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オペラ『エレクトラ』リハーサル開始!演出コンセプト説明会レポート
2025/2026シーズン最終作『エレクトラ』は、スタッフ・出演者が続々と新国立劇場に集まり、リハーサルが始まっています。
演出を手掛けるヨハネス・エラートは、近年ヨーロッパ各国の主要オペラ賞に次々輝いている、欧州オペラ界注目の演出家。リハーサル初日、ヨハネス・エラートが出演者に向けて行った演出コンセプト説明の一部をご紹介します。
エラートがホフマンスタールのテキストとリヒャルト・シュトラウスの音楽から読み取っている『エレクトラ』の世界はどんなものなのか、ここまでクリエイティブ・チームとどんな準備をしてきたのか、そしてエラートが考えるオペラの価値、音楽観まで、情熱的に語られました。
リハーサル初日、リハーサル室に集まったのは、演出家ヨハネス・エラートとクリエイティブ・チーム(舞台美術家ハイケ・シェーレ、衣裳デザイナーのノエル・ブランパン、映像デザイナーのビビ・アベル)と出演者・スタッフたち。
演出家のエラートは、オペラには入っていないギリシャ神話のテキストを紹介してコンセプト説明を始めました。
「死よりも酷いものは何?」(エレクトラ)
「死を望むのに生きなければならないことだ」(エギスト)
『エレクトラ』を理解するには、この言葉が大きな意味をもつと言います。
ヨハネス・エラートによるコンセプト説明

――『エレクトラ』という作品の背後には、題材となったギリシャ神話に描かれているように、何世代にもわたり繰り返された復讐の歴史があることを理解することが大切です。これはヨーロッパの文化における「原罪」にも似た、一種の「呪い」です。
そして、このオペラが生まれた時代が、精神分析に光が当てられた時代だということも忘れてはなりません。傷や苦しみ、意識や潜在意識のより深い層、深い層へとどんどん分け入って行く行為には、ある種の快感がありながら、気味の悪さもあります。演出においてはそのような世界が立ち上がるように心がけました。
――『エレクトラ』において最も重要なのは、不在のアガメムノンです。ゆえに「アガメムノンの動機」で始まるオペラ冒頭の描き方にはこだわりました。私にとっては、単に緞帳が開くというようなオープニングはありえなかったのです。
この作品では、クリテムネストラ、エレクトラ、クリソテミスという3人の女性がそれぞれに何らかの強迫観念、「こうしなければ」という強い執着心を抱いています。それぞれの魂の中には何らかの欠落があって、実はその欠落を埋めようとする意識が、強迫観念を生んでいると言えるのではないでしょうか。
エレクトラの母クリテムネストラはアガメムノンを殺害しましたが、彼女の動機は理解できます。アガメムノンはトロイ戦争の際、娘イフィゲニアを生贄に捧げた。アキレウスの婚礼という偽りの知らせで呼び出されて、娘は犠牲になった。その時からクリテムネストラは非常に長い時間をかけて、復讐というものを練っていたはずです。ましてや夫アガメムノンは、カッサンドラという美しく聡明な女性を伴って戦地から帰ってきたのですから。
妹のクリソテミスは自分は非常にまっとうだと思っていますが、実は「母になりたい」という強い強迫観念に囚われた女性と言うことができます。彼女にはそういうことを実現してみせた母親らしい母親がいなかったから、そんな意識に囚われているのです。
エレクトラは父アガメムノンが母クリテムネストラに殺されて、非常に大きな衝撃を受けた。そして父は彼女にとって非常に大きな存在となった。しかしテキストをよく読むと、実はアガメムノンとエレクトラの関係には不審な点があることが分かります。私はそこに、何らかの虐待が隠されていると考えています。
このように三人ともある種の欠落を抱えていて、その欠落がウジ虫のようにそれぞれの魂を食い尽くしているのです。
――オレストが登場すると、その瞬間音楽が完全に変わります。そこまでとは全く違う、非常にもろい世界が出現します。ギリシャ神話の世界観の中では男たちが復讐に次ぐ復讐を成し遂げる、その繰り返しが常に行われているのですが、ここでオレストが登場すると、復讐を希求していたエレクトラとオレストはその瞬間、復讐を忘れ、非常に美しい世界が出現します。ギリシャ悲劇的な暴力性、攻撃性を忘れ放棄した時、愛の瞬間がそこに生まれる。
ギリシャ悲劇の素晴らしいところは、あるひとつのことをずっと伝え続けているということです。それは、私たちには何か欠落している、足りないものがあって、その反動として愛を求めているということです。そして愛が得られないときに、何かを得ようと攻撃的になるのです。
――愛は憎悪の対義語ですが、実は、感情をもたないこと、「無関心」こそが愛の対義語と言えるでしょう。相手に何かを投げつけると、必ずそれは返ってきます。それは鏡の反映のようなもので、私たちは自らを反映していない人に対しては、反応しないものです。鏡を用いるのはそういう理由です。相手と、あるいは鏡と対峙しているということは、そこで何かを得るということでもあります。クリテムネストラとエレクトラはお互いを反映しあっているのです。

――ドイツ語には狂気を表すverrücktという言葉があります。文字通りに言うと「離れてしまっている」、という意味ですが、では何から離れているのか?正常ではない、では「正常」とは何か、誰が決めているのか?
私たちの世界には、絶対的な客観はない。こちらから見るとこう見えるけれど、違う場所から見ると違って見える。この社会では、あらゆるものをこれは善、これは悪、これは白、これは黒と決めなければならないけれども、それはとても危険です。私は演出という仕事において、そんな決めつけに対抗したい。
もともとオペラというのは、リアルを超越したものです。それがとても重要で、私たちは、現実を越えた方法でものごとを伝える、そういうものを創っているのだということを忘れてはいけないのです。
――このオペラの最後の方に出てくるテキストを紹介します。
クリソテミスがエレクトラに、「あなたにはこの音楽が聞こえないの?」と聞くと、エレクトラは答えます。
「Ob ich nicht höre?
Ob ich die Musik nicht höre?
Sie kommt doch aus mir.」
(聞こえないのかですって?
あの音楽が聞こえていないのかって?
いいえ、あの音楽は私の体の中から湧きあふれてきているの)
これは私が本当に好きな言葉です。この言葉に尽きると思います。
オーケストラから音楽が鳴っているというようなことではなく、音楽は、もっと大きな必然性から湧きあふれるのです。私たちはそれ自体、その瞬間にこうあるべき必然性をもつ世界を創っているのです。『エレクトラ』だけでなく、すべてのオペラに――もちろん他のオペラには違うテーマがあるのですが――そのような美しさ、そうした価値があると思います。
この大きな世界の中で、一番大事なことは、今私たち全員が、これをやる必要性があるということです。今それに迫られている、今やらなくてはならない。それを今回のこの舞台で追及していきたいと思っています。
『エレクトラ』の前史イフィゲニアの悲劇の概略
トロイ戦争に向かう船団を率いるミケーネ王アガメムノンは、アウリスの港で逆風にあい、出航できなくなった。窮地のアガメムノンは神託に問い、自らの失言が引き起こした女神アルテミスの怒りを鎮めるため、クリテムネストラとの娘イフィゲニアを生贄として捧げることとする。
アガメムノンは生贄となるべき娘を呼び出そうと一計を案じ、イフィゲニアと勇士アキレウスとの縁談がまとまったと偽りの知らせを送り、婚礼のためと騙して迎えの船を出す。母娘は喜び、婚礼衣装を手にアウリスへ向かう。
アウリスに到着したイフィゲニアは、戦のために犠牲になるよう言い渡される。クリテムネストラは半狂乱で愛娘の命乞いをするが、イフィゲニアは王女の務めと覚悟を決め、婚礼衣装で生贄となった。
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