長い墓標の列

「長い墓標の列」顔合わせ
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2005年に開設された新国立劇場演劇研修所。
現在8期生までが在籍、研修所修了生達はさまざまな公演に出演しています。
研修所の講師も務める宮田芸術監督は、ベテラン俳優達とともに修了生と、硬質な作品を制作するシリーズを企画しました。その第一弾として、福田善之の『長い墓標の列』をお届けします。
『長い墓標の列』は、東大経済学部の河合栄治郎事件をモデルに、1957年に早大劇研によって初演され、その後改訂版が58年に「ぶどうの会」で上演、63年には「劇団青年芸術劇場」で上演されています。60年安保闘争時の学生運動、政治運動の中での作家自身も投影されているような印象を与えます。
近年、『真田風雲録』や『袴垂れはどこだ』など、初期の福田作品の上演が見られますが、『長い墓標の列』も含め、どちらにも寄らない冷徹で、しかし熱い視点で描かれた群像劇は、この時代において改めて訴える力を持っているのでしょう。

ものがたり

昭和13年秋、時代は軍部主導によるファシズムに傾倒し、大学自治も国家主義・全体主義の風潮の中、その自由を失おうとしていた。 
経済学部教授の山名(純理派)は、自治を制限する文部省案を支持する革新派と、ただ一人教授会で戦っていた。
弟子の助教授城崎、助手花里、今は新聞記者である千葉たちも教授会の行方を固唾をのんで見守っていた。
結果は山名の勝利に終わったが、勝利により逆に大学を追われる可能性、また身の危険を案じた千葉は、山名に転向することを勧めるが断られる。
政府は即座に山名の出版物を発禁処分とし、辞職させるようにしむける。学部長の村上は、逆説的ではあるが大学の自治を守るためにも自主退職してほしいと山名に頼むが、山名は自らの思想を裏切ることは人間存在に対する裏切りだと拒否する。
山名の休職発令を受けて、城崎、花里は一度は大学に辞表を提出したが、その後翻意して復職することを決める。弟子たちの裏切りに対し大きなショックを受ける山名。
昭和19年。激しい空襲警報の中、もはや浪人となった山名は狂気にとりつかれたように机に貼り付き研究している。情勢は山名の予想通り悪化の道をたどっていた。そこに、教授になった城崎があらわれ、花里が戦死したことを告げる。山名は薄れゆく意識の中で、最後まで城崎に自らの理想的自由主義的社会主義を反問しつづける…。