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【コラム】オペラ『ヴォツェック』インパクト×深淵―演出家リチャード・ジョーンズの視点

オペラの2025/2026シーズン、注目の新制作のひとつが、11月に上演する『ヴォツェック』。
貧困から逃れられない兵士ヴォツェックの精神的不安と破滅の物語を、新ウィーン楽派の作曲家アルバン・ベルクによる無調の音楽で描く、20世紀オペラの傑作だ。
大野和士オペラ芸術監督が指揮する『ヴォツェック』の演出を担うのは英国が生んだカリスマ演出家リチャード・ジョーンズ。
2009年『ムツェンスク郡のマクベス夫人』以来の新国立劇場登場となるジョーンズのこれまでの活躍の軌跡をご紹介しよう。
クラブ・ジ・アトレ誌8月号より 文◎ 森岡実穂(中央大学教授)
「驚き」を通して作品の深淵を見せる演出家
リチャード・ジョーンズは、もう40年近くにわたり欧州オペラ界の第一線で活躍している、イギリス出身の演出家である。しかもごく初期から強烈な個性を放っていた。1994年度の独「オペルンヴェルト」誌の最優秀作品に選ばれたのが、バイエルン州立歌劇場でのヘンデル『エジプトのジューリオ・チェーザレ』である。エジプトを舞台にした本作の第1幕、ジョーンズは「ピラミッド」の代わりに舞台のど真ん中に恐竜を置いた。かつてはその巨体により栄華を誇りながら、時代の変化により退場を余儀なくされた生きもの。その姿はエジプト、そしてローマ帝国そのものにも重なる。殺された政敵の死を悼みながらチェーザレが世の無常を噛みしめる場面に、この「過去の遺物」の存在は見事に響き合った。
ひと目見た瞬間には単なるインパクト狙いにも見える、舞台上のちょっと突飛な背景や衣裳、オブジェが、上演が進むうちに作品の深淵を見せるための重要な補助線となり、観客をはっとさせる。その土台にあるのは彼の的確な音楽・台本の読解とユニークな想像力であり、また彼のヴィジョンを具体的に視覚化する舞台美術家たち─『チェーザレ』を担当したナイジェル・ロウリー、そしてジョン・マクファーレン(『スペードの女王』)、ポール・スタインバーグ(『ルル』)、ミリアム・ブーザー(『ボリス・ゴドゥノフ』)ほかの名デザイナーたち─との協働である。今回の『ヴォツェック』担当のアントニー・マクドナルドは、その「歴史書を読む巨大な骸骨」が湖上舞台となっている舞台写真が有名なブレゲンツ音楽祭での『仮面舞踏会』、『ラ・ボエーム』で共同演出もした間柄。今回もわれわれを驚かせてくれるに違いない。
ヨーロッパ、そしてイギリスでの高い評価
ジョーンズは前述のバイエルン州立歌劇場(『ペレアスとメリザンド』)、パリ・オペラ座(『子どもと魔法』)、フランクフルト歌劇場(『ビリー・バッド』)ほか欧米の多くの劇場で傑作を発表してきているが、その活動の中心はやはりイギリスにある。バイエルンやメトロポリタン歌劇場でも上演された『ヘンゼルとグレーテル』、世界各地で再演されている『スペードの女王』の初演はウェールズ・ナショナル・オペラ(WNO)であったし、グラインドボーン音楽祭では後に日本でも上演された『ばらの騎士』、英語上演の歌劇場イングリッシュ・ナショナル・オペラ(ENO)では英語翻訳の『トロイアの人々』『ルル』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』などで高い評価を得ている。
そしてなんといっても英国ロイヤル・バレエ・アンド・オペラ(RBO)で残してきた成果は圧倒的で、90年代の『ニーベルングの指環』から『三部作』『サムソンとデリラ』ほか映像化もされた数々の名作、コロナ禍での長期閉鎖からの幕開け公演『皇帝ティトの慈悲』や今シーズンの豪華キャストを揃えての新作『饗宴』など枚挙にいとまがない。演劇・ミュージカルも含め受賞歴も多数、特に権威あるローレンス・オリヴィエ賞では演劇作品も含め9回の受賞に輝いており、2015年には大英勲章CBEを授与されている。
大野和士とリチャード・ジョーンズ
今回の指揮者、新国立劇場オペラ芸術監督の大野和士とジョーンズの初協働は2007年、大野がベルギー王立モネ劇場音楽監督だった時代のプロコフィエフ『炎の天使』新演出上演であった。ジョーンズは作品中の幻想と幻滅を卓越したイメージで視覚化していき、大野もあざやかな色彩感の音楽でぐいぐい全体を導いた。最後の修道院の狂乱ののちレナータに去られルプレヒトがひとり茫然と取り残される場面は圧巻。二回目の共同作業は、ミラノ・スカラ座を震撼させたショスタコーヴィチ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』であった。巨大な二つの部屋を舞台に載せ、視覚的に大胆な展開を進めつつも、その土台は音楽と台本が綿密に絡み合う解釈が支えていた。本作を通じて二人の間で充実した相互理解が進み、それが上演に結実したことが、大野に彼ともう一度一緒にやりたいと強く思わせたのであろう。


日本で上演されたジョーンズ演出
日本で最初にジョーンズ演出作品を上演したのは新国立劇場だった。ロンドン、ミラノに続き、3か所目の『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が2009年に東京で上演されたのだ。カーチャの現状を変えたい欲望が視覚化される、ジノーヴィ殺しの後の間奏曲での大胆な部屋の「模様替え」などの名場面に溢れた本作は、新国立劇場の上演史の中でも特に優れた上演のひとつだったと言えるのではないか。
二作目は、白鳥の騎士の賛同者たちに同じTシャツを身に着けさせていくことで「チーム・ローエングリン」的盛り上がりの拡大を視覚化したバイエルン州立歌劇場来日公演での『ローエングリン』(2011年)。2017年には東京二期会がグラインドボーン音楽祭の『ばらの騎士』を上演、本人も来日した。1幕の舞台であるマカロンの箱のようなかわいらしい部屋は、執事にドアを管理されたソフトな家父長制の監獄でもあった。二幕では、長テーブルの上に乗せられたゾフィーの姿に、ここでは花嫁とは競りにかけられる動物のようなものという残酷な現実があらわになる。3幕では三重唱がグロテスクな照明に彩られるが、その違和感はあらためて元帥夫人のここでの歌詞の重さを認識する機会ともなった。


ベルク作品│作品の核をつかみ視覚化
ジョーンズはすでにベルクの二本のオペラを両方演出している。ここでも作品の核をつかみ視覚化する技が冴えていた。『ルル』(ENO)では、3幕で暴落する「ユングフラウ株券」の券面にアメリカで人気のあったセクシーなピンナップ・ガールの絵を使い、壁一面に巨大サイズのそれを大胆に貼りつけた。「ユングフラウ」すなわち「処女」性、女性の価値もまた株と同じく人々の欲望や価値観によってその「値」が変動するものだということ、『ルル』3幕におけるその残酷さと虚しさをこれほどあざやかに提示した舞台はほかにないだろう。
『ヴォツェック』(WNO)では、豆の缶詰工場で働き、大尉や医者、鼓手長らから日々その「ダメさ」と強制的に向き合わされている彼が、自分も豆や缶のようにもはや「人間」ではない「ゴミ」として捨てられる側になるオブセッションに囚われている姿を描く。最初の場面で片隅にあった小さなオレンジ色のゴミ箱が、場面を追うごとに大きくなっていき、溺死場面で彼は、沼のかわりに巨大化したゴミ箱の中で、溢れる空缶のはざまに沈んでいくのだ。ヴォツェック本人の精神的な不安定さと、彼を取り巻く社会の歪みが絶妙なバランスで描かれる中、ラヴェルの「ボレロ」のように、カタストロフへのクレッシェンドの一本線が中央に走る傑作である。
今回のジョーンズによる新演出は大野がみずから「あなたにとっての新しい『ヴォツェック』をぜひ新国立劇場で作っていただきたい」と口説いて実現したという。前回のウェールズでの演出から20年以上を経て、2025年の世界に生きる彼はこの作品からどういう新たなヴィジョンを描き出してくれるだろうか。
森岡実穂 もりおか・みほ
中央大学経済学部教授。専門分野:オペラ演出批評、ジェンダー批評。著書に『オペラハウスから世界を見る』(2013年)、論文に、「オペラを通して「アフリカ」に出会う─現代の上演の現場から」(2023年)など。季刊『中央評論』(中央大学出版部)で「今日も劇場へ?」を連載中。
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