L’expérience de l’humain chromatique

6月29-30日、ラ・クリエにて
高谷史郎 新作「CHROMA」公演

人間へのクロマティックな視点

日本人グループ ダムタイプの創立メンバー高谷史郎は、2010年のマルセイユフェスティバルで「明るい部屋」のフランス初公演を実現し、すでに成功を収めている。
来たる6月29-30日、ラ・クリエで高谷氏の新作がヨーロッパ初演を迎える。

「明るい部屋」は、ロラン・バルトの写真論にインスピレートされた作品であった。新作「Chroma」は、幻想的で繊細な世界を映しだす。一生をさかのぼって語るかたちで、多様な次元からイマージュを取り扱い、色彩をテーマとしたバリエーションを展開する。
パフォーマー、音楽家、グラフィックデザイナー、ビデオ作家らのグループで創作された本作は、サイモン・フィッシャー・ターナーの音楽と、イギリスの映画監督デレク・ジャーマンの色彩についての著作「クロマ」(1994年)を原点としている。
病に侵されたジャーマンの遺作となった自伝的エッセイは、日々衰えゆく視力に抗うかのように、色彩に対する考察に埋めつくされている。このスタイルを踏襲するかのように、「Chroma」には詩や逸話、不朽の引用(アリストテレス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ゲーテ、ニュートン、ヴィトゲンシュタイン)が散りばめられる。そしてこれらのインスピレーション源を凌駕する高谷の作品は、あたかも意識自体の限界であるかのように、人間の視覚の限界を物語る。

「Chroma」の時間は、死から誕生へ、闇から光に向かって時計と逆方向に流れる。基準点の喪失、巧妙に仕組まれたフレームアウト、意味のずれこみが混在する世界― そこでは空間構成がかぎを握る。「進化にともなって、人間は無限空間における一点として自らの孤独を認識する」、と高谷氏は語る。
西洋の伝統的な舞台概念であるステージ、床、遠近感といったタームが意味を喪失するこの世界には、コンピューターの発する謎めいた光が戯れる抽象的なカンバスが出現する。
しかしながら視覚と聴覚のエフェクトが飛び交う実験的舞台の核には、人間の存在がある。
「テクノロジーの進化には全く興味を抱いていない。あくまでも人間的な意識や知識にこだわっていたい」と断言する高谷氏の作品では、自然科学的な探究と最先端テクノロジーが巧みに融合される。彼が示唆するものは、「今ここにある世界と、その世界を生きる人間の負った本質的な傷」である。

地表を離れ、舫いを解かれたダンサーは、非現実的な存在として描かれる。空間的な断絶が超自然的な空間を生み出し、地平や水平線は、ダンサーが内在化すべき概念となる。
孤独とヒューマニティが無限で詩的なフォルムに託され、移りゆく時空に投影される。自身の作品が「メディアアートではなく、視線を投じた瞬間に衝撃を受けるように、純粋知覚を通じてアートを再発見するための試み」であることを作者は喚起する。

E.B.

Shiro Takatani : l’art et la science sont deux facettes d’une même chose

「アートとサイエンスは、
いわば表裏一体のもの」高谷史郎

今日と明日、マルセイユフェスティバルが
日本人グループの作品「Chroma」を上演

昨年マルセイユフェスティバルに招待された高谷氏にとって、マルセイユの旧港界隈はなじみのない場所ではない。前作「明るい部屋」に内在するポエジーは、観客を大いに魅了している。京都から再び戻ってきた高谷氏が、新作「Chroma」をラ・クリエで上演する。
ゆるぎない軌跡を描き続けるこの日本人アーティストの作品は、ダンスとデジタルアートの融合を特色とする。非現実的な様相を帯びたダンサーは地表を離れ、どこにも属さない存在として表現される。「アートとサイエンスは、いってみれば同じものの裏と表のようなもの」だ、と高谷氏は語る。

15名のパフォーマー

高谷史郎は、ダムタイプの創立メンバーのひとりである。京都を拠点とするこのアート集団はイコノクラストとして知られるが、その作品は単なる扇動の域を超え、幻想的でポエティックな色彩を放つ。
「今回も、呼びかけに応じた15名のパフォーマーが、劇場という「ブラックボックス」にアイデアを持ちよるかたちで作品をつくりあげた」という。
「カラー」を示す「色」という日本語には、「バラエティ」や「イデア」という意味もあり、英語の「クロマ」が示唆する現象への身体的、視覚的なアプローチにも通じている。

本作品の制作にあたって、高谷史郎はイギリス人映画監督デレク・ジャーマンの色彩についての著書「クロマ」に強くインスピレートされている。病に侵されたジャーマンが、日々視力を失いながら書き上げたこのエッセイは、色彩に満ちあふれている。高谷氏は、「私的な考察と科学的見解が交錯するジャーマンのスタイルを自身の作品に踏襲し、ニュートン、アリストテレス、レオナルド・ダ・ヴィンチらの言を引用した」という。
「Chroma」は、一日、そして一生をさかのぼって描く作品である。

マリー=イヴ・バルビエ

‘’un groupe de performers, musiciens, graphistes...’’

パフォーマー、音楽家、グラフィックデザイナー、
ビデオ作家らで構成されるダムタイプが、
高谷史郎振付の新作を発表する。

2012年に制作された「Chroma」は、このマルセイユフェスティバルをヨーロッパ初演とし、来たる土・日の両日にラ・クリエで披露される。
作品は、サイモン・フィッシャー・ターナーの音楽と、デレク・ジャーマンの色彩についての自伝的エッセイ「クロマ」(1994年)をインスピレーション源としている。
病に侵され、日々視力を失っていくなかで書き上げられたジャーマンのエッセイは、過酷な現実に抗うかのように、様々なアングルから色彩に言及する。
このスタイルを踏襲したダムタイプの新作は、境界を取り払った空間に、詩や逸話、引用を巧みにちりばめる。
高谷氏によれば、「プロジェクトは、サイモン・フィッシャー・ターナーと共同で2-3年前から」進められた。「当初から色彩を主題としながらも、デレク・ジャーマンの著作はまだ存在しなかった。2年を経た時点で、作品制作の媒体として浮上した」という。

作品に出演するアルフレッド・バーンバウムは、制作段階から参加している。デレク・ジャーマンと交流があり、その作品翻訳も担うバーンバウム氏は、ジャーマンの死去1週間前に最後の面会を果たしている。
「ジャーマンのエッセイは、科学や芸術のアプローチを自在に用いて色彩を考察している。また、日本語の「色」ということばには、「カラー」だけではなく「バラエティ」、「多様性」の意もある。こういったことを踏まえて、固定観念にとらわれない自由なアプローチで、あらゆる要素を意欲的に作品に盛り込んだ。高谷は科学的なアプローチに、私自身はナレーションスタイルにこだわった。作品内にデレク・ジャーマン自身は登場しないものの、彼のエッセイと同様に、アリストテレスやニュートン、ヴィトゲンシュタインの声となって現れる」。
一方の高谷は、「テクノロジーは表現媒体であって、それ以上ではない。あくまでも手段であり目的にはなりえない。私はテクノロジーの崇拝者ではない」と応答する。
両者は、「時間の流れを逆方向に捉えて一生をさかのぼることには、デレク・ジャーマンの視力を回復させ、その痛みから救いたいという思いが込められている。「Chroma」は、幼年期まで立ち戻りながら、世界の色を学び取っていくプロセスを構築する」のだと、声をそろえる。

アントワーヌ・パトフォーズ

Voyage en clair obscur

光と影の旅
マルセイユフェスティバル

今週の土日の両日に、クリエで高谷史郎の「Chroma」が上演される。
詩的で幻想的な世界は、ダンスとパフォーマンスの中間に位置づけられる。
非の打ちどころのない舞台効果が、非現実的な空間を構築する。

マルセイユフェスティバルの一環として、今週末にラ・クリエで上演される「Chroma」は、日本の振付家で造形作家の高谷史郎の新作である。今公演がヨーロッパ初演となる。
アートとサイエンスのはざまで戯れる高谷固有の世界が堪能できる。ダンスとパフォーマンスの中間に位置づけられる作品は、圧倒的な舞台技術が印象的だ。

まずは身体的なテクニックに目を奪われる。異なる年代の役者4名が、断続的に床面に投影されるフォルムに抗うさまが優雅に繰り広げられる。ステージを覆う闇は、光の描くスクエアと瞬間的なフラッシュに打ち破られる。やがて並べられたパネルが連続展開するにつれて、闇は光へ、白へと変貌し、幼少期に立ち戻る語りにつながる。

常軌を逸した世界と哲学

ひとたびステージが「解き放たれ」ると、常軌を逸するような情景が立ち現れ、高谷史郎の世界観があますところなく提示される。その世界は、三池崇史作品や多くの漫画に描かれる世界とは一線を画する「異界」であるが、見るものを凍てつかせることに変りはない。
突如発せられる叫び、天井から降り立ちプラスチック材に包装される家具、頭上に固定されたバケツ、モミの木…、脈絡のないオブジェの数々が、オフボイスで延々と引用される哲学者や思想家のことばとコントラストを奏でる。

映像面のテクニックも圧巻だ。なかでもライブの体裁を取ったビデオが、自然に舞台に溶け込んでいる。舞台上の役者が作成する建築図面やデッサンが、巨大なスクリーンに同時投影される。これらのイマージュは次第に「生を帯び」、コンピューター情報回路に変貌して舞台を覆い尽くす。この迷宮にひとりの女性ダンサーが迷い込んでくる。

バーチャルとリアルの関係性が、決して瞑想的になることなく、きわめて詩的に解釈される。精緻なブラック&ホワイトの舞台に、海、岩石、焼けつく地表といった自然の映像が戯れる。「Chroma」は幻想的な旅のように語られる。
たしかに、作品は闇に支配されている。しかし内包された闇のゾーンはやがて覆され、見るものを魅惑する。高谷史郎のアートの真髄が映しとられた作品である。

セドリック・コッポラ