見どころ

豪華絢爛グランド・バレエの超大作、ついに新制作! 目覚めに向けてカウントダウン・スタート!

ペローの童話に基づくバレエ『眠れる森の美女』は、チャイコフスキー三大バレエのなかでも最もスケールが大きい作品です。音楽の多彩さのみならず、舞台の豪華さは他に類を見ません。オーロラ姫の誕生から100年の眠りを経て王子とめでたく結婚するまでの物語が、チャイコフスキーの美しい音楽に載せて、豊かな情感と繊細な色彩感覚たっぷりに踊り綴られます。
新制作の当作品の振付に当たるのは、ウエイン・イーグリング。
イーグリングは英国ロイヤル・バレエでプリンシパル・ダンサーとして活躍後、オランダ国立バレエやイングリッシュ・ナショナル・バレエの芸術監督を歴任した振付家です。舞台装置や衣裳はヨーロッパの香り漂う繊細で優雅な雰囲気一杯、グランド・バレエにふさわしいゴージャスなものになります。
2014/2015シーズンの開幕公演にふさわしい豪華で華やかな舞台となります。忘れられない極めつけの舞台をお約束します。どうぞご期待ください!

東京公演後には、第3幕「オーロラの結婚」他を新潟県民会館(新潟県)で上演予定です。 詳しくはこちら

ものがたり

プロローグ

オーロラ姫の誕生パーティにリラの精たちがお祝いにやってくる。喜びにあふれたパーティの真っ最中、召使があわてふためいて飛び込んで来て、悪の精カラボスの到来を告げる。式典長のカタラビュートがカラボスを招待し忘れ、激怒したカラボスがパーティに乗り込んできたのだ。よりによって彼女を忘れるとは・・・。カラボスはまがまがしく予言する、「姫は編み針が指に刺さって死ぬだろう」と。リラの精は姫の身を守ることを誓い、父である王は予言を阻止すべく国内での編み針の使用を禁ずる。

第1幕

オーロラ姫の16歳の誕生日、村の若者たちもお祝いのために花束を用意している。
賑やかにパーティが開かれ姫の花婿候補も宮殿にやってくる。

老婆からバラの花束を受け取ったオーロラ姫はくるくる回りながら楽しげに踊っているが、突然ぐったりとして倒れてしまう。
花束の中に編み針が隠されていたのだ!
そのとたん、老婆がマントを脱ぎ捨てるとカラボスが正体を現し、高笑いをしながら姿を消す。

リラの精はカラボスの魔法を完全に消すことはできなかったが、死の予言を眠りに変えることができた。
リラの精の魔法の杖の一振りで王国全体が長い長い眠りにつく。

第2幕

100年が過ぎ、森ではデジレ王子たちが狩りをしている。
王子が一人になるとリラの精が現れ、王子にオーロラ姫の幻影を見せる。
オーロラ姫の幻影に魅せられた王子は、オーロラ姫に会うためにリラの精とともに深い眠りに沈んだ宮殿に向かう。
樹々が生い茂る宮殿の前には、眠りの王国へ侵入するものを追い払うためカラボスたちが番をしている。
しかし悪の精カラボスもリラの精の前では無力であった。
デジレ王子は、ついにオーロラ姫を探し出し接吻する。すると姫は目を覚まし王国全体も蘇った。

第3幕

二人の結婚式にはおとぎ話の登場人物たちもやってきてお祝いをする。フロリナ王女と青い鳥、長靴をはいた猫と白い子猫、赤ずきんと狼・・・・。

最後にオーロラ姫とデジレ王子がしあわせ一杯に踊る。

原作

そもそもの「眠れる森の美女」 のお話はこうでした。

 「眠れる森の美女」、わたしはずっと、美女が森で眠っているのだと思っていました。「眠れる」は「美女」にかかる修飾だと思っていたのです。それが、違いました。ある日何気なくフランス語のタイトルを見たら、「眠れる」は「森」にかかっていました。「眠れる森の美女」は「眠れる森」の「美女」、つまり眠るのは森だったのです。ヒロインが眠る城は森につつまれ、森全体が人も動物も植物も、そしてかまどの火のようなものまでが、百年の眠りを眠るのですから、たしかに「眠れる森」です。だったら、「眠りの森の美女」のほうが誤解がなく、わかりやすいかもしれません。でも、やっぱり「眠れる森の美女」でないと、気分が出ませんね。

 「眠れる森の美女」というタイトルは、17世紀フランスの作家、シャルル・ペロー(1628~1703年)が考え出したものです。ペローは、伝承のおとぎ話に筆を加えて、『過ぎし日の物語集あるいは昔話集 教訓つき』(1697年)という、やたらと長い題名の本を出しましたが、そこにこのお話は、「サンドリヨン(シンデレラ)」や「赤ずきん」「青ひげ」といった有名なおとぎ話とともにおさめられています。むしろ、これらのおとぎ話はペローによって有名になった、といったほうがいいのかもしれません。
 「教訓つき? 楽しいおとぎ話が読みたいのに、そんなおまけはけっこう」と思われますか? お気持ちはわかりますが、意外や、この教訓が面白いのです。たとえば「眠れる森の美女」は、「きょうび、百年も愛の告白を待ってくださるご婦人など、そうそういらっしゃいません」、そして「昨今のご婦人方の結婚願望のはげしいのなんの、わたくしなどそのような方がたに、結婚の幸せという果報は寝て待て、なんてご忠告もうしあげる度胸はさらさらございません」という教訓でしめくくられています。教訓というより、まるで落語の落ちみたいです。ペローは、太陽王ルイ14世の宮廷の大立て者でしたが、当時流行のロマンティックなおとぎ話に熱中している貴婦人たちをちょっとからかってやれ、という思惑があったのだと思います。物語そのものも、随所にウイットがきいています。

 王子のキスで姫は百年の眠りから目を覚まし、ふたりは結ばれた……あなたが知っている「眠れる森の美女」の物語はこうではありませんか? けれど、ペローの物語では、王子はキスをしません。王子がキスをするようになったのは、ペローから百年ちょっとあとの、ドイツのグリム兄弟(ヤーコプ1785~1863年、ヴィルヘルム1786~1859年)による物語(初版1812年)からこのかたで、こちらのタイトルは「いばら姫」です。チャイコフスキーのバレエ組曲でも、王子はキスをしますが、このバレエ組曲は、タイトルをペローからとり、筋はグリムによっています。ディズニーのアニメも、タイトルはペロー、筋はグリムです。きっと、バレエを踏まえているのでしょう。
 では、ペローのお姫さまはどうやって目を覚ましたのでしょう? 王子が近づくと、ちょうどその時、百年が過ぎたので、自然に目を覚ましたということになっています。そんな都合のいいことがあるかしら、と思われるかもしれません。 でも、おとぎ話には、「ちょうどその時、その場所に」という約束事があって、そこではなにごともきっかりの時と場所で起こるのです。百年というきりのいい数字も、長い年月を表すとともに、いわば「きっかり感」を強調しているのだろうと思います。
 ヒーローやヒロインとは、「ちょうどその時、その場所に」めぐりあう運命の人たち、といえるでしょう。ですから、眠っているあいだに、ろくでもない王子がやってきたらどうしよう、などという心配は無用です。ちょうど百年目に、お姫さまが眠っているまさにその場所にたどりつくのは、それだけでもう選ばれたすばらしい存在だ、というのが、おとぎ話の暗黙の了解なのですから。

 ところでペローは、グリムもバレエも口を閉ざしている「それからのふたり」を語っています。それは、ふたりのあいだに子どもがふたり生まれた、という驚くべき後日談です。でも、驚くのはまだ早いというもの。ペローよりもさらに古いイタリアのバジーレ(1575~1632年)の話でも、やはり子どもがふたり生まれますが、こちらはヒロインが眠っているあいだに生まれることになっているからです。なんともおおらかなものです。ともあれ、子どもたちの誕生を語る話のほうが古いということは、こちらがもともとの形だったのでしょう。
 しかもペローの話もバジーレの話も、子どもたちが生まれてめでたしめでたし、で終わるのではありません。続けて、王子の母は人食い鬼の一族で、あろうことか孫たちと嫁を食べようとする、というとんでもない展開を見せるのです。もちろん、ヒロインたちは土壇場で救われ、こんどこそおとぎ話は幕を閉じます。グリムは、ふたりの結婚後のこうしたおどろおどろしいドラマをカットしてしまったのです。そして、それが時代の好みに合って主流となり、チャイコフスキーへ、さらにはディズニーへと受け継がれた、というわけです。
 そのグリムの「いばら姫」では、王子がやってくると、城をとりまく茨の垣根に、いっせいに薔薇の花が咲きました。ところで、花はそれまでにも毎年咲いていたのでしょうか。グリムはそのあたりのことをなにも語っていませんが、たぶん咲かなかったのだろうと思います。おとぎ話では、語られないことは起きなかったことだからです。薔薇は百年目に初めて咲いたとするのが、おとぎ話の暗黙の了解です。城の塔も見えないほど高く生い茂ったいばらの垣根に、べた一面、薔薇が咲く。それもいっせいに。息をのむほど美しい光景です。眠りの森は薔薇の香りにむせかえったことでしょう。

 ときに、グリムの話にはいわゆる悪者が出てこない、ということにお気づきでしょうか。「悪い仙女がお姫さまに、15のときにつむに刺されて死ぬ運命をさずけたのではなかったの?」というご質問はもっともです。たしかに、そういう仙女は出てきます。でも、彼女は悪者ではありません。王さまが誕生祝いに招いてくれなかったので、怒ってしまっただけです。ペローでもそうです。妖精は、自分ひとりが忘れられてしまった腹いせに、お姫さまに不吉な運をさずけたのです。根っからの悪者だったわけではありません。そこが、バレエの物語とは違うところです。バレエでは、邪悪の妖精カラボスは、やはり祝いの宴に招かれませんでしたが、台本は、それは邪悪な存在だったから、といっているように思います。
 お姫さまの誕生祝いに招かれて、さまざまな運をさずける、ふしぎな力をもつ女たちは、すでにギリシア神話に出てくる運命の女神です。日本にも、子どもが生まれた家にやってきて、いろいろな運をさずける産神の昔話があります。人の一生は、生まれた時にどこからかやってくるこの世のものではない存在によって決められる、人間にはどうしようもないのだという考え方、つまり運命論は、世界各地にあるようです。
 運命の女神は、ペローでは7人、グリムでは12人、バレエでは6人に、それぞれあともう1人と、かなりの大人数です。けれども、ギリシアからヨーロッパに広がる口伝えでは、女神は3人です。ギリシアではモイラと呼ばれた運命の女神たちは、子どもが生まれた家にやってきて、子どもの運を定めます。その時、寿命や死に方まで定められるので、親たちは少しでもいい運をさずけてもらおうと、女神たちをうやうやしくもてなすのですが、粗相があったために女の1人が機嫌をそこねて、子どもにとんでもない運をさずける、というのが、おおかたのあらすじです。 女たちは、歓待すればそれに応えてくれるけれど、そうでなければ相応の仕返しをするために、尊敬され、恐れられる存在ではあっても、根っからの悪者ではありません。
 モイラたちは、紡ぎ女として現れることがあります。これは、人の一生を、紡がれ、測られ、切られる糸にたとえることからきています。また、紡ぐのは若い女性、測るのは母親、切るのは老婆というように、3つの世代の女性によって創造の相、維持の相、破壊の相を表すのは、人類のもっとも古い世界観だといえるでしょう。わたしたちにおなじみのおとぎ話で、糸つむぎが大きな意味をもっているのは、この太古の記憶をはるかに反映しているからだと思います。

 わたしはかつて、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」というオーケストラ曲に語りをつけたことがあります。これは、眠り姫が眠っているあいだ、ペローのほかのおとぎ話を夢にみる、という想定のバレエ組曲で、題名からはちょっとわかりませんが、これも「もうひとつの『眠れる森の美女』」とでもいうべきバレエ音楽です。バレエはさまざまな物語をしぐさや舞台装置で表現しますが、それに代わって語りを音楽にかぶせ、CDにしよう、という試みの、台本を担当したのです。
 その最後の、姫がゆっくりと(と、音楽は表現しています)目を覚まして言うせりふ、それに応じる王子のせりふを、こんなふうにしてみました。
「お待ちしていましたわ、あなたが生まれる、ずっと前から」
「お慕いもうしておりました、ぼくが生まれる、ずっと前から」
 ところが、レコーディングの時、このやりとりが音を邪魔しているように感じたのです。それで、カットを提案したら、指揮者とプロデューサーが気色ばんで、「どうして?」と口をそろえて反対しました。このふたりは男性でしたが、わたしよりもロマンティストだったのでしょうか。ともあれ、おかげで姫と王子のやりとりは救われました。めでたしめでたし、でしょうね、たぶん。

(『眠れる森の美女』2005年プログラムより。執筆:池田香代子氏)

上演史

プティパ・バレエの最高傑作、「眠れる森の美女」初演からその上演史をたどる。

 バレエ『眠れる森の美女』は、1890年にペテルブルグの帝室マリインスキー劇場で初演された。数々のプティパのバレエの中の最高傑作と言われ、あらゆる面で完成度が高い。発案は当時帝室劇場のディレクターであったフセヴォロシスキー。それをもとにプティパが台本を書き振付演出を行ない、同時にチャイコフスキーが音楽を作曲した。
 本来、子供向けのような御伽のバレエを嫌ったと言われるプティパが、ペロー童話を原作とするバレエ『眠れる森の美女』に着手することになったことには、当時のロシアの社会状況が反映されている。1847年にフランスからロシアのペテルブルグにやって来て、帝室マリインスキー劇場でダンサー兼振付家として働き始めたプティパは、それまでロシア・バレエ界を指導していたペローとサン=レオンがロシアを去った後の1869年に、彼らの後を引き継いでリーダーとなる。だが1870年代前半は、貴族自らが農奴制を廃止して民主的な社会を築こうとしていたロシアのこの時代の気運を、外国人のプティパが他の芸術ジャンルのように作品に反映できず、プティパのバレエがロシア社会の中で浮いてしまっていたきらいがあった。しかし70年代後半には、ジャーナリストのフデコーフの台本執筆協力もあって、当時ロシアの人々の心をとらえた「自分の生き方を自分で選択し、そのためには死をも厭わない女性(オストロフスキーの『雷雨』、トルストイの『アンナ・カレーニナ』等々)」を、『バヤデルカ』(1877)、『ロクサナ――美しいモンテネグロ人』(1878)、『ゾライヤ――スペインのモーリタニア娘』(1881)などで描き、プティパのバレエが、文学や演劇と並んでロシアの芸術の潮流に組み込まれ、帝室劇場の常連貴族だけではない広い観客層に支持されるようになった。 マリインスキー劇場 ペロー

 ところが、『ゾライヤ』が初演され、その舞台評がまだ掲載されるかされないうちに、皇帝アレクサンドル2世が暗殺されてしまったのである。盛り上がっていた民主化の気運は一気に押し潰され、国中に反動の嵐が吹き荒れた。そして、厳しい検閲のために、プティパも創作意欲を失ってしまった。そのプティパの危機を救ったのが、帝室劇場の新しいディレクター、フセヴォロシスキーである。
 フセヴォロシスキーがプティパに提案したのは、皇帝に見せるための、皇帝の心を愉しませる、徹底的に皇帝を賛美するバレエだった。そのようなバレエは、検閲で不許可となることがないばかりでなく、その制作費を皇帝が無制限に提供してくれるのであった。こうしてバレエの制作のために目を向けられたのが、国が強大な力を持ちバレエも大きな発展を見せ、フセヴォロシスキーが熱愛していた国フランスのルイ14世時代であり、それを描く題材として、ルイ14世時代に編纂されたペロー童話の『眠れる森の美女』が選ばれたのである。 マリウス・プティパ ヨーロッパにはすでに強大な力を持つ王が存在していなかった19世紀末、徳の高い優れた統治能力で世に調和をもたらし、帝国を繁栄させ、豪華な数々の舞台芸術作品を制作し続ける贅沢ができるのは、もはやロシアの皇帝だけであることを、作品で皇帝に伝え、皇帝を賛美しようとしたのである。それゆえに、初演当時のバレエ『眠れる森の美女』は、男女550人ずつの登場人物を使い(衣裳を担当したフセヴォロシスキーの衣裳スケッチが男女550枚ずつ保存されている)、豪華な衣裳、大規模な舞台装置を用いる贅を極めた作品なのであり、1999年にプティパの活躍したマリインスキー・バレエが完全復元を行うまで20世紀に完全復元が行われなかったのは、この作品の規模の大きさや莫大な制作費が原因の一つでもあった。

 20世紀以降の新演出でまず変えられたのが、王=神の恩寵によってこの世は護られ、調和が保たれているというテーマである。このテーマは、バレエでは、ルイ王朝の「宮廷バレエ」の時代あたりまで主要なテーマとなっていた。バレエ『眠れる森の美女』の中では、王と善の精リラの役が、王=神の存在として描かれている。
 この物語の、王国全体の運命を左右する悪の精カラボスと善の精リラの対立は、バレエでは原作のペロー童話の中での具体的な詳細が省略され、童話の土台となる神話的な、より普遍的で規模の大きな図式が浮き彫りにされている。つまり、この対立は、単に二人の妖精の争いにとどまらず、死、闇、夜、冷たさ、冬等々を内包するカオスと、豊穣や愛、春を内包するコスモスの対立、カオスからコスモスへの移行が描かれている。リラの精に祝福されての第三幕のオーロラとデジレの結婚式は、正にカオスが去った後の、善と愛のみが君臨する調和の世界なのである。この両者の対比は、悪意に満ち歪められた姿勢や鋭い動作で怒りをぶちまける年老いたカラボスと、ゆったりとした美しい動作で、母のような優しさと温かさによって世界を包み込むリラの性格付けによって表現されている。さらにそれ以外に、プティパは、地上的な内容の部分にはマイムやキャラクター・ダンスを用いてクラシック舞踊を使わないという明確な使い分けを行い、カラボスにはマイムとキャラクター・ダンスを、リラにはクラシック舞踊を当てている。クラシック舞踊は完璧で崇高なもの、神聖なるものであるために、そのような表現手段にふさわしい内容を、クラシックで表現すべきと考えていたからである。
 またプティパの初演版では、現在の演出でしばしば見られるようなデジレ王子とカラボスの闘いはなく、カラボスは眠るオーロラ姫を見張ってさえいない。リラがオーロラ姫を眠らせた段階でもうカラボスのカオスの世界は終わっているのであり、姫を目覚めさせるには、神に導かれた王子の真実の愛があれば十分であって、王子自身が悪と闘う必要などはないからである。チャイコフスキーの音楽が描いているのも、カラボスと王子の闘いではなく、初めて会う姫の目覚めを前にしての王子の胸の高鳴りである。カラボスと王子の闘いのシーンが挿入されたのは、ロシア革命直後1922~23年のロプホーフの演出からであった。 初演時のキャスト、第1幕の衣裳にて プティパ版『眠れる森の美女』、サンクトペテルブルク、1890年。第3幕の衣裳のオーロラ姫(カルロッタ・ブリアンツァ)とデジレ王子(パヴェル・ゲルト) 当時は、ロシアの芸術全体の傾向として、雄々しさ、強さなどが強調されたのだった。ロプホーフのこのアイデアは、現代人のアクティヴな生活のリズムに合い、さらに原典版には少ない男性の見せ場を補うことになったため、現在では多くの版で用いられている。
 このロプホーフの演出の時、現在プロローグでリラの精が踊っている有名なヴァリエーションも新たに振り付けられた。ロプホーフは、原則的にはプティパの演出を復元したのであるが、自分がかつてプティパの演出を見た時にはリラはマイムの役だったと主張して、新たな振付を行なった。実際、ロプホーフが見た時には十年以上リラの役を独占し続けていたマリヤ・プティパが、すでに初演のヴァリエーションを踊れなくなり、マイムでその部分をしのいでいたのだった。しかし前述したように、リラの役全てをカラボスと同じようにマイムにすることはありえないのである。実際、プティパ版『眠れる森の美女』の舞踊譜には、リラのヴァリエーションが残されており、プティパのスタイルを尊重して振り付けたロプホーフのものより、さらにゆったりとした調和を感じさせる振付になっている。

 王=神の恩寵のテーマは、1917年のロシア革命後大幅に削除され、新国立劇場が踊るセルゲーエフ版(初演1952年)も、善と悪の妖精の対立に話を留めたお伽話的色合いが濃い。原典版の哲学的色合いは薄められたとはいえ、パステルカラーの舞台の色彩と相まって、原典版にはないファンタジックな幻想性が、セルゲーエフ版の大きな魅力となっている。
新国立劇場バレエ2004年公演よりセルゲーエフ版『眠れる森の美女』  だが、バレエ『眠れる森の美女』のより顕著な特徴は、テーマよりも、振付と音楽の絶妙なコラボレーションにあると言える。それまで目立たずに振付を支える伴奏であったバレエ音楽の分野に、作品のコンセプトをリードする力をもつチャイコフスキーの音楽が現れたことは画期的な事件であったが、そのチャイコフスキーのバレエ音楽の中でも『眠れる森の美女』だけが、同時進行で振付と音楽の創作が進められたのである。原典版を見ると、舞台上の出来事をチャイコフスキーの音楽がいかに雄弁に語っているかがわかる。チャイコフスキーの音楽は、プティパの優雅なゆったりとしたマイムの台詞となって語り、また、プティパの創作に多く見られる、物語らずに踊りの動きそのものの美しさを見せるクラシック舞踊部分では、大勢の群舞とソリストが織り成すポリフォニックな魅惑的舞踊シーンが、音楽に触発され音楽と一体となって出来上がっているのである。正に、バレエ『眠れる森の美女』は、振付の巨匠と作曲の巨匠が成し遂げた偉業である。

 一方、1952年のセルゲーエフ版では、音楽と舞台のシーンの一致を考慮しつつ、マイム部分がかなり削除され、クラシック舞踊もできる限り感情表現のための台詞となるように振り付けられている。これは、1930年代にロシアで生まれ世界に広がっていった20世紀のバレエ創作の主流の一つ、ドラマティック・バレエの手法で行った古典の改変である。セルゲーエフ版のような古典の改変の手法は、とくにロシアで20世紀以降最良の方法とされてきた。バレエは筋の一貫したドラマティックなものであり、感情の深い表現は必須であることが、20世紀のロシア・バレエでは重要視されてきたため、プティパの、内面の表現よりも踊りのフォルムを重視するクラシック舞踊部分と物語を進めるマイム部分の断絶は、好まれなかったのである。したがって、セルゲーエフの改変演出は、マイム、キャラクター・ダンス、クラシック舞踊の性格や役割りを区別した原典版の意図が失われているとはいえ、舞台上の感情の流れが途切れることなく、芝居としての面白さが際立っている。
 さらにセルゲーエフ版の魅力は、舞踊の見せ場の充実度にある。19世紀の作品は、総じて男性舞踊手の見せ場が極端に少ないが、セルゲーエフは、20世紀に著しく発達した男性舞踊を見せるために、苦心して筋の流れが不自然にならないように男性の見せ場を増やし、高度なテクニックを取り入れて、自ら初演の王子となってその理想的な踊り方の見本となったのであった。オーロラ姫の踊りにも20世紀に生み出されたテクニックを違和感なく導入され、プティパ版よりもさらに見ごたえのある舞踊シーンが演出された。そのオーロラ姫の踊りを鮮やかなテクニックでこなし、セルゲーエフ版のこの役のモデルとなったのは、彼の妻であり、新国立劇場にも指導にやって来てダンサーに多くの益をもたらしてくれた、亡きドゥジンスカヤだった。

(『眠れる森の美女』2005年プログラムより 執筆:村山久美子氏)

チケットのお申し込み

目覚めよオーロラ姫、今ものがたりが始まる。バレエ「眠れる森の美女」を是非ご鑑賞ください! 2014年11月8日(土)~11月16日(日)公演!

電話からのお申し込み
新国立劇場ボックスオフィス(受付時間:10:00~18:00
03-5352-9999 電話予約・店頭購入方法
チケットぴあ
0570-02-9999(Pコード : 434-345)
ローソンチケット
0570-000-407 10:00~20:00(オペレーター受付) / 0570-084-003 24時間受付(Lコード : 35401)
CNプレイガイド
0570-08-9990
東京文化会館チケットサービス
03-5685-0650
JTB、近畿日本ツーリスト、日本旅行、トップツアーほか
インターネットからのお申し込み
グループでのお申し込み
10名以上でご観劇の場合は新国立劇場営業部(Tel 03-5352-5745)までお問い合わせください。
アクセス
新国立劇場 アクセスマップ 〒151-0071 東京都渋谷区本町1丁目1番1号
TEL : 03-5351-3011(代表) 東京都渋谷区にある新国立劇場は、
京王新線「初台駅」(中央口)から直結!
「新宿駅」から1駅です。
新国立劇場 アクセスマップはこちら
閉じる
アクセスの詳細はこちら

アクセスの詳細はこちら

サイトマップ
新国立劇場バレエ「眠れる森の美女」をシェアする!
2014/2015シーズン特別支援企業グループ
花王
TBS
TORAY
TOYOTA
ぴあ