オペラ公演関連ニュース

『修道女アンジェリカ/子どもと魔法』演出・粟國淳 インタビュー

粟國淳

2023/2024シーズンのオペラはダブルビル新制作で開幕!

離ればなれの愛しい我が子へ思いが募る。

しかし告げられたのは悲しい事実―プッチーニ『修道女アンジェリカ』。

宿題なんかやりたくない!子どもは、家具やペットに八つ当たり。

すると、椅子や時計、木、生き物たちが怒り出して―ラヴェル『子どもと魔法』

〈母と子の愛〉がテーマのダブルビルの演出を手掛けるのは粟國淳。

2019年に上演した『フィレンツェの悲劇/ジャンニ・スキッキ』に続いてのダブルビルの演出となる。

ダブルビルを演出する醍醐味、そして『修道女アンジェリカ』と『子どもと魔法』について、語っていただいた。





インタビュアー◎井内美香(音楽ライター)

(ジ・アトレ誌2023年7月号より)



全く異なる二作を同時に考える ダブルビルだからこその楽しみ



-2023/2024シーズンはプッチーニ『修道女アンジェリカ』とラヴェル『子どもと魔法』のダブルビル(二本立て)で始まります。ダブルビルの魅力はどこにあると思いますか?



粟國 お客様にとっての魅力は、全然違う作品を一日で鑑賞していただけるところでしょうか。オペラには一時間ちょっとくらいの小品で良い作品がたくさんあるのですが、劇場に来てひとつだけ観ると物足りなさを感じるかもしれないところを、組み合わせることによって、一度に二つ味わっていただける贅沢さがあると思います。



-粟國さんは2019年にも、ツェムリンスキー『フィレンツェの悲劇』と、プッチーニ『ジャンニ・スキッキ』というダブルビルを演出しています。作曲家が違う二本のオペラを一度に上演することには大変さもあるのでは?



粟國 作る側としてコンセプトを考えていく場合に、たとえそれが長時間の作品でも流れとしてはひとつに考えられるのですが、ダブルビルは一本が短くとも、全然違う作品が二つ、それも今回のように作曲家が違うこともあります。ですから完全な新作を二つ同時に考える大変さは確かにあります。でも逆に、ダブルビルだからこその楽しみもあると思っています。工夫のしがいがありますね。



-前回の二本立て演目には"フィレンツェ"という共通のテーマがありました。今回の『修道女アンジェリカ』と『子どもと魔法』のテーマは〈母と子の愛〉です。



粟國 プッチーニとラヴェルの世界は、音楽的にとても違うので、共通のテーマで舞台を作るのは難しいところがあります。視覚的にパッと見た時には、全く違う作品に見えると思います。でも、実はその下に似たテーマがあるのです。この二つはストーリーは全く違いますが、構造的に近いところがあると思うのです。



『修道女アンジェリカ』最後のト書きにプッチーニは納得していなかった?



-『修道女アンジェリカ』はイタリアの17世紀末の修道院が舞台となっています。



粟國 『修道女アンジェリカ』の冒頭部分は、修道女たちの日常生活を描いており、彼女らは同じ格好をして個性もないように感じられます。でも、本当は一人一人の人間が存在する。それぞれの癖があり、欲望があり、それは美味しいものを食べたいとか、子羊を撫でたい、などという小さな願いなのですが、でも修道院で神に仕える身としては欲望は捨てるべきものです。そのことについて、アンジェリカが他の修道女たちを諭す場面があります。でも、実は彼女自身が一番、大変な事情を抱えている。彼女は人を愛して、その男性の子どもを身ごもった、これは自然では当たり前のことなのですが、でも人間が作り上げたルールの中ではそれが罪となってしまいます。



-アンジェリカは貴族の名家の出身で、彼女の行いは、それゆえになおさら許されないことでした。



粟國 この作品の中で僕が一番気になるのはフィナーレ、最後の場面です。彼女は物語の後半で、生まれた時に自分と引き離された子どもの死を知ります。全てを捨てさせられたアンジェリカが修道院で生き続けてこられたのは、子どもが元気に育っているだろうという希望があったからこそで、その子がこの世にいないとなると、もう生きている意味がなくなってしまう。彼女は薬草を煎じてそれを飲み、自らの命を絶とうとします。だけれど、それはカトリックの信者としては一番やってはいけないことです。地獄に落ちることになる。我を忘れて薬を飲んだあとでアンジェリカは、母親として子どもに会いたい一心でしてしまったことのために息子に永遠に会えなくなるのでは、という最後の苦悩に陥ります。台本のト書きでは、そこにマリア様と、亡くなった子どもが現れてアンジェリカを天国に迎えます。



-台本には、子どもがアンジェリカの方へ近づいてくる、と書いてあるのですよね?



粟國 そうなんです。ただ、当時プッチーニが書いた手紙を読むと、この場面をト書きのまま再現することに納得していない様子の記述があって。もしかしてプッチーニは、視覚的にも、もっと違う奇跡の表現ができないかと考えていたのかもしれません。自分も、最後の奇跡はアンジェリカにしか見えない奇跡であるべきでは?と思っています。



-神秘的な音楽の表現は、まさに粟國さんのおっしゃる解釈と一致しているように思えます。その場面に注目ですね。今回、横田あつみさんの舞台美術、増田恵美さんの衣裳などは伝統的な時代設定になりますか?



粟國 そうですね。ただ、写実的に見えて、いろいろなところに行けそうで行けない、エッシャーの絵のように常に同じところに戻ってきてしまう感覚を与える部分があり、それは修道女たちが閉ざされた空間の中で生きていくしかない、ということを示しています。

横田あつみによる舞台装置模型(修道女アンジェリカ)


『子どもと魔法』テーマは、子どもから大人になるときにぶつかる壁



-さて、二作目はラヴェルの『子どもと魔法』です。この作品についてはいかがでしょうか?



粟國 魔法の世界を描くということで、デザインも時代設定も全く違うものになります。自分にとって、『子どもと魔法』は、ちょっと『ピノキオ』に似ているかな?と思っている部分があるのですが......。



-『ピノキオ(ピノッキオの冒険)』は、粟國さんが子ども時代を過ごされたイタリアでは誰でも知っているお話だと思います。どのあたりが『子どもと魔法』を思わせるのでしょうか?



粟國 『ピノキオ』は成長物語。子ども、というか、ピノキオは元は木の人形ですが、それが最後には人間の子どもになる。いたずらをしたり、いろいろな経験をして成長していく過程でピノキオは、ゼペットお父さんや、コオロギやその他の登場人物たちからアドバイスをもらうけれど、「あれをしてはダメだよ、これをしなさいよ」と言われることを守れない。ピノキオは悪い子だとも取れるんですが、でも言われたことを全部守って育ついい子なんて、この世の中に本当にいるのかなと。



-確かに。



粟國 若者もそうですけれど、やっぱり子どもは、外からの忠告があったとしても、言われたことを守っているだけでは成長できない。いろいろな経験をして、自分の目で見て判断しなくてはなりません。『子どもと魔法』の世界もそれに似ているように思います。今回演出するにあたって読み取ったのですが、魔法と言いながら、子どもが大人になるにあたってぶつかる壁がテーマとして表されています。例えば、子どもが時計の振り子を壊すと「あ〜、もう何時だか判らない」と時計が嘆きますが、大人って、特に現代ではそうですけれど、常に〈時間〉に追われてしまっているじゃないですか?



-多くの人がそうだと思います。



粟國 〈数字〉だってそうです。このお話では子どもがノートを破いたことによって、算数の数字に攻められる場面があるのですが、大人は、僕の場合で言えば、仕事を何日までに仕上げなければとか、リハーサルは何時間以上できないとか、予算はいくらで納めなければとか、公演への来場者数とか...... いつも数字に悩まされています(笑)。



-そう考えると、象徴的に描かれている多くのことが、子どもから大人になる過程の、様々な問題と結びつけることができますね。



粟國 前半の室内から後半は庭が舞台となりますが、そこにはやはり子どもが傷つけた自然や動物が登場して、苦情を言うんです。意図してやったことでなくても、子どものエゴで、自然や動物の側からしたらものすごく残酷なことをしてしまっている。まるで今の環境問題を先取りしたような訴えが次々と出てきます。自由を求めていた子どもも、家族の愛、ここでは母親の愛、という本分に戻らなければならない。そのきっかけも、動物たちが集団になって子どもを非難していると、そのうちに彼らの間に争いが勃発してしまい、そこに巻き込まれた子リスが怪我したのを子どもが救うのです。動物たちさえ、正義を求めて動いていたはずなのに内部の騒ぎを起こしてしまう。



横田あつみによる舞台装置模型(子どもと魔法)


-現代に照らし合わせても、当てはまることがたくさんありますね。母親の存在も象徴的に描かれていますか?



粟國 実はオリジナルの指示を見ると、母親は声とスカートの途中までだけの、顔が見えない存在なんです。全身は一度も舞台に出てこない。面白いです。



-指揮はこれまで多くの作品を一緒に作ってこられた沼尻竜典さんです。沼尻さんは「信頼する粟國さん」と公言されていますが、粟國さんから見たマエストロは?



粟國 指揮をしているマエストロはとにかくかっこいいですね。振り方とかそういうことではなくて、その指揮によってどのような音楽が出てくるのか、という意味です。リハーサルの時に指揮をすると、キャストの歌が一瞬にして変わる。演出家の自分は、ドラマとテキストで芝居を作っていきますが、マエストロはそこに今度は音楽のドラマという視点で歌や演奏を重ね、たとえお互いが違っていても、テキストと音楽のテーマがピタッと合う、という魔法が起こる。だからやっていてすごく楽しい。どんどん立体化して形になっていくのが面白いのです。



-最後に観客の皆様にメッセージをお願いします。



粟國 『修道女アンジェリカ』と『子どもと魔法』。一見、全く違う世界観の作品にも見えますが、人間への洞察、そして今の時代を考えさせられるという点において、両方とも深い作品であることが共通しています。演出家として視覚的にドラマを作ることにより、作品の良さをお客様にお届けしたいと思っています。楽しみに観ていただけると嬉しいです。



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