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『サロメ』ヨハナーン役 トマス・トマソン インタビュー

トマス・トマソン

不気味な月の昇る晩、古井戸から聞こえるヘロディアスを断罪する声。

その声の主は、預言者ヨハナーン。

彼の姿を見たサロメは心惹かれてしまう。

その体に触れたい、その唇に口づけたい─

5、6月に上演するR.シュトラウス『サロメ』でヨハナーンを演じるのは、トマス・トマソン。

ワーグナーやロシア作品などに定評のある名バス・バリトンが新国立劇場に初登場。

『サロメ』の物語の鍵となる登場人物ヨハナーンについて、そして自身のキャリアについて語る。



インタビュアー◎後藤菜穂子(音楽ライター)

ジ・アトレ誌3月号より





サロメが手に入れられないものその象徴がヨハナーン


 ― トマソンさんは5月に始まる『サロメ』のヨハナーン役で新国立劇場にデビューされます。昨年11月には、ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団による『サロメ』(演奏会形式)でも同役を歌われたばかりです。ひとつの都市で連続して同じ役を歌うのは珍しいのでは?

 トマソン ええ、重なったのは偶然です。新国立劇場の『サロメ』は前から計画されていてコロナ禍でいったんは中止になったものですが、東京交響楽団のほうはあとから決まったものでした。結果的に11月が初めての日本滞在となり、何もかもが新鮮な体験でした。



 ― これまで多くの劇場でヨハナーン役を歌ってこられたと思いますが、初めてお歌いになったのはいつでしたか?

トマソン 初役は2007年、ギリシャのテサロニキにあるメガロン・コンサートホールでの舞台上演でした。その後もチューリヒ、ベルリンのコーミッシェ・オーパー、ドレスデン、そしてロサンゼルスの歌劇場で歌ってきました。どのプロダクションもまったく違っていて、たとえばヨハナーンにしても、サロメに冷淡な清く正しい預言者として描かれる場合もあれば、逆にサロメに誘惑されてしまう人物として描かれる場合もあるので、今回のプロダクションもとても楽しみにしています。もちろんドイツの伝説的な演出家、アウグスト・エファーディングの舞台である点も興味深く思っています。彼の演出作品では、過去にベルリン州立歌劇場の『魔笛』[ザラストロ]に出演したことがあります。



― ヨハナーンを演じるおもしろさはどんな点にありますか?

トマソン  そうですね。正直言って、ヨハナーン自体はそれほど強く惹かれるキャラクターというわけではありません。このオペラでもっとも興味深い役はサロメであり、他の人物は彼女のストーリーを描くための補助的な存在だと考えています。したがって、ヨハナーンは特別な人物というより、サロメが手に入れられないものの象徴なのだと思います。

 もちろんヨハナーンはキリスト教の世界において実在の人物です。俗世の快楽を捨て、神の教えを説く預言者なのです。でも彼にも曖昧な部分があり、そこが興味深いと思います。本当に清廉潔白な預言者なのか、それとも彼自身も弱さを持った人間なのか? 彼がこの美しい少女を目にした時、まったく誘惑にかられなかったのだろうか?そういったおもしろさはあります。



― 歌う上で技術的に難しい点はありますか?

トマソン 音楽的にも技術的にもさほど難しい点はありません。ヨハナーンに合った声の歌手が譜面通りに歌えば、説得力があって力強く聴こえるように書かれているからです。とりわけ重要な箇所はかなり高い音域で書かれていて、ことさら張り上げなくても声は十分に通ります。



― ヨハナーンとサロメのパートは異なる調で書かれていて、二人は交わることはないのですよね。

トマソン  そうです。2人はあらゆる面で対照的です。それはヨハナーンがサロメの前に連れてこられたシーンにおいてとりわけ顕著です。曲を熟知した指揮者ならば、おそらくサロメとヨハナーンのテンポを巧みに振り分けるでしょう。ヨハナーンのテンポは安定していて、威厳があるのに対して、サロメのテンポはほんのすこし速めです。最初サロメの誘惑に対して、ヨハナーンはひたすら受け身で応じるわけですが、ナラボートの自殺を境に態度が変化し、サロメに父親のような司祭のような優しさを見せ、祈って罪の赦しを求めなさいと諭すのがポイントです。それによってヨハナーンの人物像に深みが生まれます。このシーンでは2人の力関係に変化があり、さまざまな色彩を出せると思います。



― 今回の公演の指揮者やキャストとは、これまでも共演されたことがありますか?

トマソン  ええ、海外勢で共演経験がないのはアレックス・ペンダさんだけですね。指揮者のコンスタンティン・トリンクスさんとはベルリンのコーミッシェ・オーパーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』でご一緒したことがありますし、ヘロデ役のイアン・ストーレイさんとはバルセロナでの『トリスタンとイゾルデ』、アントワープでのコルンゴルト『ヘリアーネの奇跡』で共演してきた良き友人です。ジェニファー・ラーモアさんは、私がまだ駆け出しの頃、ジュネーヴ大劇場のヘンデル『リナルド』でご一緒したのが最初です。ピエール・ルイージ・ピッツィの豪華絢爛な舞台で、彼女が見事なリナルド役でした。みなさんと東京で再会できるのを楽しみにしています!



宇宙物理学の勉強との両立を諦めオペラの道へ



― トマソンさんはワーグナーを多くお歌いになっている印象ですが、ヘンデルから現代のオペラまでレパートリーの幅が広いですね。

トマソン  ワーグナーの役も音楽も大好きですが、ヴェルディやプッチーニなどイタリア・オペラを歌う時は胸が高鳴ります。昨年の夏は、念願かなって初めて『トスカ』のスカルピア役を歌うことができてたいへん嬉しかったです。たしかにワーグナーやR・シュトラウス、二十世紀のオペラを歌う機会が多いのですが、たとえばロシア作品─『スペードの女王』のトムスキーや『マゼッパ』のタイトルロールなど─もたくさん歌っています。現代オペラでは、昨年エトヴェシュの新作オペラ『スリープレス』を歌いました。過去の名作を歌うのも大事ですが、一方で現代の創作の現場を育てることも大切だと思っています。『サロメ』もかつては現代音楽だったわけですから。



― トマソンさんは最初はバスだったそうですね。

トマソン  私は初めは低めのバス(low bass)としてキャリアをスタートさせ、スパラフチーレ(『リゴレット』)やザラストロ(『魔笛』)などを歌っていました。でも今振り返ると、私の声は自分の憧れの歌手の声のイメージに影響されていたのだとわかります。若い頃、私はチェーザレ・シエピとニコライ・ギャウロフに憧れていて、彼らのような声が出したかったのです。でも私の生来の声は、最初の10年間歌っていたよりも少し高かったのです。それで、高いほうの声域を開拓してバリトンに転向してみたのですが、結局それよりはバス寄りということで、今のバス・バリトンの音域に落ち着いたというわけです。

― そもそも歌との出会いは大学時代だったそうですね? 音楽の道に進まなければ何をされていたと思いますか?

トマソン  ええ、私が最初に声楽のレッスンを受けたのは21歳の時で、本格的に声楽を学び始めたのは22歳でした。本当は宇宙物理学を勉強しようと考えていたのですが、音楽との両立は難しいと考え、断念しました。レイキャビクの音楽大学を卒業してロンドンの王立音楽大学のオペラ・コースに進み、そこでの公演が関係者の目に留まり、プロへの道が開けました。昨年の東京交響楽団の『サロメ』で舞台の監修をされたトーマス・アレンさんとは、私がプロになったばかりの頃に『ドン・ジョヴァンニ』や『マイスタージンガー』でご一緒する機会があり、嬉しい再会でした。これまで私はどこの歌劇場にも所属せずに活動してきましたが、好きなことをしてお仕事をいただけるのは本当に幸せな人生だと思っています。

― 今後はどんなオペラにご出演される予定ですか?

トマソン  今ちょうど、3月にバイエルン州立歌劇場で上演されるプロコフィエフ『戦争と平和』のリハーサルが始まったところです[注:本インタビューは2023年1月に行いました]。演出はチェルニアコフで、私はナポレオンの役を歌いますが、合唱、オーケストラも含めて総勢400人の壮大な舞台になりそうです。その前に同歌劇場でライマン『リア王』(タイトルロール)の再演もあります。5月に新国立劇場でみなさんにお会いできるのを待ち遠しく思っています。


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