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『リゴレット』ジルダ役 ハスミック・トロシャン インタビュー

ハスミック・トロシャン

リゴレットにとって最愛の存在、それは娘ジルダ。

大切に育てられ、外出は教会しか許されなかった彼女が、その教会で貧しい学生に出会い、心をときめかせる。

しかし学生の正体は、身分を偽ったマントヴァ公爵。

ジルダは公爵にもてあそばれてしまうが、それでも公爵を愛し、彼を救うためにある行動をとる―



純粋無垢な娘ジルダを演じるのは、ハスミック・トロシャン。

2019年『ドン・パスクワーレ』ノリーナを演じ、超絶技巧の歌唱と見事な演技で魅せた彼女が、4年ぶりにオペラパレスに帰ってくる。

アルメニアが生んだ歌姫のこれまでの歩みと、ジルダ役について大いに語る。



ジ・アトレ誌3月号より

ハスミック・トロシャン



ジルダの内面には女性の強さがあります


 ― トロシャンさんは、2019年に『ドン・パスクワーレ』ノリーナ役で新国立劇場に初登場し、日本の聴衆を魅了しました。あの公演にはどのような思い出がありますか。

 トロシャン 忘れられない公演ですね。日本の聴衆、新国立劇場が私にとってとても特別な存在となりました。思い出すことの一つひとつが素敵な思い出で、すべてが全て完璧でした。聴衆はとても温かくて、劇場スタッフは本当にプロフェッショナルで、とても心地の良い劇場でした。舞台に集中し、さらにはそれを楽しむことができました。

新国立劇場『ドン・パスクワーレ』(2019年)より



 ― トロシャンさんの美しい声はとても印象的ですが、歌手になるきっかけは何だったのでしょうか。

トロシャン 私の声は母方の遺伝のようです。祖母もとてもきれいな声の持ち主でした。母は歌が大好きで、美しい声の持ち主ですが、歌手になることはありませんでした。母の時代には、既婚女性が仕事で世界を飛び回るなんて考えられないことだったのです。父は、私が音楽の道に進むことは応援してくれましたが、結婚当時は結婚相手が声楽家になるなんて想像できなかったようです。実は、母は祖父の反対にあって、歌手になることを諦めたのですよ。ですから私が歌手になったことで、母の夢もかなえたといえるかもしれませんね。何よりも、私が歌うと、母の瞳の中に喜びの輝きを見ることができます。母は私の一番のファンなのです。

 私自身は幼いころから「将来は声楽家になる」と確信していました。ですから今の自分の姿はとても自然なものに感じていますし、一度たりともこの道を疑ったことはありません。歌っていない私なんて想像できません。実はまだ幼い時に、学校の先生に「私は声楽家になるから、算数とか必要ありません!」と言ったそうです(笑)。



― では、自分の声をどのようにとらえていらっしゃいますか? 美しい声であるだけでなく、素晴らしいテクニックもお持ちですね。

トロシャン  声は年齢と経験を通して変わっていくものですが、今の私の声はリリコ・コロラトゥーラですね。でも将来的にはリリック・ソプラノへと移行していくのではないかと思っています。テクニックは、学生時代から大きな問題を抱えることなく歌うことができましたし、学びの場にも恵まれました。ただ、レパートリーの選択には常に気をつけてきました。

― 音楽大学在学中からいくつものコンクールで優勝され、卒業後の2011年から故郷アルメニアの劇場で活動を始め、そのわずか2年後には海外の有名なオペラハウス、グラインドボーンなどの音楽祭に招聘されるようになりました。素晴らしい躍進ぶりですね。

トロシャン アルメニアでは音楽学校で4年、音楽院に進んで6年学びました。よく冗談で、あと2、3年学んでいたら博士号がとれたかも!と話すことがあります(笑)。学生時代にアルメニアで最も権威のあるコンクールの声楽部門で優勝し、国立歌劇場にすぐに出演できる資格を得たのですが、少し待ってもらいました。若い時に声に無理をさせるのはとても危険ですし、もう少し勉強を続けたかったのです。

  最も大きな転機となったのは、2014年にイタリア、ペーザロのアカデミア・ロッシニアーナに招待され、続けて『ランスへの旅』のコリンナでロッシーニ・オペラハウスでのデビューを果たし、さらにペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルへの出演が決まったことでした。それをきっかけに世界中の有名歌劇場からオファーを受けるようになりました。

― そんなトロシャンさんは今年5月、『リゴレット』のジルダ役で新国立劇場に登場してくださいます。ジルダをどのような役として捉えていらっしゃいますか?

トロシャン  ジルダは、確かに幼いところがある、純粋な若い女性です。でもだからといって彼女がか弱いわけではありません。彼女の内面には女性の強さがあります。そして愛が人を変える強い力を持っていることもここでは語られます。

 ジルダは父親の言いつけを守って、外の世界を知らずに育ちます。そのような環境の彼女が愛を知り、さらには自分が愛した人が必ずしも良い人物ではないことにも気づきます。でも彼女には愛の力を信じる強さがあり、愛のためにその身を捧げるのです。

 私個人の考えで、それが正しいかどうかわかりませんが、マントヴァ公爵の中にもまだ純粋な、美しい心が残っていたのではないかと思うのです。そして、美しい心を持ったジルダだったからこそ、その美しい部分と共鳴したのではないかと。公爵も実は彼女を本当に愛していたにもかかわらず、それに気づけない、そんな哀れな部分を持った人物なのではないか、私はそのように信じて、演じたいと思っています。



「誠実」であることを大切にしています



― ジルダは最後に厳しい決断をするわけですが、その決断の場面に彼女の独立したアリアはなく、重唱のなかで彼女の心を吐露させています。演じる上で難しくないですか?

新国立劇場『ドン・パスクワーレ』(2019年)より



トロシャン  最後の四重唱ですね。でもその前に素晴らしいアリア「慕わしき人の名は」、そしてリゴレットやマントヴァ公爵との二重唱もあります。どれもその時のジルダの心情がヴェルディの音楽の中で見事に表現されていて、それらを積み上げた上での四重唱なので、それが特に難しいということはありません。何よりも、このオペラに描かれていることは、決して絵空事などではなく、世の中の真実です。たとえこのようなことを実際に経験しなくても、ジルダの心情を感じ、演じることは、決して難しいものではありません。むしろ冷徹な悪者を演じるほうが今の私には難しいかもしれませんね。



― では、オペラの役を演じる時に大切になさっていることは?

トロシャン  それは、誠実であることです。音楽に対して、役に対して、聴衆の方々に対して、そして自分自身に対して、正直、誠実であることを大切にしています。自分自身に対して偽ることなく、正直に役に向き合ってこそ、聴衆の方々と真のコミュニケーションができ、心と心が通じ合うと信じています。

― コロナ禍は終息したとは言い難いですが、世界中のオペラハウスが活動停止した当初、どのように過ごされていましたか?

トロシャン  パンデミックは私も含めて多くの人を傷つけましたが、音楽家には特に厳しいものがありました。中でも、声楽家は身体が楽器であり(本当はこのような表現はあまり好きではないのですが)、楽器は鳴らさないといけません。でも、舞台がなくなった時にはモチベーションも奪われ、練習をするのもつらくなってしまいました。ただ、ひとつだけよかったのは家でゆっくりと過ごせたことでしょうか。でも、旅の日々に慣らされた身には、同じところに長くいるのもつらいものがありました。

― 最後に日本のオペラ・ファンにメッセージを。

トロシャン   春に日本にうかがうのが今から待ちきれない気持ちです。私たち音楽家にとって日本の聴衆の皆様はなくてはならない存在です。そんな皆様とともに舞台を分かち合う日を心から楽しみにしております。


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