの『雪やこんこん』と、大衆演劇の世界はこの2本ですかね。
辻●その『化粧』の男版を僕はやらせていただきましたので、それを合わせて3本ですかね。
大笹●『雪やこんこん』は市原悦子さんと、元前進座の浅利香津代さんが出られたと思うんですが、聞いた話では、このお2人の対抗意識はものすごかったとか。
鵜山●文学座みたいに、身内というと語弊がありますけれど、僕は劇団に所属していて公演をやっていたんですが、こまつ座で初めて長い旅公演を初めて経験し、そのなかで人間関係のおもしろさを垣間見た思いがします。ご存じの方もいると思いますが、そもそもこの芝居は、一座で仲間割れしたり、派閥ができたり、そういう一座の人間関係が描かれた作品で、旅ひとつしてる間にみなさんがどれだけ模様が変わって帰ってくるのか、みなさん想像できると思うんですが、聞きしに勝るという感じでした。(笑)
大笹●鵜山さんは大衆演劇の世界をそんなに知っていたわけじゃないでしょ。
鵜山●全然知りません。
大笹●取材したんですか。
鵜山●浅草の小屋に行って芝居を観たり、沢竜二さんに稽古場に来ていただいて所作指導とかしていただきましたが、大衆演劇のみなさんが東京公演で座長大会があるというじゃないですか。そのときに沢さんがおっしゃるのは、東京公演でがんばらなくちゃというときに、大衆演劇の座長諸氏が将軍様のお膝元ですからね、と言うんですって。(笑)井上さんが、そういう台詞のおかしみを、それこそかき集めて雪だるまみたいに転がして台詞のおもしろさ、楽しさでできた作品ですね。2本目の『闇に咲く花』は、栗山(民也)くんが演出したんですけど、井上さんがおっしゃるには、わりと不得意科目みたいな感じだったみたいです、書いてるときには。だけど『雪やこんこん』は得意な国語の時間で、筆が進みましたとおっしゃってた覚えがありますけど。
大笹●辻さん、こまつ座の旅って長いですよね。
辻●ええ、いちばん長いのが117回で、『花よりタンゴ』でした。次が『雨』で110回というのがありました。それはもう七夕に稽古が始まって、クリスマスに千秋楽みたいな感じでした。
大笹●私なんか、とても想像もつかないんですが、旅は同じメンバーで回りますよね。
辻●まず変わることはないですね。
大笹●途中でいやになることはないんですか。
辻●いやになってもしょうがないですね。(笑)
大笹●スケジュールを見ていつも思うんですけど、ああいう旅公演というのは日本ぐらいなものじゃないですか。
鵜山●演劇鑑賞会はフランスにはたぶんないでしょうね。地方都市、乗り打ちというんですけど、場所が変わって仕込んで芝居をやって、ばらして隣の町という、そういうスタイルはヨーロッパにはないでしょうね。
大笹●日本独特のスタイルでしょうね。ヨーロッパでよくレパートリーシステムということで組まれていますが、あれはつまり日替わりで演目を変えていくということですが、1年間近く同じ作品でまわっていくというのはたぶん欧米ではないと思うくらい、日本独特の興行方法でしょうが、俳優さんもスタッフもよくつきあうなという気がしますけど。
辻●それはもうやることが楽しみにならないとね、苦痛になってきたら難しいですよ。
大笹●旅の経験って、辻さんはいつごろからありますか。
辻●それこそ昔、演劇鑑賞会、労演のシステムのときには回っていました。それも90回前後でした。
大笹●戦後すぐ、昭和23年ごろに東京の労演(勤労者演劇協同組合)ができましたからね、じゃあ馴れていらっしゃる。
辻●いや、馴れないものです。でもそれほど奇異なものとは感じません。ああ、旅かという感じで。
大笹●文学座もそういうことをやりますよね。演出家もついていくんですか。
鵜山●僕は最初のうちは裏方としてついて行って、演出になった当初は途中から袖にまわって裏方兼務をしていましたけど、その後はだいたいは初日をあけてあとはおまかせして、都合がついたら行くという感じです。萬長さんとは、このあと『父と暮せば』で回りますけど、続演になるとあんまり行かない感じになっちゃっています。