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<ギャラリープロジェクト>演劇は"不安"をどう描いてきたか(後編) 現在のニューヨークと"不安"
新国立劇場 演劇芸術監督 小川絵梨子 × 『ザ・ヒューマンズ』翻訳 広田敦郎 × 演劇研究者 關 智子
後編では、新国立劇場 演劇芸術監督の小川絵梨子と『ザ・ヒューマンズ―人間たち』翻訳の広田敦郎に加え、現在、ニューヨークに滞在している演劇研究者・關智子を迎え、ニューヨークの現在、そして演劇に見る「不安」について語る。

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前編『ザ・ヒューマンズ─人間たち』に見る"不安"
ニューヨークの今
小川:2025年1月に共和党のドナルド・トランプが再び大統領になりましたが、今、ニューヨークの街や人々の空気感をどのように感じていますか?
關:ニューヨークは広いアメリカの中でも最もダイバーシティ・インクルージョンが進んでいる都市なので、周りにはいわゆるマイノリティと呼ばれる人たちが非常に多い。おそらく日本の方が想像する以上に多いです。そういう環境にいると、トランプ政権がやろうとしていることは不可能に思えるくらい実情からはかけ離れているように感じます。今、トランプ政権が大学と留学生を標的にしていますが、その最初の標的がコロンビア大学でした。私はコロンビア大の近隣にある国際寮(International House)に滞在しているので、大きな騒ぎになっているのも体感しました。トランプ政権からどんな法案が出てくるか分からない状況なので、国際寮の中も揺れ動いています。
小川:経済は今、どうなのですか?
關:私の周りではとにかく物価が高いという話を多く聞きます。ただ、お店が次々と閉店するということはないので、経済的な混乱はそこまで大きくはないのだと思います。肌で感じているのは、日本人の観光客が少ないこと。それから、チップ制度に対する反発がすさまじいことです。今、チップは20% がスタンダードです。物価も上がっているので20%は非常に多く感じます。

アイデンティティの問題を描くニューヨークの演劇
広田:そちらでご覧になっているお芝居で、今の政権下の不安や恐怖、ニューヨークの生活の現状がよく現れている作品はありましたか?
關:私が観ているもの半分以上が、アイデンティティの問題を扱った作品でした。
小川:アイデンティティの問題!?
關:SOGI(※Sexual Orientation and Gender Identity/すべての人が持つ性的指向と性自認に関する包括
小川:そうした作品も日本で上演しても良いように思いますが、どう思われますか?
広田:キャスティングの問題が大きいですよね。例えば、ミュージカル『ハミルトン』はアメリカ独立革命の物語ですが、史実では白人だった多くのキャラクターに非白人の俳優がキャスティングされ、多様なルーツを持つ観客が「自分も、移民を主体に発展してきたこの国の正統な構成員なんだ」という誇り、愛国心を持てるお芝居になってます。特にこの10年、多民族、多文化を背景にした作品がものすごく増えた印象を受けますが、すぐ日本語に翻訳して上演しようってことにはなかなかならない。キャスティングの問題に加え、日本のお客さんにとっても、自分の生活経験を通してすっと入っていける物語が多くないんだと思います。
關:そうですね。アメリカで観劇をしていて日本との大きな違いを感じるのは、そうした作品を当事者の人たちが観ているということです。日本とは客層が違います。例えば、ユダヤ教徒の物語を演劇でやるというので観にいくと、客席にはユダヤ教徒の人たちがいっぱいいる。それは日本では体験できないことです。私にとっては、そうした客席を体感することが新しい体験です。もちろん、日本で教育のために上演することも意義があると思いますが、全く違う観劇体験だと思います。
広田:2022年に新国立劇場で『レオポルトシュタット』を上演して間もなく、同時期に開いたニューヨークでの上演も見たときも、雰囲気の違いを感じました。ユダヤ人の役には全てユダヤ系の俳優がキャスティングされてて、客席にもユダヤ系のお客さんが多く、「うちのおばあちゃんはね」みたいな会話が終演後に聞こえてくる。「自分たちの物語」として観てるんですね。日本でこうした作品を観る場合、知らない世界の物語に自分の人生と響き合うものを見出して共感する、感動する、という人が大半でしょう。

小川:つい先日、カナダの国立劇場の芸術監督の方と話す機会があり、今、例えばフィリピン系のコミュニティの作品を上演するとその方たちがきてくれるし、カナダに元々住んでいた方たちのお話を上演すると、その方たちが観にきてくれる。そうした多様性を持つことで観客の数もどんどん増えているとおっしゃっていたのを思い出しました。日本でアイデンティティを描いた翻訳劇を上演するとき、例え当事者としては分からないことがあったとしても、物語や演劇の人と繋がるパワーによってそこには何か希望が見えるのではないかと私は思います。私たちは当事者ではないから100%は届けられないかもしれませんが、でもそれを必要としている方はいると思います。
広田:日本で翻訳上演した作品の映像を、あるアメリカ人に見せたとき、「これってappropriationだよね」って言われたことがあります。いわゆる文化の盗用ですね。例えば、アフリカ系の人物は日本でもアフリカにルーツを持つ俳優が演じるべきだ、と僕は思います。実を言うと、じゃあ白人の物語をそうでない日本人が演じるのは本当にいいんだろうか、というのも最近よく考えてしまうんです。伝えるべき物語がそこにあるんだから、と自分を納得させようとはするんですけど、すべての翻訳上演に多かれ少なかれついてくる問題だと思います。
小川:それは答えを出すのが難しい問題ですよね。
關:2018年、カナダではロベール・ルパージュの作品(『Kanata』)が制作途中で中止になったことがありました。ルパージュは、カナダの先住民の物語を描こうとして、その俳優さんにカナダの先住民にルーツのある人じゃない人をキャスティングしようとしていたそうです。それで問題になり、制作中に中止になってしまった。それに対して、そもそも演技は他者になることではないのかという話が持ち上がって、大きな議論になったそうです。
広田:確かに。でも例えば、トランスジェンダーの役にシスジェンダーの俳優をキャスティングするのは本当にいいのか、っていうのは日本でも考えなきゃいけないことです。
小川:おっしゃる通り、本当にそれはずっと議論をし続けなければいけないことだと思います。

「不安」を描いた演劇
広田: 『ザ・ヒューマンズ』は、今という時代を生きる人々の「不安」をテーマにした作品なんですが、そもそも演劇というのは歴史上、始まったときから不安を描き続けてるよね、と思ったんです。人は常に何らかの不安を感じていて、その気持ちを抱えたまま劇場に出かける。そこで触れる物語から何か気づきを得て、カタルシスを得る。それは演劇の重要な機能だと僕は思います。關さんはほかに「不安」を描いたような作品は思い浮かびますか?
關:現在ブロードウェイでリバイバル上演中の『グレンギャリー・グレン・ロス』(作:デイヴィッド・マメット)という作品が話題となっています。この作品も経済的な動揺とモラルの崩壊が描かれている作品です。
広田:『セールスマンの死』に影響を受けたと言われることもあるお芝居ですね。商品を売れなくなったセールスマン、過酷な資本主義社会の中で挫折した男の物語です。

關:そうですね。すごくアメリカっぽい話だと思います。それから、先日、イマーシブシアターに行ってきて、『LIFE AND TRUST』という作品を観てきました。1930 年代の第二次世界大戦直前のアメリカにおける大恐慌の時代の話を1棟のビルを使って、観客が縦横無尽に歩き回ってダンサーのパフォーマンスを観て、物語を紡いでいくという作品です。どうやらベースとなる物語は『ファウスト』のようで、アメリカの金融で働く人物が悪魔と契約して大金や利益を手に入れる姿を描いています。その作品は、ウォールストリートのど真ん中のビルで上演されていたんですよ。それがすごく良かった。世界経済を回している人たちが働く街で、悪魔がアメリカの経済を牛耳るという物語を観るという体験をさせるあたりがアメリカらしいなと(笑)。イマーシブシアターなので、次に何が起こるか分からないし、どこで何が起こるか分からない。全容を知ることができないけれど、別の場所で起きたことが自分の見ていることに影響してくる、それがすごく不気味であると同時にアクチュアルでした。
小川:それは面白いですね。
關:先ほど、広田さんが劇場に行くことでカタルシスを得られるとおっしゃっていましたが、そのカタルシスは本当に大事だなと私も思います。演劇は終わるので、終わることで何かしらの一区切りがつく。例え解決法が描かれなかったとしても、すっきりしない終わりだったり、何も進展はしなかったりしても、作品は終わるので「終わった」ということである程度のカタルシスを得ることができますが、実社会での不安は解消されないし、終わることができないと、芝居を観ていると感じますね。
広田: 『ザ・ヒューマンズ』の中に「人生を二度も生きるなんて、一度生きるだけでも最悪なのに」という台詞があります。「このつらい人生はいつ終わるの?」という不安がずっとあるってことなんでしょうけど、終わりがないことを演劇で表現するってすごく難しいかもしれないですね。

小川:お二人は「不安」を描いた日本の作品もご覧になっていますか?
広田: 新しいものじゃないですが、『三月の5日間』(作:岡田利規)ってそういうお芝居だったのかなって思います。イラク戦争が起きたときに、当時の若い世代がどんな反応をしたのかを描いてましたよね。あれが何についてのお芝居だったのか、僕はいまも言葉にするのが難しいんですけど、岡田(利規)さんの文体には衝撃を受けました。文がだらだら続いていつ切れるのか分からない話し方にものすごく惹きつけられたのを覚えています。こじつけかもしれないけど、世界で起きてること対する自分の立ち位置がよくわかってない、宙ぶらりんな人たちの不安が現れた文体だったのかなって。
關:岡田さんの作品は、アメリカにいても耳にします。『三月の5日間』ももちろん好きですが、私はその後に書かれた『わたしたちは無傷な別人である』が好きです。タワマンに住む夫婦の話ですが、ある日、見知らぬ男がそこを訪れて大変不気味なことを言い始める、それでも具体的に何かがあるわけではない。不吉なことが起きているのではないかという背景が匂わされるだけであることが、すごく不気味で嫌な雰囲気で好きでした。同じように劇団ほろびての細川洋平さんの作品も不吉さを感じることが多く、「絶対に良いことにはならないよね」という雰囲気を出しています。こうして思い出すと、私が日本にいない間にも観たい作品がたくさんありますね。それに、もし今、私が日本にいたら、今のアメリカの状況をどう捉えているのかなと考えると、アメリカと日本に1体ずつ私がいればいいのにと思うことがあります(笑)。
小川:確かにそれは感じたことがあります(笑)。
広田: 僕はニューヨークには半年しか住んでませんが、やっぱり特別な街だと感じます。ロンドンにお芝居を観に行っても、東京の空気感とそんなに大きく変わらないんですが、ニューヨークの劇場はちょっと違う。自分が違う人間になる気がします。
關:すごく分かります。肌感覚が違う。ニューヨークは、お客さんの「コミットしたい」という思いがすごく強いんだと思います。だから、観劇中もよく笑うし、笑っていることで自分は参加して楽しんでいるのだと自分にも周りの人にもアピールしている。観客の違いを強く感じます。
小川:本日は多岐にわたるお話をお二人から伺うことができ、とても興味深い時間でした。お客様にもこの得も言われぬ「不安」を『ザ・ヒューマンズ─人間たち』の中にも感じ取っていただけたらと思います。本日はありがとうございました。

文=嶋田真己
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