『カルミナ・ブラーナ』を日本で上演したいという話があった時、果たしてこの作品が日本の観客に受け入れられるだろうかという懸念がありました。作品には英国ポップカルチャーの要素や、先年流行したリバーダンスの動きなどが取り入れられています。また、たとえば美しいブロンドの女性が登場します。ブロンドというと英国では少し頭の弱い女性を暗喩していますが、そういったところまで理解を求めるのは難しいのではないかと思ったのです。『カルミナ・ブラーナ』の音楽を初めて聴いたのは16歳でした。その頃から、是非この曲に振り付けたいと思い続けていましたが、作品規模が大きすぎたためなかなか実現には至りませんでした。1995年にバーミンガム・ロイヤルバレエの芸術監督に就任したことで、ようやく希望が叶ったわけです。『カルミナ・ブラーナ』は、芸術監督として初めて手がけた作品です。それまでの数年間バーミンガム・ロイヤルバレエではほとんど新作が上演されておらず、カンパニーのすべてのメンバーが出演できるような大掛かりな新作が求められていました。『カルミナ・ブラーナ』は本来は児童合唱も必要とされる大編成の大曲ですが、地元バーミンガムの聖歌隊に参加してもらえたのも好条件でした。カンパニーメンバー総出演、オーケストラも合唱団も出演する最大規模、最大コストの作品で、創るにあたっては恐怖感もありました。振り付けている最中も、観客からどんな反応が出るか想像がつきませんでした。
しかし初演を控え、まだ作品が完成しないうちからチケットを発売する必要がありましたので、マーケティング担当者に作品内容を伝えたところ、売春宿などが出てくるものですから成人指定にすることになりました。それが逆に評判を呼んだようです。成人指定といっても子供が見てはいけない訳ではないので、実際には若い人がたくさん観に来ましたし、私の子供も初演を見て面白かったと言ってくれました。今では、青少年向けの推奨作品として鑑賞教室で上演されることもあるくらいです。最初この作品をどのように創ろうかと様々に考えました。この作品はフォルトゥナの物語なので、女性のソロにしようか、そして彼女にハイヒールを履かせてしまおうか、あるいは運命の女神なのだから彼女に目隠しをさせてみようか等々。結果的には幕開きのシーンは、ハイヒールを履いて目隠しをした女性ダンサー一人だけに強いスポットライトを当て、彼女がとても難しいダンスを踊る振り付けをしました。第2曲目以降、オルフはこの『カルミナ・ブラーナ』という音楽を「春」「居酒屋にて」「求愛」の3つのパートで構成しています。これらを通してオルフは“人”の様々な体験を網羅しています。私にとって大切なことは、この作品全体を一つの「糸」でつなぐことでした。それであの3人の神学生のアイディアが生まれたのです。
つまり修道院での信仰生活から外の俗なる世界へと飛び出し快楽を体験した修道士によってこの『カルミナ・ブラーナ』の全ての歌・詩が書かれているということからこのアイディアは生まれたのです。このアイディアによって私たちは“人が皆通る道”を体験することになるのです。私の作品の中の神学生それぞれの体験はオルフ作品を逆手に取ったものになっています。私は、舞台を現代に置き換えて3つのパートもそれぞれ「ダンスホール」「ナイトクラブ」「売春宿」に変えました。それぞれが「愛」「欲望」「性愛」を象徴しています。オルフが考える求愛や騎士道精神といったものとは正反対なのです。「春」の部分では神学生は白い衣裳を身にまとい、美しいブロンドの純粋な女性と恋に落ちます。しかし、その女性は実は“純粋”ではないことがわかります。本当は、もっと危険な男性を彼女は求めているのです。「丸焼きの白鳥ローストスワン」は大食を意味しています。白鳥はバレエの世界ですと神聖なる生き物ですが、ここでは敢えてシンプルに白鳥を単なる鳥として見せよう—ただし、ショーガールのように—と思いました。
そして醜悪なジョージ・グロス的な人物<注:ジョージ・グロス=1893 -1959年ベルリン・ダダを代表する風刺画家>が彼女を食べてしまいます。ここでは口で食べるということと性的に食べるという二つの意味合いがあります。ですから白鳥は同時に大きな羽根を着けて踊るショーガールのようなダンサーでもあります。彼女は鳥の翼のような大きな羽の扇を持っています。最後には彼女は七面鳥のポーズを取って持ち上げられます。これはあたかも食べられるために飾りつけをされた七面鳥のような様子です。神学生たちの中の3人目の神学生は自分の行動に苦しみます。この3人目の神学生の苦悩がこの作品の核になっています。愛にも欲望にも性愛にも満たされなかった。信仰と堕落との間のジレンマが表現されています。最終的には運命の女神の気紛れが行く末を決めますが、私としては彼らは罰を受けて地獄へ堕ちたと思っています。
(2005年初演時プログラムより)
カール・オルフと『kルミナ・ブラーナ』かつてはバヴァリア大公国の首都で、今日なお南ドイツ最大の都市として栄えるミュンヘンから南へ約50キロの位置に、中世の昔からの長い歴史を誇るベネディクトボイレン大修道院があった。1803年のこと、その修道院の蔵書の中から1冊の古文書が見つかった。13世紀初期に南ドイツで書き写されたものと推察されるその古文書には、中世ラテン語で書かれた詩集をはじめ、中世ドイツ語の詩や典礼劇(受難劇を含む)、さらには《賭博者のミサ》と題された風刺作品も含まれている。これらの作品の作者は不明であるが、それをヨハン・アンドレアス・シュメッラーという学者が編集し、1847年に発表した。その際シュメッラーはその詩集に、《カルミナ・ブラーナ》という題名を付けた。「カルミナ」とは「歌」を意味し、「ブラーナ」は「ボイレン」のラテン語名であるから、その題名を訳すと《ボイレンの歌》ということになる。ところがこの古文書は、初めからベネディクトボイレン大修道院にあったものではないらしいことが調べているうちに分かった。恐らくは南のチロル地方、あるいはそれに隣接するカリンシア地方の山の中の修道院あたりで書き写されて、筆者かその仲間の手によってこの大修道院に持って来られたものと推察される。その筆者が誰であったかは知る由もないが、ゴリアルドゥスの名で知られる遍歴の神学生であった可能性が極めて高い。彼らが書き残した詩の中には旋律の動きを示す楽譜が書き込まれているものもあるが、極めて原始的な楽譜であるため、旋律を復元するのは至難な業である。
ところが幸いそれらの歌のうちには、中部フランスのサン・マーシャル修道院に保管されていた楽譜や、パリのノートルダム大聖堂で歌われていた曲集の中にも入っているものがあり、比較分析することによって旋律をなんとか復元することが出来るようになり、今日では現代譜に解読して、実際に歌ってみることも可能となっている。ところで「遍歴の神学生」などと言うと、神学校の落ちこぼれ学生か、無一文の貧乏学生を想像してしまいがちであるが、それは違う。そもそも「ゴリアルドゥス」の語源は「美食」を意味するラテン語の「グラ」(「グルメ」の語源でもある)で、美食に耽る詩人を蔑視して呼んだのがこの言葉の発端と言われている。従って経済的にも余裕のあるものが多く、高度の知識を身につけ、キリスト教の教義や古代ギリシャの古典にも精通していたことは、彼らが残した作品を読んでも分かる。かれらが遍歴したのも神学校を追い出されたからではなく、理想の恩師を求めて、教会学校や修道院を巡って放浪の旅を続けたためである。そもそも中世の教育を推進した最大の功労者は、ローマ教皇と手を組んでヨーロッパ制覇を夢見たフランク国王シャルルマーニュ(カール大帝)であった。彼は教皇から初代神聖ローマ帝国皇帝の称号を得たのに応えて、彼の勢力が及ぶ各地に教会学校や修道院付属学校を設立して、キリスト教の布教に努めた。そのような学校では基礎教育としてまず文法、修辞学、弁証法などの言葉の学問を学び、次に数学や幾何学などの数の学問へと進んだが、実はその中に音楽も含まれていたことが注目される。
やがて10世紀も半ばともなるとそのような学校が各地に定着し、学生たちはお互いの交流を求めて、また優れた教師を求めて遍歴の旅に出るようになる。 そのような若い学生たちが折りにふれて詩を読み、文に書き留めたのが《カルミナ・ブラーナ》によって代表される作品集であるが、それらの中には宗教的、道徳的、あるいは社会風刺 的な内容のものばかりでなく、恋愛歌や卑猥な酒飲み歌までもが含まれ、開放的で自然主義的な彼らの生きざまが反映されているところが極めて興味深い。二十世紀に入ってから、この中世の詩集に目をつけた作曲家が現れた。ミュンヘン出身のカール・オルフ(1895−1982)である。音楽好きの軍人の息子として生まれたオルフは、5才の時にピアノ、オルガン、チェロを弾き始め、故郷のギムナジウムに学んだ後、一時音楽学校で教鞭をとっていたこともあった。1917年に徴兵されて軍隊に入ったが、負傷して故郷に戻ったところで音楽学者クルト・ザックスに出会い、その影響で過去の音楽、特にモンテヴェルディをはじめとする16〜17世紀の音楽に目を向けるようになると同時に、作曲家のハインリヒ・カミンスキーに師事するようにもなった。またその一方では音楽教育の分野でリズムと人体の動作の関係などに興味を持つようになり、1924年にはドロテー・ギュンターと共同で、音楽の諸要素と、言葉、舞踊、体育、特にリズム運動を学ぶためのギュンター学校をミュンヘンに設立している。
また同じ頃、モンテヴェルディの《オルフェーオ》をギュンターに訳させて、ドイツ語版《オルフェウス》を完成し、他にもドイツ語版《アリアンナの嘆き》などを編曲している。さらに1932−33年にはミュンヘン・バッハ・フェラインの監督を務め、その際自分自身の指揮によってシュッツの《復活祭オラトリオ》を劇音楽として復活上演した。 さらにかつてJ.S. バッハ作と信じられていた《ルカ受難曲》(BWV 246)の舞台つき演奏を試み、その際チロル地方の版画を用いてスライド映写を行っている。こうした一連の努力を見ても、この時代のオルフにとって、聴覚的表現と視覚的表現を結びつけることが何よりも重要であったことが良く分かる。オルフはまた、ヨーロッパ音楽の根源を極めようと、古代ローマの詩人カトゥルスの詩を取り上げ、2部から成る無伴奏合唱組曲《カトゥッリ・カルミナ》(1930−31)を発表した。(この曲は10年後に、音楽劇として改作されている。)そして次に目を向けたのが《カルミナ・ブラーナ》だった。彼は中世ラテン語の詩集から24の詩を選び、一連の寓話的なタブローにまとめ上げ、3人の独唱に3組の合唱、3管編成の管弦楽団に2台のピアノ、さらにティンパニ−奏者5名にチェレスタという大規模な編成を用いて曲をつけた。その際古文書に記されていたオリジナルの旋律を用いることは無かったが、それも道理で、当時はまだその古楽譜を解読する手がかりさえつかめていなかったのである。
作曲は1935年から1936年にかけて行われ、翌年6月8日にフランクフルトで行われた初演の成功によって、オルフの名は一躍国際的に知られるようになった。この時の初演もまた劇的要素を含んだ演奏であって、ルドヴィッヒ・ジーヴェルト設計による舞台上で、歌手と舞踊家が衣装を着けた上で、動作による視覚的表現を展開した。特に聴衆の度肝を抜いたのは、強烈なリズム、近代和声法に捕らわれない大胆な和音の連続、モティーフの執拗な反復などの個性的な書法によって特徴づけられるオルフの音楽で、作曲家としての彼の以後の作風を決定づけるとともに、彼自身もそれを強く意識して、それ以前の作品を破棄する決心をするほどまでに、彼の生涯に重要な転機を与えることとなった。すでに述べたように、もとの《カルミナ・ブラーナ》には世俗的な主題ばかりでなく、宗教的な受難劇や社会風刺的な作品も含まれている。しかしオルフはその中から特に人生の喜びを謳歌した世俗的な詩ばかりを、しかも3つの主題に従って選んだ。(このため一般にはもとの《カルミナ・ブラーナ》も世俗的詩集であるという誤解を生んでしまっている。)すなわち第1部で春の訪れを喜び、第2部では憂さ晴らしに飲み食いに耽る酒場の場面を描き、第3部では恋愛の誘惑について歌う。そしてこれら3部から成る曲の中心部の前後に、いずれも2曲から成るプロローグとエピローグが付くが、実はエピローグの2曲目はプロローグの1曲目の繰り返しとなっている。
第1部《春の訪れ》では冬も去り、野原に花が咲き乱れ、小鳥たちが楽しげにさえずる自然の美しさを合唱と独唱が歌い、続いて牧場で踊りに興じる若者達の姿が、しばしば中世ドイツ語を交えながら描かれる。第2部《酒場にて》はバリトンとテナーの独唱、そして男声合唱による男の世界で、人生の憂さを丸焼きにされた白鳥になぞらえたり、愚者の国の大修道院長を気取ったりしたあげく、酒を飲むことの楽しさを心置きなく歌いあげる。第3部《愛の誘惑》ではソプラノ独唱と児童合唱による愛の神アモーレ(キュピッド)の呼びかけに始まり、バリトン独唱による失恋の嘆き、ソプラノ独唱や合唱による花より勝る乙女の美しさへの賛美と続いた後、最後は全員による恋の喜びの歌へと盛り上がる。エピローグの第1曲では、コーンウォールの女王でかのトリスタンの母と伝えられるブランツィフロール(「白い花」という意味)、トロイ戦争の原因となったスパルタの女王ヘレナ、美の女神ヴィーナスという3人の代表的な美女の名を挙げて、女性の美しさを賛美する。そして最後に運命の女神フォルトゥーナへの呼びかけを繰り返して全曲が終わる。
ドイツの作曲家、教育家。バイエルンの軍人の旧家に生まれる。5歳のころからピアノ、オルガン、チェロを習い、1914年にミュンヘン音楽院卒業。生涯を通じて教育活動に熱意を示し古典舞踊とリズム体操を教えるギュンター学校の共同設立者となった。また、ルネサンス・バロック音楽の権威カミンスキーに師事して古楽への関心を深めた。こうしたオルフの音楽は音楽、言語、動作(舞踊的要素)が一体となった総合劇がほとんどで、1937年に発表した『カルミナ・ブラーナ』がもっとも有名な作品である。
※原稿は初演時プログラムより流用、原稿は当時のまま掲載しています。
作品を観客とどう共有するか。現代バレエの振付家にとって、なかなかに難しい問題だ。芸術の純粋性を主張し過ぎると難解になることが多いし、娯楽性により過ぎると作品の品が失われるからだ。ダンスには言葉がない。抽象的かつ内面的な主題を他者にいかに伝えるかは、振付家の手腕が問われるところだ。来季より新国立劇場の舞踊芸術監督に就任するデヴィッド・ビントレーは、軽妙かつ洒脱にこの課題をこなし世界的にも人気の高い振付家だ。英国ロイヤルバレエ・スクール出身で、フレデリック・アシュトンとケネス・マクミランという巨匠たちが旺盛な創作力を発揮していた“英国バレエ”の黄金期にその空気を吸って成長した。サドラーズ・ウェルズ・バレエ(現バーミンガム・ロイヤルバレエ)で個性の強いキャラクター・ダンサーとして評判を博し、その後振付家に転身。1995年からは、バーミンガム・ロイヤルバレエの芸術監督を務めている。 機知や風刺性に富む彼の作風には、英国のドラマティック・バレエの系譜が強く感じられる一方で、今を生きる観客を魅了してやまない同時代の感覚が息づいている。社会批評的な視線も言語的文脈のなかで直線的に処理されることが多いマクミランの作品などに比べ、ビントレーの場合は、言語の文脈を尊重しつつ、深刻なテーマも洒落たアイロニーにくるんで提出する。扱い方が、徹底的に違うのだ。
柔軟で、軽やか。創作の手法としては、ボードヴィルなどの表現や民俗舞踊などのステップも意欲的に採りいれたアシュトンとの親近性が強いかもしれない。出世作となった『ペンギン・カフェ』(1988年)では、絶滅危惧種の動物たちを小粋な服装でユーモラスに踊らせ、瀕死の状況に陥っている地球環境の現実を観客の心にやさしく喚起した。軽やかな手つきで本質を突く、その新鮮さが人気の秘密だ。ビントレーによって新国立劇場で新制作された『アラジン』(2008年)の楽しさは、記憶に新しい。今回、再演される『カルミナ・ブラーナ』(1995年)は、そのビントレーの才能が遺憾なく発揮された代表作である。カール・オルフの手になる有名な世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」(1937年)の音楽的魅力を引き出しつつ、主題を現代的に読み直し、大きな力=運命や歴史の流れに絡みとられていく人間の普遍的な姿を説得力のある振付で描き出している。オルフの「カルミナ・ブラーナ」は、冒頭と終幕に大合唱を置き、<春に><居酒屋にて><求愛>の三つの場で構成される。ビントレーは、合唱の力強さと曲の美しさを味方につけ、時にポップ感覚を活かした多様な振付を駆使して、いじらしくも滑稽な人間の葛藤を表出している。生の根源にある欲望に導かれ、俗世界に呑み込まれていく三人の神学生の遍歴を、慈愛のこもったまなざしでシンボリックに描いた。
振付の構成が卓抜だ。音楽と溶け合う途切れることのないダンスの流れから主題が自然に浮き上がってくるのがいい。シンプルかつ印象的な冒頭のシーンは、一度見たら忘れられない。黒いミニドレスにハイヒール、目隠しをした女性が大きな舞台にたったひとりで力強く踊る。世界を支配する「運命の女神」の圧倒的なソロで、支配的な力と美を兼ね備えた魅惑的な女神(運命)の姿がそこにある。次いで、頭上を覆う無数の巨大な十字架に抗うように男性ダンサーたちがエネルギッシュな群舞を展開する。この場は、主人公である神学生たちの内面、宗教的な抑圧と解放への憧れが端的に表現されて秀逸だ。音楽の力とシンプルだが象徴性豊かな美術を活かしながら、ダンスの動きを効果的に爆発させる力量は、ビントレーの振付家としての大きな魅力のひとつだろう。場面ごとに変化する多様なスタイルの振付には、バレエの正統的な技法の上に、今日的でポップなステップ、あるいは明るく官能的なレビュー仕立ての演出や仕掛けが取り込まれていて、威力を発揮する。神学生たちのソロにも、その個性と内面的な問題がうまく視覚化されている。リバーダンス風の単純だが弾むようなステップが、初恋の湧きあがる昂揚感を表し、敏捷な動きで紡がれる緊迫感溢れるソロは信仰の破戒と戒めを解いたスリリングな開放感を的確に表現している。
大きな羽の扇子を手にしたバレリーナが演じる聖なる白鳥─「焙られた白鳥」は、性的対象物としての女性の存在をシニカルに表現し、振付家自身の言葉を借りれば風刺画家“ジョージ・グロス”もどきの戯画化された奇怪な人物たちの餌食となってしまう。ここではキャバレット的な演出が効を奏して、男性の心をそそる存在であることを女性自身が充分に承知しているという設定だ。憧れとなる女性の純粋ささえも、幻影でしかない。<求愛>の場も、宗教の理想主義への挑発をこめて、売春宿に設定されている。そこで踊られる男女のアクロバティックなパ・ド・ドゥは、官能的でありながら皮肉にも十字架の軌跡を描く。人生の意味を真摯に求めながら、聖と俗の間で悩む神学生の姿には哀感が漂う。終幕は、舞台を圧するコーラスを背景に、無数に増殖した運命の女神が舞台いっぱいに広がり、若者たちを踊りの渦へと巻き込んでいく。運命の掌中にあることを示す苛酷な呈示だが、ダンスのエネルギーが人間に根ざすしたたかな生命力を謳い上げる。現代バレエの作品では、“わかりやすさ”を軽視し、避けようとする傾向が見られるが、ビントレーはむしろそれを武器に観客に寄り添い、主題を共有してその奥にあるものをともに考えるという姿勢を好んでいるようだ。妙味のあるアイロニカルな描写の数々が一筋縄ではいかない人生の真実を浮上させた時、観客が思い至らせられるものは大きい。
この作品でも、表面的な宗教の教えよりは、現実の人生でいかに生きるかが問われている。前回、「運命の女神」を踊った湯川麻美子をはじめ新境地を拓いたダンサーも多い。今後、才人ビントレーの指導の下で新国立劇場バレエ団がどんな変貌を遂げてくれるか鶴首して待ちたい。
(2010年プログラムより)
〒151-0071 東京都渋谷区本町1丁目1番1号TEL : 03-5351-3011(代表)
東京都渋谷区にある新国立劇場は、京王新線「初台駅」(中央口)から直結!「新宿駅」から1駅です。