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ブルノ国立劇場『母』演出家 シュチェパーン・パーツル インタビュー【前編】

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シュチェパーン・パーツル


プラハに次ぐチェコ第二の都市、ブルノにあるブルノ国立劇場。新国立劇場と同じ、オペラ、バレエ、演劇の3部門を擁した、チェコ共和国最大の劇場のひとつです。ヤナーチェク劇場、マヘン劇場、レドゥタ劇場というブルノ市内に点在する3つの劇場を運営し、毎シーズン約20の新作を上演し、幅広いレパートリーで毎年70以上の異なる演目を上演しています。

この度、劇場付きのスタッフ・キャストが所属する「ブルノ国立劇場ドラマ・カンパニー」を招聘し、2022年4月の初演以来、レパートリー作品として定期的に上演されているカレル・チャペックの名作『母』を、新国立劇場で上演いたします。チェコの国民的作家であり、劇作家、ジャーナリスト、評論家、小説家、童話作家としても活躍したカレル・チャペックによって書かれたこの戯曲は、1938年に初演された約90年前の作品です。ブルノ国立劇場 演劇芸術監督ミラン・ショテク氏による、現代劇の上演と共にチェコ演劇の古典作品に現代的なアプローチを続けるという方針のもと、2022年4月に初演され、また国内にとどまらず、イスラエル国立劇場ハビマでも上演し、高い評価を得た本作。

開幕を目前に控え、演出家のシュチェパーン・パーツル氏のスペシャルインタビューを前編・後編でお届けいたします。




──まず、日本での上演が決まったお気持ちをお聞かせください。

このような機会をいただけたことは、大変名誉であり大きな喜びです。特に、私たちの作品に小川絵梨子芸術監督や東京の新国立劇場が注目してくださったことを非常に嬉しく思います。これは、チェコの劇場や演劇にとって大きな成功だと考えています。また、チェコの俳優たちが、チェコ語を話さない観客にも物語を伝えられることの証でもあります。日本の観客の皆様の反応がとても楽しみですし、興味深く感じています。

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ヤナーチェク劇場
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マヘン劇場
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レドゥタ劇場


──カレル・チャペックはチェコ共和国出身の偉大な作家ですが、彼は母国でどのような存在なのでしょうか?また、あなたにとって彼はどのような作家ですか?

カレル・チャペックは優れた観察者であり、理解力がありながら厳格でもあります。彼は人間の弱点や、さらには人の強みさえも捉えることができます。彼は文学と演劇の言語としての現代のチェコ語の形成に多大な貢献を果たしました。また、彼と兄のヨセフはチェコ文化をヨーロッパ全土に知らしめることに大きく寄与しました。彼らは二人とも、インスピレーションを与える人物たちを結びつけることのできる人々でした。そして彼ら自身もインスピレーションを与える存在であり、文学、演劇、ビジュアルアーツにおけるその影響を否定することはできません。カレルは、兄や熟達した名俳優であった妻オルガと同様に多才な人でした。ジャーナリスト、エッセイスト、劇作家、小説家、オーガナイザー、イニシエーターといった多岐にわたる分野でその才能を発揮しました。しかし彼は自らの作品に酔いしれるアーティストではありませんでした。彼は、自分自身や自分の周りの世界を学ぶツールとして、そして自分自身の魂を成長させ、世界を人間が尊厳を持って生きられる場所に変える手段として芸術を捉えるアーティストでした。残念ながら、生前にそれを完全に成し遂げることはできませんでしたが、幸いにも彼の作品は今日もなお生き続け、花開いています。

彼の戯曲は喜劇と悲劇が融合しています。ちなみに、彼が最初に手掛けた文学や演劇の試みは、友人たちを楽しませるために兄と一緒に書いたユーモラスなキャバレースケッチです。彼は観客が楽しみたいと思っていることを理解していました。同時に観客が考えたいと思っていると信じていました。そして、劇場においてこの二つが切り離せないことをわかっていました。彼は、観客が自分自身や世界について考えるようになる、そして楽しむことのできる戯曲を書きました。彼の戯曲や小説は、今日でもその力を失っていません。

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カレル・チャペック



──チェコ共和国では『母』が上演されなかった時期があったと聞きました。この作品がそのような背景を経て、今日上演される意義についてどのようにお考えですか?また、この作品を演出することを決めた経緯についても教えてください。

カレル・チャペックは、この戯曲をスペイン内戦(1936年〜1939年)の残虐で非人道的な暴虐行為への反応として書きました。チャペックはすでに主要な演劇活動の時期を過ぎていました。彼が戯曲を書いたのは主に1920年代のことです。その後は小説や新聞記事の執筆、旅や講演に専念していました。しかしヨーロッパにおけるナチズムやファシズムの台頭が彼を再び演劇へと引き戻したのでした。演劇は、小説よりも、今起きていることにより迅速に応え、より強い影響を与えることができることを彼は知っていました。演劇では、一度に千人もの人々に影響を与えられる物語を二時間で語ることができるのです。

最初に、彼は『白い病』を書きました。致命的な病気の治療法を発見した医師、ガレーン博士と、国を戦争へと駆り立てる元帥についての物語です。元帥も白い病気にかかりますが、ガレーン博士は戦争を止めるという条件でしか治療を提供しようとしません。これは人間の命の価値についての素晴らしい対話です。将軍は最終的に同意しますが、結局その治療は彼に届きませんでした。ガレーンと薬は戦争に狂った暴徒によって踏みにじられてしまいます。この戯曲は独裁者の台頭に警告を鳴らすものでした。

『母』は戦争の無意味さを警告することを目的としていました。そこには2つの動機がありました。
1つ目は、戦争写真「リェイダの女」、息子の遺体の上にひざまずく女性の写真です。2つ目の動機は、チャペックの妻オルガ・シャインプフルクから来ています。彼女が、戦争で息子たちを次々と失い、最後の息子だけは戦争に送ることを拒む母親の物語を生み出しました。

これら2つの戯曲は、悲劇的な出来事への反応であるという点において他のチャペック作品とは異なります。ですが、これらを単なる警告とみなすのは間違っています。「戦争は悪い」という1つメッセージを最後に伝えるために書かれたと考えるのは間違いなのです。それは陳腐であり、良い戯曲とは言えません。でも、チャペックの戯曲をそのように捉えることはとても容易にできてしまうことです。だから、多くの人々が『母』を機械的な作品と見なし、それゆえ生命力や劇的な面白さがないと考えています。古い作品で、現代ではこんな状況はあり得ないという見方です。

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"母"を演じるテレザ・グロスマノヴァー


私たちが『母』を準備しているとき、ロシアがウクライナに侵攻することや、イスラエルとパレスチナの状況が戦争に発展してしまうなんて、誰もわかりませんでした。私はテレザ・グロスマノヴァーが母親役を演じるのはとても良いアイディアだと思いました。それが私の解釈でした。私は母親を極限状態に直面した人として捉えました、愛する人々を失う、ということに向き合っている人として。そして、愛する人を守ろうとすればするほど、逆に失っていくという事実に向き合っている人として。彼女はそれに立ち向かわなければいけません、強い人格を持つ必要があり、英雄でなければならないのです。この母親役は、年老いて弱くて、打ちひしがれた女性として演じられることがよくあります。私はそれは嫌でした。私は子供たちのために戦おうとする人物が欲しかったのです。そして、自分の周りに常に存在する死を理解することを拒むことで、死と懸命に戦う人物が欲しかったのです。これはチャペックのテキストに直接由来しています。その中で繰り返し問われているのは、「なぜあなたは死ななければならなかったの?」という問いです。これは『母』の中で、力強くもあり、悲劇的な場面の1つです。理解しがたいものをなんとか理解しようとしているのです。その結果は、母親が死やそれを受け入れることを理解する、というものではなく、自分自身を理解するというものです。
これがチャペックの戯曲の素晴らしいところです。極限状態に置かれた人間に自分自身について何かを理解させる。同時に、征服や英雄主義の世界なんて理解するものか、という母親の頑固さが、そういう世界を無意味で役に立たないものだと暴きます。彼女はあたかも常にこう問いかけているようです。子供を育てることと世界を征服すること、どちらが真の英雄的行為なのでしょうか?

そしてもう1つ、チャペックの戯曲を生き生きとしたものにしているのは、チャペックが母親を単なる前向きなヒロインとして描いていないことです。死の無意味さや無益さに対する明確な立場に加え、母親には弱みがあります。それは孤独への恐怖。最後に息子を戦争に送り出すという決断をするのに、彼女は自分の考えを変える必要はありません。でも自分の孤独への恐怖を認識し、その恐怖を受け入れなければならないのです。母親が死や戦争についての考えを変えることはないでしょう。彼女は他の子供たちの死を耳にします。母親として、彼女は自分の子供たちを守りたい。子供たちを守るためには、自分の子供を戦争に送らなければならない。でもそれができるのは、彼女が孤独を受け入れることができたからです。彼女はまるでギリシャ悲劇のような悲劇のヒロインです。どんな決断も正しいとは言えない、それでも決断をしなければならないのです。それは恐ろしくも真実の、私たちの世界の姿です。

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『母』舞台写真



翻訳=髙田曜子
舞台写真 提供=ブルノ国立劇場
  

シリーズ「光景─ここから先へ─」Vol.1『母』公演情報

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【公演日程】2025年5月28日(水)~ 6月1日(日)
【会場】新国立劇場 小劇場

【作】カレル・チャペック
【演出】シュチェパーン・パーツル

【出演】ブルノ国立劇場ドラマ・カンパニー
【料金(税込)】A席 7,700円/B席 3,300円/Z席(当日)1,650円

※チェコ語上演/日本語及び英語字幕付

ものがたり

夫をアフリカでの戦いで失ったドロレスには5人の息子がいた。長男は医師として、次男はパイロットとして、それぞれの使命を果たして死んだ。双子の三男と四男は内戦に巻き込まれ、戦いの中で2人とも殺される。亡くなった者たちは霊となってドロレスに話しかける。戦火が激しくなり、戦争への参加が呼びかけられる中、唯一生き残っている末息子のトニは軍への入隊を志願し、死んだ父と兄弟たちはトニの決断を支持する。トニまで失う事はできないと必死に抵抗するドロレスだが...。



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