『東海道四谷怪談』は 1825(文政8)年、江戸三座のひとつ、中村座で初演された、四世鶴屋南北の代表的な芝居です。初演以来、本家の歌舞伎は言うに及ばず、平成の今日まで、落語、現代劇、映画、テレビから絵画、漫画、アニメーションまでジャンルを越えて様々なかたちで繰り返し上演、上映され、海外の舞台人にまで多大な影響を与えています。
元禄期に実際に起きた刃傷沙汰や、巷に残る伝説などを基に、71歳の南北が『忠臣蔵』の外伝という体裁で書きおろし、初演は『仮名手本忠臣蔵』と抱き合せで上演されました。男女間の愛憎や人間の業ともいえる暗部を赤裸々に描き、視覚的にも楽しませる舞台の仕掛け、エンタテインメント性の高い演出、登場人物の活力に満ちたキャラクター創造など、いまなお観客の共感と好奇を呼び続けている人気狂言です。
今回、その舞台を演出するのは、2011年『ゴドーを待ちながら』、13年『エドワード二世』で豪快にして緻密な演出力を遺憾なく発揮した森新太郎。お岩以外は全て男性キャストが演じる今回の舞台をどうぞお見逃しなく!!
赤穂浪士(あこうろうし)の仇討ちを題材にした『仮名手本忠臣蔵』は、当時の幕府を憚り、物語を室町時代におき、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)を塩冶判官(えんやはんがん)、吉良上野介(きらこうずけのすけ)を高師直(こうのもろなお)、大石内蔵之助(おおいしくらのすけ)を大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)など、史実の氏名を変えて上演されました。当時すでに古典(人形浄瑠璃の初演は寛延元年〈1748〉)だった『忠臣蔵』の世界を、四世鶴屋南北がその外伝として芝居に仕立て、77年後の文政八年(1825)に初演されたのが『東海道四谷怪談』です。
江戸・中村座の初演の時は、『忠臣蔵』と組み合わせて二本立て興行として二日がかりで全編が上演されました。
- 一日目:『忠臣蔵』大序〜六段目
- 『四谷怪談』序幕〜三幕(隠亡堀)
- 二日目:『四谷怪談』三幕(隠亡堀の場)
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『忠臣蔵』七・九・十段目
『四谷怪談』四幕(三角屋敷)〜五幕(蛇山庵室)
『忠臣蔵』十一段目(討入り)
「表」にあたる『忠臣蔵』は忠義の世界、その裏では「仇討ちも忠義も興味がない」無頼の男、底辺に生きる人々を主人公に据えた『四谷怪談』という裏表の合わせ鏡的な趣向でした。
『四谷怪談』の主要人物はすべて塩冶家か、高家の縁者という設定で、民谷伊右衛門は『忠臣蔵』の刀傷事件により浪人となり、お岩の父親の四谷左門もまた塩冶の浪人という案配です。
四世鶴屋南北(1755〜1829)は江戸期を代表する歌舞伎作者。出世作となったのは『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』ですが、これは五十歳の時の作品と遅咲き。しかし、今日でも人気狂言として上演されている『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)』『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』など、七十五歳で没するまでの後半生でヒット作を連発。『東海道四谷怪談』は晩年の七十一歳の時の作で、実在した「お岩」をヒロインとし、今でいうワイドショー的な血なまぐさい事件や伝説を素材に、お客のど肝を抜く趣向をふんだんに取り入れ、五幕十一場の芝居に仕立てて人気を集めました。ちなみに、お岩の悲惨な死に様は南北のオリジナルです。
