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<ギャラリープロジェクト>演劇は"不安"をどう描いてきたか(前編) 『ザ・ヒューマンズ─人間たち』に見る"不安"
新国立劇場 演劇芸術監督 小川絵梨子 × 『ザ・ヒューマンズ』翻訳 広田敦郎
劇作家・脚本家として活躍するスティーヴン・キャラムのヒット作、『ザ・ヒューマンズ─人間たち』。マンハッタンの老朽化したアパートを舞台に、感謝祭を祝うために集まったある家族の会話から、貧困、老い、病気、愛の喪失、不安、宗教をめぐる対立などが浮かび上がる一夜を描いた本作を、新国立劇場・芸術監督の小川絵梨子と『ザ・ヒューマンズ』翻訳の広田敦郎が読み解く。

6つの"不安"を描いた物語
小川:まず初めに『ザ・ヒューマンズ』が描かれた背景を教えてください。
広田:作家がインタビューで、自身の抱える不安について考えていたことをきっかけに書いた、と答えているのを読んだことがあります。戯曲の冒頭にも、不安に関する3つの引用があります。その1つはナポレオン・ヒルの『思考し、富を成せ』(邦訳版『思考は現実化する』)に書かれた、人は皆6つの基本的不安が重なることで苦しむ、というものです──「貧困への不安」「批判への不安」「病への不安」「誰かの愛を失うことへの不安」「老いへの不安」「死への不安」です。どの登場人物もこれらの多くを抱えていて、不安の総合商社みたいな戯曲です。元々は『暗くなるまで待って』(注:1966年/脚本フレデリック・ノットによる作品)のようなスリラー劇に対する一種のオマージュとして書き始めたものが、だんだんと怪談へ変貌していそうです。
小川:最初はスリラーを想定しながら執筆していて、徐々にホラーテイストになっていったというのは、意図的にしたことなのですか?
広田:分かりませんが、おもしろいスタイルですよね。ただ、これはスティーヴン・キャラム自身の「感情の自伝」だということも言っています。本作の舞台はニューヨーク、マンハッタン南部のチャイナタウン、2層構造(1階と地下)のアパートですが、キャラムさんは実際にチャイナタウンに住んでいるようですね。また、この劇を最初に構想したのは、マンハッタン北部のアッパーウェストサイドにある地下の部屋に住んでいたときだそうで、彼にとってはすごくリアルな設定なんでしょう。本作の舞台となるアパートに住むブリジッドとその姉エイミーは、ペンシルヴェニア州スクラントンの出身で、父エリックと母ディアドラ、おばあちゃんの「モモ」はまだスクラントンに住んでいるわけですが、そこはキャラムさんの実際の故郷でもあります。エイミーは9.11の同時多発テロ事件当日にツインタワーでパラリーガルの面接を受け、いまは弁護士になっているという設定で、キャラムさんも生活の手段としてパラリーガルを長くやってたそうです。本当の自伝というわけではないけれども、彼の人生や生活の中にある様々な感情的な要素を捉えているんでしょうか。個人の体験をもとにしながら、時代をよく映した作品だな、と感じます。

『桜の園』との共通点
広田:この戯曲を最初に翻訳したのが数年前で、その後、チェーホフの『桜の園』(サイモン・スティーヴンス英語版)を翻訳する機会がありました。そこから『ザ・ヒューマンズ』に戻ってきたとき、よく似た芝居だな、と思ったんですね。どちらもくっきりしたプロットがなくて、説明しにくいお芝居でしょ。冒頭、家に人が集ってきて、みんなずっと好き勝手におしゃべりをしていて、舞台の上で大きな事件は起きないけど、何かが失われて、みんな去っていくところで終わる。あと、劇中で階上からドンという謎の衝撃音が何度かしますけど、『桜の園』でも大きな謎の音が2回鳴っていたのを思い出しました。かの有名な「弦の切れる」音ってやつです。なので、チェーホフの芝居を読み解くようにすればいいのかな、というところから戯曲を理解していく作業に入っていきました。
小川:なるほど。
広田:稽古をしていく中で、(演出の)桑原(裕子)さんが、そのドンという音は、エリックにとって、9.11当日、ツインタワーの炎上中に聞いた、ある「衝撃音」を思わせるのではないか、とおっしゃったんですね。これが素晴らしい発見で、説得力のある解釈だと思いました。
小川:『桜の園』が持っている不安性と『ザ・ヒューマンズ』が持っている不安性というのはどこか似通いながらも違いはあると思いますが、9.11以降という点も含めて、不安という観点からみて違いはありますか?
広田:違いよりはむしろ共通点を強く感じます。この作品にはツインタワー崩壊のサバイバーにすごく近い人物が登場しますね──ところで、僕はそういう芝居をあまり観たことがありません。21世紀に入ってからテロや戦争はたくさん起きてますが、例えば中東からの帰還兵が登場する英米のお芝居は結構観ました。でも、ニューヨークで起きた悲劇の当事者たちの物語は、実はそれほど観たことがないです。
小川:演劇では特にないように思いますね。
広田:ですよね。もしかするとニューヨークのアーティストにとって、描くには距離が近すぎる題材なのかもしれないですね──で、共通点の話に戻ると、9.11 の事件とその後に起きたことはアメリカや世界にとって大きな転換点だったと思います。第二次世界大戦以降、西側諸国では経済繁栄により、物質面ではかなり満たされ、より人間らしい文化的な暮らしを求めることが可能になった。ところが満たされた人々には見えなかった大きな歪みから激震が起きた。
『桜の園』が書かれたのも、大きな変化があった時代です。帝政時代のロシアを支えてきた貴族階級が衰退し、社会の構造がひっくり返ていく中、何かもっと深刻なことが起きるんじゃないか──そういう、当時力を失いつつあった人々の不安を背景にした作品だと思います。これが初演された1904年にチェーホフは亡くなりますが、翌1905年、「血の日曜日事件」を発端とするロシア第一革命が、その12年後には共産主義革命が起きて、ロシアの帝政が終わります。
それから、『ザ・ヒューマンズ』が初演されたのは2015年、バラク・オバマ民主党政権下のアメリカです。希望と変革をスローガンに掲げて選挙戦に勝利したオバマのもとで、「これからいっそう人間らしい生活を送れるのではないか」と夢見た人々は少なくなかったと思います。同時に、社会の二極化は着実に進行していて、いつ反動的な勢力が巻き返してくるかわからない、という不安もあった。実際、2016年の大統領選挙では、民主党のヒラリー・クリントンが共和党のドナルド・トランプに敗れ、本当に何が起こるか分からない時代に突入しました。また、この作品では、その分断をもたらした要因の一つ、20世紀の豊かな社会を支えた中産階級の衰退、それに伴う経済不安も描かれます。それも『桜の園』と似てますね。

人々は不安を解消したくて劇場に足を運ぶ
小川:広田さんは「不安が演劇の中に書かれている」とおっしゃいましたが、ある視点から見れば、全ての演劇がそうであるとも考えられますね。
広田:そうですね。人は常に何らかの不安を抱えてます。何か解決できない気持ちを抱えたまま劇場に出かけて、そこで触れる物語から、「世の中では、自分の中では、こういうことが起きていたんだ」という気づきを得ることで、カタルシスがもたらされる。それが演劇の一つの機能だと僕は思います。考えてみれば、歴史上、演劇は始まったときから不安を描き続けています。『オイディプス王』も『ハムレット』も、ベケットなどのいわゆる「不条理劇」も、みんなそうですよね。
ただ、翻訳者が「不安」について考えすぎたり語りすぎたりするのもあまりよくないなって反省することもあります。お客さんは、人物が何かを「する」様子、いろんな「行動」をするのを追いながら、物語を把握します。人物の「行動」を観察して、この人は不安なんだなと想像する。俳優さんが台詞を行動に使える言葉にしていく調整も、稽古場でちょこちょこ加えました。
小川:私も稽古を観させてもらっていますが、すごく面白いです。会話では不安について話しているわけではないのに、競り上がってくるものがあるというのがとても不思議です。ジワジワと空間に「不安」が溢れてくる感じがします。
広田:分かります。あとキャラムさんは「一拍」や「間(ま)」、あるいは「......」をうまく使いますね。そこに気まずさや心の中のもやもやがふと垣間見える。
小川:私たちが日常生活を送る中での感覚としては、なんとか埋めないといけないと思ってしまいますが(笑)。
広田:そこで「何かしなきゃ」「何か言わなきゃ」となるのが大事なんだと思います。あと、この作品は、日常的なおしゃべりがずっと続いているような感じで書かれてます。ずっとページとにらめっこしていると、いまどこ訳してるんだっけ、ってなってしまうんですよ。誰かが何か言ってたり、何かしてたり、というのが絶え間なく続くものだから、すぐには掴みどころがわからなくて。
小川:でも、それは稽古の中でクリアになっていったんですね?
広田:そうですね。上下階で同時に話すシーンも多いので、演出家さんにとってもしがいのある本だと思います。それなりの人数の人物がいて、どの人物にも同じくらい重きが置かれているので、焦点を定めるのが難しいんです。でも実際に演じているのを見ると、「いまここでこのことが起きてるのが大事なんだな」とわかってくる。
小川:面白いですね。
広田:演じられることをしっかり想像して書かれているんだと思います。
小川:演劇ならではですね。人の肉体を通したときに立ち上がるようになっている。
広田:演じる俳優のみなさんにとってもすごく大変な作業だと思います。僕も翻訳の作業中は「何でこの台詞なのかな?」と悩むところが多かったです。いろんなことが同時に起きたり、複数の人物が同時にしゃべったりする、不協和音の多い本です。
小川:それは稽古を見ていても感じました。思わず惹きつけられてしまう何かがある作品です。それが何なのかを言葉にするのはすごく難しいんですが、見てしまう力がありますよね。ある意味では、特異な本なんだなと思います。
広田:そうは言っても、僕たちにもあるような悩みがたくさん描かれてます。数年前にアーサー・ミラーの『セールスマンの死』を訳したんですが、そのエコーも聞こえてきます。例えば、お父さんのエリックが娘のパートナーのリチャードにこう言います──「いまから貯金しておくんだな。俺はこの歳までに落ち着くはずだった。なのに終わりがない、家のローンに車のローンにインターネット。生きてるだけで何でこんなにかかるんだ?」『セールスマンの死』の主人公ウィリー・ローマンもいろんなローンに追われてました。普通に生活しているだけで何やかんやお金を吸い取られるのは、日本に住んでても同じですね。

今の時代にも続くテーマがあるから自分たちの物語だと感じる
小川:(2021年に小川が演出した)『ダウト〜疑いをめぐる寓話』(作:ジョン・パトリック・シャンリィ)は、1964年のケネディ暗殺があった当時を時代背景にしながら、失われた" certainty(確実性)"を捕まえようとして分からなくなっていくことの不安定さ、そしてそれが必要なのではないかということが描かれていると思います。そういう視点の本は、9.11以降にも増えていると感じていますか?
広田:近い時期、イラク戦争が始まったころに初演されたミュージカル『ウィキッド』も、当局の伝える情報はどこまで本当なのか、という疑いを背景にしてますよね。『ダウト』とは毛色の違う、楽しいミュージカルではあるけれども、人々の不安をすくい取った物語だと思います。
小川:なるほど。でも、そうしたテーマは今の時代にも続いていて、自分たちの物語だと感じます。『ダウト』は「疑うということはどうなんだろう」ということをテーマに書かれていると思いますが、現代ではそれが「疑って当たり前」になった。
広田:真実を100%捕まえるというのはなかなか難しいですから。でもその一方で、人はある程度信じられるストーリーがないと、生きていく上で様々な決断を下すための基準やよすがを失ってしまいます。
小川:自分の中の生きる上でのストーリーすら考えられなくなった瞬間というのは、すごく不安になりますから。
広田:小川さんにもそうした瞬間があるんですか?
小川:あります、しょっちゅう(笑)。
広田:でも、そうしたことが起きるのが人生なのかもしれません。だから、そういう現実を観るためにお客さんは劇場に足を運んだり、映画を観たりするんだと思います。
小川:『ザ・ヒューマンズ』も自分のストーリーが自分で信じられなくなっていくところが恐ろしいですよね。
広田:自分の知らないところで何かが起きている。例えば、劇中、両親の小競り合いが重なるうち、娘たちは「一体何が起きてるの?」と不安になったりする。それでも互いに支え合う、愛し合うとはどういうことなのか? 明快な答えは示されません。ハッピーエンディングは迎えないし、問題は解決されず、この後どうなるかもわからない。そこがすごく潔いと思います。
小川:そうですね、それは非常に現実的で素敵な結末だと思います。

文=嶋田真己
(後編へ続く)
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