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『無償の愛』を描いたダブルビルー『修道女アンジェリカ』と『子どもと魔法』が描く世界

修道女アンジェリカ/子どもと魔法





文◎室田尚子(音楽評論家)

(ジ・アトレ誌2023年8月号より)



「ダブルビル(二本立て)」の醍醐味は、本来別々につくられた作品を同時に上演することで、根底にある共通のテーマを見出し、さらに両作の音楽的な対比を感じられることだろう。新国立劇場が2023/2024シーズンのオープニングとして選んだ『修道女アンジェリカ』と『子どもと魔法』のダブルビルは、「母と子の愛」というテーマで結びつけられた作品だが、プッチーニとラヴェルの音楽性の違いのみならず、テーマそのものの扱い方の違いも感じられる二作だ。ここでは鑑賞の手引きとして両作のあらすじや聴きどころについて触れてみたい。



子どもに会いたい......アンジェリカの「母」としての愛 プッチーニ『修道女アンジェリカ』



 1918年12月14日にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で初演されたプッチーニの「三部作」の中の第二作にあたる。「三部作 Il Trittico」とは、宗教画などにみられる三枚で一組になった「三幅対の絵」のこと。プッチーニは、それぞれ趣の違う一幕もののオペラ三作を同時に上演するという構想を思いつき、暗い悲劇の『外套』、人間の贖罪をテーマとした『修道女アンジェリカ』、そしてユーモアあふれる喜劇の『ジャンニ・スキッキ』を「三部作」としてひとまとまりとしたのである。初演では、『ジャンニ・スキッキ』だけが絶賛され、残りの二作の評判はあまり芳しくなかった。またその後1919年にイタリア初演が行われた際も『ジャンニ・スキッキ』だけが好評。その後、三部作は解体され、現在では、単独で別の作品と組み合わせて上演されることも多くなっている。



 『修道女アンジェリカ』には原作はなく、ジョアッキーノ・フォルツァーノの台本によっている。 フォルツァーノは1920年代から30年代にかけて劇作家、オペラ演出家、映画監督も務めたという多彩な才能の持ち主。台本作家としてはプッチーニの他にマスカーニやジョルダーノなどにも作品を提供している。

 物語の舞台は17世紀の女子修道院。庭に花々が咲き乱れている春の夕暮れ、礼拝を終えた修道女たちが庭に出てきて、7年前にここにやってきたアンジェリカは、ずっと家族からの便りを待ちわびていると噂し合う。そこについに、伯母である公爵夫人がアンジェリカに会いにやってくる。実はアンジェリカは未婚の母となったために修道院に入れられたのだった。生まれてすぐ引き離された子どもが2年前に死んだことを知り、泣きくずれるアンジェリカ。夜になり、アンジェリカは薬草を調合して毒薬を作りそれを飲み干すが、自殺という大罪を犯したことに気づいて聖母マリアに救いを求める。すると聖母が死んだアンジェリカの息子を連れて現れ、天使の合唱が響く中、アンジェリカは息を引き取る。



 女子修道院を舞台にしたこの作品は、フィナーレで歌われる合唱以外は女声のみで歌われる。冒頭の修道女たちの合唱ですでに感じられる響きのピュアさは、この作品全体を貫く大きな音楽的特徴だ。プッチーニの父親は教会のオルガニスト・合唱長であり、宗教音楽はプッチーニにとって親しいものだった。また姉が院長を務めていた修道院を訪問して、その雰囲気を音楽で表現することにも成功している。ただし、「オペラ作曲家」プッチーニの最大の特徴であるメロディの流麗さはここでも健在だ。

 子どもを失ったことを知ったアンジェリカが嘆き悲しんで歌う「母もなしに」は、会うことも叶わずに死んでしまった子どもに天国で会いたい、と願うアンジェリカの「母」としての愛がひしひしと伝わってくる感動的なアリアである。



魔法にかけられた動物やモノの世界で子どもが「愛」を知る物語 『子どもと魔法』



 第一次世界大戦が始まった1914年にパリ・オペラ座の支配人に就任したジャック・ルーシェは、おとぎ話を題材にしたバレエの台本を、ミュージックホールのスターでもあった作家のコレットに依頼する。できあがった台本がラヴェルのもとに届けられたのが1918年。ラヴェルはコレットと手紙のやり取りをしつつ作曲を進め、「ヴァイオリンとチェロのためのソナタ」 作曲のためにいったんは中断しつつも、最終的にはバレエの要素を含んだオペラとして1925年に完成した。初演は、ラヴェルが残したもうひとつのオペラである『スペインの時』を初演したモンテカルロ劇場で、1925年3月21日に行われた。バレエ部分の振り付けは、当時まだ20歳だったジョージ・バランシンが担当している。



 ラヴェルはこの作品を「ファンタジー・リリック」、すなわち「詩的な幻想」と呼んでいて、起承転結を持ったドラマの筋立てがあって、それに沿って音楽が感情の起伏を盛り上げていくような通常のオペラとは一線を画す、独特のスタイルをもった作品となっている。

 舞台は庭のある田舎家の一室。 宿題をやるのが嫌な男の子は不満たらたら。怒ったママは夕飯まで反省するように言って部屋を出ていってしまう。残された子どもはティーポットとカップを粉々に割り、リスをいじめ、やかんをひっくり返し、壁紙を破り、大時計の振り子をこわし、ノートをビリビリに破くなどやりたい放題。するとソファが「あの子にはうんざりだ」と歌い始め、大時計が動き出し、ティーポットとカップが踊り始める。暖炉の火まで子どもを脅かすので子どもは庭に逃げ出すが、そこでは子どもにナイフで傷つけられた木がうめいている。寂しくなった子どもが「ママ」と呟くと、動物たちがいっせいに飛びかかり、その混乱の中で一匹の小さなリスが怪我をして子どもの前に。子どもは首のリボンを外してその子リスの傷に巻いてやる。それを見た動物たちは子どもの優しいところに気づき、家の中にいるママを呼んで去っていく。最後に子どもが手を差し伸べて「ママ!」と叫んだところで幕となる。



 フランス語の原題は「L' Enfant et les sortilège」。この「レ・ソルティレージュ」は「呪文」という意味で、つまりこのタイトルは「子どもと魔法にかけられたもの」というのが正しいだろう。魔法にかけられた動物たちやモノたちの世界に入り込むことで、乱暴で自分勝手だった子どもが愛を知るという物語からは、人間にとって愛がどれほど大きな意味を持つのかが伝わってくる。最後は子どもの「ママ!」という叫び声で終わり、オーケストラの音は何も演奏されない。この余韻が実に効果的だ。



今回の演出がどのようになるのかはわからないが、従来、部屋の道具は大きなサイズで作られていることが多く、母親の姿はスカートとエプロン、おやつのお盆を持った手だけで表される。つまり、観客は子どもの視点で、道具や動物たちに脅かされる体験をするという仕かけ。その中で各キャラクターに与えられた音楽が巧みに彼らの性格を描き出す。特にティーポットとカップが踊る場面には1920年代のフォックストロットのリズムが用いられ、カップが「カスカラ、ハラキリ、雪洲、早川......」という歌詞を歌い、当時のエキゾティシズムの流行が顔をのぞかせる。

 両作はそれぞれ「母から子どもへの愛」と「子どもから母への愛」という異なる視点を持っているが、ともに「無償の愛」であるという点で一致する。プッチーニもラヴェルも、この「無償の愛」への信頼や憧れを音楽で描こうとしたのだといえるだろう。人が生きる上でもっとも大切な「愛」のすがたを描いたこのダブルビルが私たちにどのような化学反応をもたらしてくれるのか、幕が上がるのが楽しみでならない。



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