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ベルトマン演出のオペラ『エウゲニ・オネーギン』―作品とその観どころ

文:室田尚子(音楽評論家)

クラブ・ジ・アトレ誌10月号より

ものがたりと作品の背景

2019年公演より©寺司正彦


 『エウゲニ・オネーギン』は、チャイコフスキーの完成した十作のオペラの中では、現在もっともよく上演される作品である。田舎の地主であるラーリン家の長女タチヤーナは、内気で本を読むのが好きな夢見がちな少女。正反対の陽気でお転婆な妹のオリガには、親同士が決めた婚約者のレンスキーがいる。ある日レンスキーは友人の貴族エウゲニ・オネーギンを連れてラーリン家にやってくる。ひと目でオネーギンに恋してしまったタチヤーナは手紙をしたためて送るが、オネーギンは「自分自身をコントロールする術を学びなさい」と冷ややかに説教をしてその思いを打ち砕く。その後、ラーリン家で開かれたパーティで、オネーギンがオリガとばかり踊るのを見てレンスキーが激怒。ふたりは決闘をすることになり、結局レンスキーはオネーギンの銃弾に倒れてしまう。数年後、外国を放浪した末にサンクトペテルブルクに戻ってきたオネーギンは、グレーミン公爵夫人となったタチヤーナと再会。その美しさに心を奪われるがタチヤーナは一言だけ「愛しています」と告げると去って行く。オネーギンは「なんと惨めなわが運命よ!」と絶望して物語は幕となる。



 このオペラの原作は、「ロシアの近代文学を確立した」といわれるアレクサンドル・プーシキンが書いた同名の韻文小説(詩のように韻を踏んだ文章で書かれた小説)で、やさしい日常的な言葉で、主人公を取り巻くロシアの貴族社会から田舎の地主の生活、農民たちの風習などが細かく描写されていることから「ロシア生活の百科事典」とも呼ばれている。チャイコフスキーは1877年、37歳の時にこの作品のオペラ化に取りかかった。それはちょうど交響曲第4番の作曲期間と重なっており、また私生活ではアントニーナ・ミリューコヴァとの結婚とその失敗で精神的に大きなダメージを受けるなど、心身ともに安定していたとは言いがたい時期。それでも『オネーギン』の作曲をおよそ8ヶ月の期間で完成させたところをみると、チャイコフスキーはこの題材に強い愛着があったのだろう。



 チャイコフスキーはこの作品を「歌劇」ではなく「抒情的情景」と呼んでおり、それぞれの登場人物の内面の心の動きを細やかに、ていねいに音楽で描き出すところに醍醐味がある。それゆえに派手な舞台演出効果をねらった大劇場での上演を避け、1879年3月17日(新暦29日)の初演はモスクワ・マールイ劇場(「マールイ」とは「小さい」という意味)で、モスクワ音楽院の学生たちの発表会のかたちをとった。



ベルトマン演出の注目ポイント



2019年公演より©寺司正彦

 新国立劇場で2019年に初演された『エウゲニ・オネーギン』は、モスクワのヘリコン・オペラの芸術監督であるドミトリー・ベルトマン演出によるプロダクションである。ベルトマン演出は、世界の演劇界に革命をもたらした演出家コンスタンチン・スタニスラフスキーが1922年に演出したプロダクションをもとにしている。スタニスラフスキーはオペラ歌手を「『人物』の心理、内面を歌という音楽によって表現する俳優でなければならない」と考えていた(*)。ベルトマンはこのスタニスラフスキーの原則に忠実に基づき、歌手がそのキャラクターの内面を「歌」によって表現すべく、細部にわたるまで徹底的な作り込みを行なっている。中でも強い印象を残すのは、合唱団の扱いだ。



 第2幕、ラーリン家の宴に集まった村の人々は、オネーギンのことを「遊び人」「粗野で変わり者」と噂し、告白を拒絶されたタチヤーナのいたたまれなさも、オネーギンとばかり踊るオリガに嫉妬するレンスキーの焦燥も、いささかも思いやることもなくワインや料理を貪り食い、女は男を、男は女を求めて踊る。色とりどりの衣裳を身につけたその姿はいかにも野暮ったく、またかなり品がない。続く第3幕では、同じ合唱団が今度はサンクトペテルブルクの舞踏会に集まった貴族となる。黒いドレスと黒いタキシード姿こそ洗練されているが、タチヤーナやオネーギンの噂をしたり、その様子を物陰から興味津々で眺めたりして、結局本質的には彼らの内面も第2幕の村人たちと変わりがないことが示される。身分に関わらず、群衆というものは愚かで、不寛容で、自分勝手で、同調圧力にとらわれた存在であり、そうした群衆=社会というものが個人を押しつぶしていくということを、合唱団ひとりひとりの演技と歌によって描き出していくところがポイントである。



2019年公演より©寺司正彦

 この作品において「手紙」が重要な位置を占めていることは、第1幕第2場に置かれたタチヤーナの「手紙のアリア」が、前半における音楽的クライマックスを形作っていることからも明らかだ。オネーギンへのふるえるような思いを告げるこのメロディ、実は第3幕でオネーギンがタチヤーナへの手紙を書く場面にも使われている。主人公ふたりが「手紙」を通して同じ音楽で結ばれるという仕掛けだが、ベルトマンはさらにもうひとりの恋する男、レンスキーにも手紙を書く場面を用意した。第2幕第2場、オネーギンとの決闘に臨むレンスキーは、幸せな過去を思ってアリア「青春は遠く過ぎ去り」を歌う。ここでレンスキーは遺書のような手紙のようなものを書き上げると、それにマッチで火をつけて燃やしてしまう。生き残るふたりの手紙は残り、死んでしまうレンスキーの手紙は失われる。元々のオペラからさらに一歩進んで、「手紙」に焦点を当てた見事な演出といえる。



 オペラの最終場面にもぜひ注目してほしい。第3幕で舞踏会に登場するタチヤーナは深いローズ色のドレスに身を包んでいるが、自室にオネーギンが訪ねてくる時には、そのドレスを脱ぎ捨てて白いナイトドレス姿になっている。それは第1幕の手紙の場面と同じ衣裳で、つまりここでタチヤーナの心は少女時代に戻ったのであり、だからこそオネーギンに「あなたを愛しています」と告げることができるのだ。一方、ひとり残されたオネーギンの方は脱ぎ捨てられたローズ色のドレスを抱きしめるのだが、それはまさに、彼が「少女のタチヤーナ」ではなく「貴婦人となったタチヤーナ」のことを愛していることを表している。タチヤーナの告白でふたりが一瞬心を通わせたように見えつつ、実は心の深い部分ではすれ違ったままでいる、ということをドレスによって見せるのがなんとも心憎い。



 登場人物ひとりひとりの心のうちを、音楽と視覚の両面から細やかに、鮮やかに描き出したこのプロダクションは、『エウゲニ・オネーギン』というオペラがただの「美しいメロドラマ」ではないということをはっきりと示している。再演によってさらに磨きのかかった舞台となるにちがいない。



*安達紀子「スタニスラフスキーと『エウゲニ・オネーギン』」(新国立劇場2019/2020シーズン『エウゲニ・オネーギン』 プログラムより)






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