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鵜山 仁インタビュー掲載。

『ヘンリー六世』鵜山 仁インタビュー

『ヘンリー六世』という大作を一挙に上演するというもの凄い企画は、芸術監督自らのもの。

人間の飽くなき戦いをさまざまな形で描くシェイクスピア作品の中にあって、今シーズンのテーマでもある「戦い」に最もふさわしい。

国家、政治、権力、宗教、血族なとの大きな問題を、時代という長いタームで扱いながら、この物語は個人の細胞の新陳代謝をも写している、と話す演出家が、上演で目指すものとは?


インタビューアー◎徳永京子(演劇ライター)

会報誌The Atre 6月号掲載


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『ヘンリー六世』は葛藤の総和みたいなもの


―― まず、この作品を選んだ理由からお聞かせ下さい。

それが理由か?と言われてしまうかもしれませんが、実に曖昧な作品だからと。そもそも『ヘンリー六世』というタイトルを冠したということからして、実は謎めいている。


―― 確かにヘンリー六世は話の中心にいますが、実質的に歴史を動かしているのは周囲の人々ですね。

一応、「史劇」と分類されますが、王家の歴史をたどった単純な年代記ではない。人間の遺伝子が伝えてきた諸々の戦いの記憶が社会の中に蓄積されていくプロセス。それが、実に上手く記述されています。拾い上げればキリがないですけど、王侯貴族と庶民、男と女、親と子、フランスとイギリス、赤薔薇と白薔薇と、さまざまな葛藤がちりばめられている。その葛藤の中で「ヘンリー六世とは一体何者か?」という問いかけこそが問題なんじゃないかと、今は考えているんです。ジレンマに陥って悩んでいる王様ですが、むしろジレンマを抱え込んだ、葛藤の総和みたいなものが「ヘンリー六世」なんじゃないかと。


―― ヘンリー六世は、歴史というドーナツの中心というイメージも湧きます。それを描くには、周囲をどうとらえて固めていくかが重要になりそうですが。

歴史の蓄積は言い換えればゴミの山みたいなものですよね。美術の島(次郎)さんともそんな話をしていて「巨大なゴミ捨て場のイメージでやりましょう」なんていうアイデアも出ています。ゴミの山の中で行われる血みどろの戦い、ですね。そこには水たまりもあるだろう、船を浮かべればたちまち英仏海峡になるだろう……なんてね。


0903e88bb1e4bb8f-e382a2e38388e383acefbc91efbc89負者を鎮魂するのに、こんなに適した作品はない


―― ゆかりの地を訪ねて取材旅行に行かれたとうかがいました。

戦跡旅行というふれ込みで英仏に行ってきたんですが、見たらかえって混がらがって、今はイメージを一度白紙に戻そうと思っている状態です(笑)。当時の鎧や武具馬車が想像以上に豪華で、どこから金を調達してこんなものをつくったんだろうと思いました。1回着たらもう動けないような鎧なんですよ。これを着て馬から落ちたら、もう終わりだろう。それは、一体どういう戦いなのか、わけがわからないですよね(笑)。でも武器が弓矢から鉄砲になり、ミサイルになってくると、逆に人間は軽装備になっていく。敵と離れた場所にいて普段着で戦えるんだから皮肉なものです。どっちにしろ、戦争を肯定するわけではないんですが、体同士、言葉同士がぶつかり合うことは芝居の原点でもありますし、現地に行って感じたのは、人間が戦いにケリをつけるに至る痛々しくも可笑しい、格闘のプロセス、そういう七転八倒が伝わればいいんじゃないかということです。そして最終的には、鎮魂ができれば。


―― 鵜山さんが鎮めたい魂とは?

マイノリティと言いますが、敗者ですね。新国立劇場で仕事をするようになって、国立が上演する芝居ということを考えるようになりました。そこで感じるのは、芸能というのは負者の魂を慰めるために生まれ、発達してきたものではないかと。「平家物語」も然り、トロイ戦争もしかり。勝って喜んでいる人間よりも、負けた側の魂をどういうふうにすくい上げるか。すくい上げた彼らの無念をどう後世に伝えればいいか。古来、アーティストはそこに心を砕いてきたんじゃないかと思います。

人間に限らずですけど、生物の一生のゴールは死と決まっているわけで、「人間の死亡率は100%」と誰かが言っていましたが(笑)、死んで行く人たちが何をこの先に託していくのかを考えずにはいられません。それに付随して最近気に入っている言葉があります。「人間は考える葦である」というパスカルの有名な言葉、そのすぐ後に続く「他の生き物と違って、人間は自分が死ぬことを知っている」、だから人間は「ノーブル(気品がある)だ」と。それこそがシェイクスピアの世界観ではないかという気がします。「俺はこれとこれを知っているぞ」ではなく、「自分が無力だということを知っている」。それが、この作品と現実を結びつけるキーになるかもしれないという気がします。


―― 『ヘンリー六世』を読むと、登場人物のほとんどが寄ると触ると相手の悪口を言い、ひとりになると相手を陥れる策を練っていて、どれだけ喧嘩好きなんだろうと思います。

本当ですね(笑)。では何のために戦っているのか、ですよね。個人的な利害もありますが、家、国という「公」の利害もある。それぞれのスタンスの違いは、きちんとおさえなければいけないポイントでしょう。


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これだけ長い芝居は、観るほうにとってもつくるほうにとってもワンダーランド


―― 実際の舞台ですが、物理的に非常に長時間の作品ですから、まず観客の方を劇場に呼ぶための工夫、来てもらったら飽きずに観てもらうための策が必要になると思いますが、その点は?

5分に1回ぐらい珍しいことをしようと考えています。


―― それはとても大変なことではないですか。

でも毎回やっていることですから。本篇を7時間半とすると、7×60ぐらいの凄い場面を仕掛けたい。


―― それ、書いていいですか?

基本ですもん、芝居の(笑)。


―― では書かせていただきます(笑)。三部作を通しで観て7時間半というのは目標ですか。

午前11時に始まって午後10時には終わるようにしたいです。「何時間と考えると長いけれど、終わってみれば短い」という、人生のような芝居を目指します(笑)。以前、「グリークス」をやったときにも感じたんですが、長い演目にはある種のノンビリが必要です。だから食事時間も含めて、普段の公演では必要ないことも考えないと。1日の中で劇場にいる時間が圧倒的に長いというのは、つくっているほうにとっても観るほうにとってもワンダーランドです。


―― 1本の芝居で人生が変わることも珍しくないと思いますが、これはそういった”深さ”だけではなく、1日のうちの三分の一を充てる”長さ”の体験でもあって、演劇の日常への侵食ですね。

僕の人生で言えば、芸術監督ではない時間の方が圧倒的に長いわけですが、それでも3年という任期中は、この劇場をいかにみんなのものにしていくかを考え、ためすことのできる特権的な時間です。言っていることがだんだんジジむさくなってきて自分でも嫌ですが(笑)、ゴチャゴチャ言わないで、劇場の中で面白いものをつくることだけをひたすらに考えていればいいのかもしれないけど、ついつい、内と外、劇場と外の世界ということを考えてしまう今日この頃って感じです。


―― 『ヘンリー六世』は、その壁を突き崩す足がかりということですね。ところで蜷川幸雄さんも年明けに『ヘンリー六世』を彩の国さいたま芸術劇場で上演される予定がありますね。ある取材で「鵜山さんに戦いを挑むつもり」とお話しになっていました。

それは大変光栄と言うか、まあ望むところですね(笑)。そういう(2つのカンパニーが同時期に上演)ところからもぜひ多くのお客様に興味を持っていただきたいと思います。
ぜひ見比べてください。

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