新国立劇場 2010/2011 SEASONシーズンオペラ公演

オペラ アンドレア・シェニエ|新国立劇場

断頭台の露と消えた詩人シェニエと伯爵令嬢マッダレーナの悲恋。


オペラ「アンドレア・シェニエ」三澤洋史のエッセイ「見果てぬ夢」


『見果てぬ夢』新国立劇場合唱指揮者 三澤 洋史

もし僕がバリトン歌手だったら演じてみたい役がいくつかある。その筆頭にあがるのが「アンドレア・シェニエ」のジェラールだ。特に第3幕のアリア「祖国の敵」を歌いたい。理由は二つある。まず、このアリアの中にはジェラールの屈折した性格が引き起こすいくつかの相反する感情が同時に渦巻いており、歌によってドラマを描くという点で最も優れたアリアのひとつであるということ。もうひとつは、これが単なる個人の感情の発露である事にとどまらず、「フランス革命の持つ矛盾と葛藤」の姿をいみじくも表現するものであることだ。

自由、平等、友愛を掲げてフランス革命が勃発した。しかしそれは、すっきりと成功してただちに夢のような民主主義が実現し、ユートピアがこの世に誕生したわけではない。むしろ革命は、フランスのその後何十年にも渡る新たな混乱の始まりにしか過ぎなかった。経済は破綻し、市民生活は革命によって楽になるどころかいっそう悲惨となる。ロベスピエールの台頭により恐怖政治が支配する一方で、革命政府に反旗を翻す周辺の国々は、フランスに対する包囲網をじりじりとせばめてゆく。革命政府の一員であるジェラールは、マッダレーナへの横恋慕のために、恋敵であるシェニエを偽りの告訴で死刑へと追い込もうとする。しかし彼はそうした自分自身に対し、罪の意識にさいなまされ葛藤する。

「祖国の敵と言って告発しさえすれば、誰だって好きな奴を死刑にできる。でもこれが、かつて理想に燃えて起こした革命がめざした国の姿なのか?それで、お前は本当にいいのか?」このアリアは、革命への苦い挫折感を担って歌われなければならない。ジェラールのいいところは、彼がイヤーゴやスカルピアではないところ。その後彼は、マッダレーナの真剣な気持ちに打たれて、彼女に対する欲望やエゴイスティックな気持ちを捨て去り、むしろシェニエを救おうと奔走する。ここに僕たちは共感し感動を覚える。
ところがそれをはばむのは民衆だ。恐怖政治に怯える人達は、まるで他人を陥れなければ自らの命が危機に瀕するかのように、異常な興奮状態で容赦なく生け贄を次々と断頭台に送り込もうとする。無実のシェニエも彼らの犠牲となって滅んでゆく。なんという不条理!

演出家のフィリップ・アルローは、さすがフランス人だけあって、フランス革命には特別の想いがある。彼はある時、僕に言った。
「僕たち(フランス人)は、フランス革命がうまくいったから、ラ・マルセイエーズを国歌に定めているわけじゃないんだ。むしろ全てが悪くなり、長い間大混乱に陥ったけれど、そのリスクを背負いながらもどこの国よりも早くチェンジに踏み切った、その勇気を誇りに思っているんだ」

彼は回り舞台を多用する。それはもはやメリーゴーランドかと思うくらい、ぐるぐるめまぐるしく情景を変化させてゆく。回り舞台は価値の転動の象徴。前面にあったものが後方にいき、右にあったものが左にいく。もう、何が正しくて何が間違っているのかさえ分からなくなる世界。そうした舞台が不思議にジョルダーノの音楽とマッチしている。情熱的でまっすぐなジョルダーノの音楽は、革命という見果てぬ夢の中で翻弄されてゆく愛し合う男女を見事に描き出し、聴く者の心に決して忘れ得ぬ印象を残す。
「アンドレア・シェニエ」はオペラ劇場には不可欠な作品だ。それだけに、このオペラをまだ劇場で観ていない人がいたら、僕は是非この演出で観ることを薦める。アルローのフランス人としての熱い想いが、彼の鮮やかな色彩感と相まって、この舞台に凝縮しているのだから。

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断頭台の露と消えた詩人シェニエと伯爵令嬢マッダレーナの悲恋。オペラ「アンドレア・シェニエ」を是非ご鑑賞ください!
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