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『蝶々夫人』タイトルロール 中村恵理インタビュー


夫は必ず帰ってくる。コマドリが巣を作る頃に戻ると約束したのだから─

明治時代の長崎を舞台に、哀しくも美しい蝶々さんの純愛を描くプッチーニのオペラ『蝶々夫人』。12月の公演でタイトルロールを演じるのは、中村恵理だ。新国立劇場オペラ研修所修了後、ヨーロッパへ渡り、バイエルン州立歌劇場をはじめとする名門歌劇場で活躍中の彼女が、オペラパレスでロールデビューを果たす注目の公演。蝶々夫人という役について、そして、今回の舞台への思いを語る。

ジ・アトレ誌10月号より



蝶々さんは一途なだけの女性ではない

悲劇に至る背景までを感じてほしい



― 2019年に『トゥーランドット』(大野和士指揮、アレックス・オリエ演出)のリュー役で、魂の叫びともいえる感動的な歌を聴かせてくださいました。この12月にはいよいよ『蝶々夫人』の題名役を歌われます。蝶々さんを舞台で演じるのは今回が初めてだそうですね。


2019年『トゥーランドット』より

中村 はい、オペラの舞台としては初めてになります。私は海外生活が長いのですが、ヨーロッパにいる日本人ソプラノとして『トゥーランドット』のリューなどを歌っていると、「次はバタフライだ」という空気になるのは自然なことです。ただ私は、バイエルン州立歌劇場の専属歌手として歌っていた時も、リリック・ソプラノの中でも軽めの役で舞台に立つことが多かったので、自分の声ではまだこのオペラに耐えきれないと判断していました。2017年にテレビ番組『題名のない音楽会』で蝶々さんのアリア「ある晴れた日に」を初めて人前で歌い、そこでやっと自分が本当にやると思えるようになり、1年かけてゆっくり楽譜を勉強しました。そして宮崎国際音楽祭で2018年に全曲を演奏会形式で歌わせていただいたのです。その結果、ロンドンのエージェントとも話をしていくつかの劇場との契約を結びました。そのひとつがアメリカのオペラ・フィラデルフィアです。本来ならば昨年そこで蝶々さん役にデビューする予定でした。ところがコロナで公演が延期になり、新国立劇場でデビューさせていただくことになったのです。



― 同じプッチーニでも『蝶々夫人』は圧倒的な主役ですし、よりドラマティックな印象があります。

中村 プッチーニはオーケストレーションの規模が大きいですし、蝶々さんが歌う主な音域はかなり低いのです。高音もたくさんあるのですが、全体としては高い声域にはとどまっていません。ただ、蝶々さんの年齢はオペラの冒頭では15歳で、第2幕以降は18歳です。確かに一般的には『蝶々夫人』はとてもドラマティックな表現を求められていると思うのですが、私は少しアプローチが違うというか、元々の設定に沿う形で表現できたらと思っています。



― 具体的には蝶々さん役をどのように演じたいと思っていますか?

中村 説明が難しいですが、蝶々さんはただ一途なだけの女性ではないように思います。そしてプライドというか誇り高さがある。武家の出なのに父親が亡くなって芸者になったという事実もあります。そして結婚に際して彼女は自分の判断でキリスト教に改宗します。キリシタン弾圧の歴史のある長崎でキリスト教に改宗することはある意味危険な思想ですし、たぶんピンカートンも「そこまでしなくとも」と思ったのではないでしょうか。そもそもあの2人の組み合わせでは、一時的な関係であることは分かっていたはずで、そこまで思い詰めないのが普通なのに、蝶々さんがひとりで純愛に昇華しているところがあります。待っていた彼からの手紙が届き、というところから、本当に一途に思い詰めてしまう。そういう一つひとつの要素がたくさん重なり、起こるべくしてあの悲劇が起こったということではないかと思うのです。そして若い蝶々さんの話を聞いてくれるような大人が周りにはいなかった。そこは現代の若い人の悩みにも通じるところがあるように感じます。若さゆえの思い込みがあり、献身的なスズキがいつも正しいことを言ってくれるけれど、それを取り入れない幼さが彼女にはある。そういう掛け違いのようなものが積み重なり悲劇に至る、というところが出せればと思うのです。外国人に恋をして捨てられるという悲恋ものであるだけでなく、その背景までを感じていただけたらと。



― 音楽の聴きどころを選ぶとしたらどこになりますか?


中村恵理

中村 第2幕のアリアは有名ですが、やはりオペラ全体が素晴らしいです。第1幕の蝶々さんが登場するところも本当に素敵な音楽で、ここは彼女が一番幸せな場面です。その後は 何かしら問題が起こってきますので......。新国立劇場の演出は、大階段の一番上から白い 衣裳で静々と降りてくるのがとても美しいのです。階段、怖いですけれども(笑)。そしてやはり第1幕最後の二重唱ですね。その前に起こった親族との対立の問題を超えた2人には心の通い合いがあります。そして第2幕、ピンカートンが日本に帰ってきたと彼女が知るところですね。大砲が鳴って〈花の二重唱〉が始まる前のところです。あそこは本当に泣いてしまいます。私が泣いていてはいけないのですが。そして船の名前が見えた時。彼が去ってからもう3年も経って......やはりあそこは共感というか、彼女と気持ちをひとつにしていただけたらと思います。それから子どもを渡さなければいけないところ。ピンカートンとケートの間にもたぶん、彼らの事情があるのですよね。悲劇は起こるべくして起こっているという感じが辛いですし、そういう心の機微のようなものが少しでも出せたらと思っています。




新国立劇場は私にとって特別な場所



― ところで中村さんは新国立劇場オペラ研修所のご出身ですが、新国立劇場に対して何か特別な思いはありますか?


2017年『フィガロの結婚』より

中村 研修所は3年間、毎日通わせていただいた場所です。新国立劇場の演目もゲネプロ(総稽古)や公演を観ていましたし、私は研修所2年目の時に『フィガロの結婚』バルバリーナ役で本公演にデビューさせていただきました。研修所のレッスンやリハーサルは公演とは別に行われるので、キャストに選ばれて初めて本公演の制作の現場に入ったわけです。特に『フィガロの結婚』はすごく頭を使う心理戦的な演出ですから、皆さんのアイデアが飛び交い、この上なく刺激的でした。あの時の衝撃が私の意識を改革したのです。実は、研修所に入る前には自分が将来オペラ歌手として活躍できるとは思っていなかったので、そこで大きな目標ができました。「こういう人たちとクリエイティブな仕事ができる人間になりたい!」と強く思い、研修所を卒業してからオランダに行くことになります。新国立劇場は今でも私にそういう刺激を与えてくれる劇場です。緊張と安堵の気持ちが混ざった不思議な感覚といいますか。出演は、2017年の『フィガロの結婚』に出る前は十年ほどのブランクがありましたが、私がヨーロッパに行く前からいらっしゃった演出や音楽のスタッフの方々にお会いすると、すごく懐かしいし不思議な気分です。しっかりしないと、とも思います。私にとって特別な場所です。



― 最後に読者に向けてメッセージをお願いします。

中村 大変なことが多い日々に張り詰めている気持ちが、劇場に来ることによって少しでも和らぎ、非日常の世界を楽しんでいただけるようにと願っています。お客様と私たちは言葉を交わすことはありませんが、同じ空間で音楽を共有することによる化学反応が起きる瞬間があり、それが芸術だと思うのです。このような時期ではありますが、舞台に立たせていただくからには全身全霊を込めて一生懸命務めさせていただきます。






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