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『椿姫』ヴィオレッタ役 中村恵理 インタビュー

中村恵理

アルフレードを愛するがゆえに身を引く、ヴィオレッタの生きざまを描く、ヴェルディのオペラ『椿姫』。

ヴィオレッタを演じるのは、新国立劇場オペラ研修所出身、現在ヨーロッパの名門歌劇場で大活躍中の中村恵理だ。

2022年の『椿姫』では代役として急遽ヴィオレッタを演じたが、今回は満を持しての登場となる。

前回の公演を振り返るとともに、『椿姫』への思いを語る。

クラブ・ジ・アトレ誌2月号より

インタビュアー◎ 井内美香(音楽ライター)



『椿姫』が傑作であるのはヴェルディの音楽が厳しいから



―中村さんは2021年末に『蝶々夫人』、そして2022年3月には『椿姫』に出演され、どちらも圧倒的な舞台でした。そして5月に再び『椿姫』を歌われます。2022年の公演では、歌も演技もまさにヴィオレッタを体現していたように思いました。特に第3幕の最後は劇場全体が水を打ったような静けさといいますか、客席があれほど集中して舞台と一体になっているように感じたのは私も初めての体験でした。中村さんにとってあの『椿姫』はどのような公演でしたか?



中村 そう言っていただけるのは嬉しいです。『椿姫』は代役で急に出演することになりましたので、毎回やはりテクニックのことは考えていたと思います。でもそれ以外は「無」でしたね。これは新国立劇場に限らないのですが、『蝶々夫人』に出演している時にはお客様を感じることがあるのです。でも『椿姫』は、言葉にするとちょっと申し訳ないような感じもするのですが、もう「無」の境地でした。特に第3幕は私だけ紗幕の前にいましたから、他の方と歌っていても本当に独りという感じでした。時々はマエストロと2人、と感じた時もありましたが。



2022年公演より©堀田力丸

―ユルケヴィチさんの指揮も印象に残りました。あの時はロシアがウクライナに侵攻してすぐの時期で、マエストロはウクライナ出身の方ですから大変だったのではないでしょうか。



中村 マエストロの指揮には鬼気迫るものがありました。特に第3幕、本番もそうですが、オーケストラ稽古の時に、マエストロがものすごい形相で指揮された瞬間があったんです。ヴィオレッタが「こんなに若くして死んでいくなんて」と歌う箇所だったと記憶していますが、オーケストラ・ピットからスピリチュアルな「気」が来たんです。私はそのようなものを受け止める能力は全然ないのですが、経験したことがないようなものすごい気迫というか、念のようなものが届きました。大きなものが迫ってきて、私はこれを処しきれないかもしれないと思ったんです。マエストロから送られてきているそれを、私はお客様に伝えるまではいかなくても、自分にそれを入れてまた送り出す、私はその入れ物になれば良い、という感じでした。私が上手に歌えるかどうかとか、評価されるというのはその時は考えなかったです。それが生きるということだし、人々が劇場に集うことの意味なのだと思います。



―演出に関してですが、これまでも観てきたブサール演出が、中村さんの舞台ではとてもクリアに理解できたように感じられました。中村さんご自身はこの演出をどう解釈されたのでしょうか。



中村 『蝶々夫人』もそうでしたが、前回の『椿姫』はコロナ対策をしながらの舞台でした。演出家のブサールさんは来日できず再演演出家の方が動きをつけてくださいましたが、私は2011年にバイエルン州立歌劇場でブサールさんが新演出したベッリーニ『カプレーティ家とモンテッキ家』のジュリエッタを歌っていて、ブサールさんとはそこで6週間ご一緒させていただきました。『カプレーティ家とモンテッキ家』の最後は、ロメオとジュリエッタが手を取り合って歩き去ったところで舞台が暗転して終わるのですが、当時ブサールさんが「死とは新しい扉を開けることだ」とおっしゃったのをよく覚えています。私の中ではその演出がずっと残っていたので、『椿姫』でヴィオレッタが最後に赤い布を持って立ち上がって暗転、というのを見た時に、彼の、死に対する信念がここに繋がっているのかもしれないと思いました。



―それはとても興味深いお話です。ヴィオレッタのような「道を踏み外した女」(オペラ『椿姫』の原題の意味)に共通するような境遇は、今の社会でもまだあるように思うのですがいかがでしょう? 中村さんが最近歌われたプッチーニ『つばめ』のドレッタなども少し似たところがあるように思います。



中村 そうですね。彼女たちは、自分たちの運命というか、最終的に辿り着くであろう場所までの道をある程度予感しています。病気がどのくらい重いのか、あるいは恋人と破局するかどうか。それが1年後なのか3年後かは分からないにしても、たぶん、永遠に幸せでいられるわけはないと心のどこかで分かっている女性なのです。社会がそれを許さないために。それは現代の日本でも同様で、私も東京でレッスンをすることがあるので今の若い女の子たちを見ていて思うのですが、本人たちが自覚しているかどうかは別として、社会が許さない物事が以前よりも増えているように思います。現代は一度でも間違ったことをしたら、SNSなどで正義という名のもとに糾弾されますよね。



―確かに昔と比べて、息苦しさが増している気はします。



中村 だからオペラが必要だと思うんです。そういう「道を踏み外した女性」が生きられる世界が舞台の上にはある。本当はだめなことなんだけれども、劇場ではそれを良しとする世界観が成立する。それに寄与しているのはやはり音楽の力です。『椿姫』が傑作だと思うのは、ヴェルディの音楽が厳しいんですよね。社会の厳しさを描くのに、彼の音楽がマッチしているのではないかと思うのです。



自らを犠牲にするヴィオレッタ その音楽は残酷なまでに清々しい



―『椿姫』の中で、ご自身にとって一番大事な場面はありますか?



中村 第2幕のヴィオレッタとジェルモンの二重唱の中で、ジェルモンに向かって「若いお嬢さんにお伝えください」と歌う直前の、「神が彼女を許してくれても、人は許してくれない」というところです。「若いお嬢さんにお伝えください」は、みんなの心に残るじゃないですか。



―そうですね。メロディも印象的ですから。



2022年公演より©堀田力丸

中村 そう、あのメロディが素晴らしいんです。でも、自分を犠牲にすることになってしまった主人公を表す音楽の厳しさ。運命は止まってくれないというか、行くべき道は遅かれ早かれ決まってしまっている、とでもいうような。その音楽は残酷なまでに清々しいのです。『椿姫』は全曲の配分が良くできていて、アリアも、合唱も、二重唱も、あるべき所にちゃんとあり、泣けるところもあれば楽しいところもある。ヴェルディの作品を全て知っているわけではありませんが、『リゴレット』と『椿姫』は、あらゆる意味ですごい傑作だなと思います。



―今回の『椿姫』を歌われるにあたってメッセージをお願いします。



中村 私は、新国立劇場が始まって以来の日本人のヴィオレッタなのだそうです。前回は急な代役でしたが、今回は最初からキャストに選んでいただきました。ヴィオレッタ役はこれからも日本の方に歌っていただきたいと願っています。蝶々夫人役だけではなくて。そういう劇場になるといいなと思うのです。私は幸運にも前例を作ることができましたので、この後は新たな伝統となるようにぜひ若い方々に続いていただきたいです。今回は、前回とはまた違った『椿姫』の良さを何かしら感じていただける公演になるよう、頑張って歌いたいと思います。



―どうもありがとうございました。公演を楽しみにしております。



中村恵理

大阪音楽大学、同大学院修了。新国立劇場オペラ研修所第5期修了。2008年英国ロイヤルオペラにデビュー。翌年、同劇場の『カプレーティ家とモンテッキ家』にネトレプコの代役として出演し、一躍脚光を浴びる。2010~16年はバイエルン州立歌劇場専属歌手となり、『フィガロの結婚』スザンナ役でデビュー後、ケント・ナガノ、キリル・ペトレンコ、大野和士らの指揮のもと、『魔笛』『ホフマン物語』『ヘンゼルとグレーテル』『ボリス・ゴドゥノフ』などに主要キャストとして出演。英国ロイヤルオペラに『フィガロの結婚』スザンナ、『ウェルテル』ソフィー、『トゥーランドット』リュー、『蝶々夫人』タイトルロールなどで客演に招かれるほか、ベルリン・ドイツ・オペラ、ザルツブルク州立劇場など客演多数。16年11月、『チェネレントラ』クロリンダでウィーン国立歌劇場にデビュー。19年には台中国家歌劇院の『神々の黄昏』ヴォークリンデに出演。12年度アリオン賞、15年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、17年第47回JXTG音楽賞洋楽部門奨励賞受賞。新国立劇場では『フィガロの結婚』バルバリーナ(03、05年)、スザンナ(07、17年)、06年『イドメネオ』イーリア、07年『ファルスタッフ』ナンネッタ、19年『トゥーランドット』リュー、21年『蝶々夫人』タイトルロール、22年『椿姫』ヴィオレッタなど出演多数。



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