新たな舞台作品が生まれる時、その作り手からまだ見ぬ観客へ最初に届けられるのが「公演チラシ」である。こだわりと想いが込められたそれらは、情報伝達ツールであると同時に作品の一部でもある。そして、そんな“作品と観客の出会いの場でありたい”という願いのもと作られているのが、劇場で配布される「チラシ束」なのだ。ある時は客席で、またある時は持ち帰った家の中でまだ見ぬ舞台に想いを馳せること。作り手にとっても、観客にとっても、その一枚はこれから生まれゆく作品の序章のようなものなのかもしれない。

今回は、そんな想いを背に新国立劇場のチラシ作りのこだわりとプロセスを前後編に渡ってレポートしたい。これまで語られる機会の少なかったその創作現場には、一枚の可能性を追求し、イマジネーションと向き合う多くの人とその手仕事があった。目に見えるビジュアルのみならず、手に触れてはじめて分かる仕掛けにもオリジナリティを込めること。デザインの発案から印刷までを追いながら、唯一の表現であるチラシの魅力、そして、人の手によって作られた一枚が誰かの手に渡るその時までをお伝えしようと思う。

5月6日開幕『ロビー・ヒーロー』公演チラシ創作レポート

そもそもチラシってどういう流れで作られているの?どれだけの人が携わって、どれくらいの時間がかかっているの?そんな疑問を元に、今回は5月上演の『ロビー・ヒーロー』のチラシのデザイン発案から完成までを追った。その創作に携わる方々に聞いた創作秘話や豆知識とともに、現場の様子を伝えたい。

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2021年11月下旬 劇場スタッフとデザイナーによるイメージ共有

上の写真は、デザイナーさんご提供の『ロビー・ヒーロー』と同シリーズのフォーマット案である。公演の意図を正確に具現化し、観客にも伝わる一枚に仕上げること。そのためにまず行われるのが、デザイナーと新国立劇場との綿密なすり合わせ。そこで使われるのがこのフォーマット案というわけなのだ。作品の意図をデザイナーに伝える打合せの場には芸術監督、チーフプロデューサー、プロデューサー、営業・宣伝スタッフが同席し、デザイナーによる初回のラフ(イメージ案のようなもの)を元にあらゆる観点から意見を交換し、ラフの決定へと進めていく。

鶴貝好弘さん
コードデザインスタジオ デザイナー
鶴貝好弘さん
デザイナーの最初の作業は台本を読むこと。その後の進行は“シリーズもの”と“単作もの”とで変わりはありませんが、シリーズもののチラシは芸術監督の小川さんから「フォーマットにしたい」という意向が伝えられています。そのため、単作の佇まいということではなく、シリーズ全作の世界観が同フォーマットに違和感なく収まるのかをシミュレーションする意味合いでもオリエン前に全作の台本を読んでラフを制作しています。

新国立劇場宣伝担当
初回から具体的なラフがあることで話し合いのスピードも濃度もグッと高まり、着地点も見えやすくなります。言葉だけだと理解できない部分がイメージ案によって補填され、全員がある程度の共通意識を持つことができています。
02

2022年1月下旬 印刷会社とデザイナーによる色校正のやりとり

①を経て仕上がったデザインを印刷会社へ発注。ここからさらに色味や版の出方などを吟味しながら、デザイナーと印刷会社による細やかな最終調整へ。デザイナーは数回に渡り色校正を確認し、印刷会社はその指示書を元に最終色校へと進める。

鶴貝好弘さん
コードデザインスタジオ デザイナー
鶴貝好弘さん
印刷物で一般的なのはプロセス4色刷(水色、ピンク、黄色、黒)ですが、新国立劇場のチラシの多くはその4色に加えて、メタリックインキや蛍光色などの“特色”も使用しています。プロセス版の上にシルバーのアミを乗せる時などは色校が出てみないと調子が分からない。仕上がりが読みにくいケースはこの段階で微調整することも重要なポイントです。

新国立劇場宣伝担当
初校と再校の間で細やかな差を見抜いて指示を入れてくださる鶴貝さん。指示書を一見した段階ではその差が明確には分からないのですが、いざ最終校が上がってきた時には全体の完成度がぐっと高いものになっていて、毎回驚いています。細部に魂は宿る。そんな印象を受けるプロセスです。
03

2022年2月初旬 いざ、印刷会社へ

いよいよデザインが紙へ、そして想いが形へとなっていく本現場。今回は東京リスマチック株式会社様の全面ご協力の元、その現場に潜入させてもらった。版づくり、調色、印刷、断裁。それぞれのプロセスでどのような工夫とこだわりがなされているのか。スタッフさんのコメントも交えながら、工場見学のように楽しく、順を追って紹介していきたい。

01 版づくり

まずは、印刷物のベースとなる版づくりへ。到着したデジタルデータと指示書を元に、版材に直接露光して刷版を作製(CTPプリントと呼ばれるもの)。基本となる4色(CMYK)+特色という順番でインクが載っていくので、それぞれの版が必要となる。

宇野聡さん
東京リスマチック株式会社
舟渡工場副工場長/印刷グループ総括
宇野聡さん
版づくりは、平たくいうと版画のようなプロセス。自動といえども機械のみでその細やかな調整を行うのは難しく、ルーペを用いて版ずれがないかを確認するなど手作業を加えながら作製しています。

02 調色

次なるセクション、調色室へ。文字通り、「インクの色を調える」というプロセスだ。全ての色に既製品のインク缶があるわけではなく、繊細な調整が必要な色も。今回の『ロビー・ヒーロー』のチラシ裏面に使用したグリーンも特色に当たる。また、蛍光色・パール・メタリックの入った色。これらも改めてインキメーカーに依頼するか、人の手で作るかのどちらかだそうだ。

そういった特色たちは、そのレシピをデータ化した管理システムを元に、人の手によって作られていく。データ化されていることで、担当する人によって差が出ることなく、かつ重版にも対応できるというわけなのだ。最先端の機械と細やかな手仕事。その二刀流によって、いくつもの色がここで生まれる。

宇野聡さん
東京リスマチック株式会社
舟渡工場副工場長/印刷グループ総括
宇野聡さん
調色室ではインクを作るだけでなく、熱やUVを照射した乾燥後の色味確認も行います。デザイナーさんが思い描くものと乖離しないよう微調整を加えることも。また、色にも賞味期限があるので、ストックも最低限にとどめるようにしています。

03 印刷

いよいよ印刷フロアへ。巨大な機械が連なるこのフロアは、まさに工場!という感じだ。それぞれの版とインクをセッティングし、一斉に印刷を開始。ここで一番驚いたのは、現場にいる人の多さだった。

作業服を着た人もいれば、スーツの人も。印刷作業を行う人だけでなく、デザイナーとの直接やりとりを重ねる営業担当者も営業所から駆けつけ、作業が完了するまで立ち合うのだ。

それぞれのセクションを担うプロフェッショナルたちが、作業の都度、役割に応じた確認と共有を行いながら、完成へのラストスパートへ。デザイナーからの全ての指示書をチェックしながら、抜けや漏れ、相違がないかを多くの人がその手で触れ、目で確かめる姿が印象的だった。

宇野聡さん
東京リスマチック株式会社
舟渡工場副工場長/印刷グループ総括
宇野聡さん
紙はインクの水分や温度の影響を繊細に受けるものなので、印刷のフロアでは温度や湿度の管理も重要な仕事。人じゃないですよ、紙のための湿度管理です!(笑)

04 断裁

作業もついに最終ゾーンへ。印刷されたものをサイズに応じて断裁する。膨大な紙を一度に機械で断裁するため、空気が入ってズレが生じないように丁寧にプレスをかけ、紙が極端に少なくなった際には不要な紙でかさ増しをした状態で機械にかける。

機械を使うとはいえ、大量の紙を扱うこの断裁作業は相当な力仕事。作業台から下ろす際にはまた別の機械を起動させるほどで、とても人の手で持てる重さではない。また、完成物を丸々預かるこの作業には慎重さも必要。細やかな技術はさることながら、そのスピードにも目を見張った。

たくさんのアイデアと想いをのせた『ロビー・ヒーロー』のチラシが、こうして今、形になった。4つの道程とそれぞれのフロアを担当する多くの方々の手仕事を経てようやく、ゆくゆく私たちが受け取るその一枚は完成するのである。

ここまでが、演劇のチラシが世に誕生するまでのプロセスである。多くの人の手によって作られたチラシは、ここから劇場へと運ばれる。そして、少しでも広く多く届くように「チラシ束」が作られ、観客の手へと渡っていく。

ここからは、演劇のチラシが世に誕生してからのプロセスへ。後編は、印刷会社から劇場やチラシ束制作の現場に移して、創作に携わった人々のコメントとともに、その一枚がお客様の手元に届くまでを追いたい。

取材・文=丘田ミイ子 写真=塚田史香

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