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オペラ『ファルスタッフ』タイトルロール ロベルト・デ・カンディア インタビュー


ヴェルディが最後に手がけたオペラ『ファルスタッフ』の主人公ファルスタッフは、太鼓腹が自慢の好色な老騎士。人々にやり込められるが、どこか憎めないキャラクターだ。

12月公演に登場するロベルト・デ・カンディアにとって、ファルスタッフは自身がもっとも多く歌っている役だという。

名歌手から伝授されたというファルスタッフをどのように歌い、演じるのか、期待がつのる。

インタビュアー◎井内美香(音楽ライター)<ジ・アトレ8月号より>


『ファルスタッフ』はすべてのオペラの中で抜きん出た傑作です

ロベルト・デ・カンディア

――デ・カンディアさんは新国立劇場にプッチーニ『マノン・レスコー』のレスコー役、ロッシーニ『セビリアの理髪師』フィガロ役、そして同じくロッシーニ『チェネレントラ』のダンディーニ役で出演なさっています。今回はあなたが得意とされているヴェルディ『ファルスタッフ』のタイトルロールでのご出演です。

デ・カンディア(以下D) とても楽しみにしています。『セビリアの理髪師』フィガロ役とこの『ファルスタッフ』の主人公役は、私のオペラ歌手人生の中で最も多く歌っている役です。中でもファルスタッフは一番多く歌っています。

――ファルスタッフ役のデビューはいつだったのでしょう?

D ファルスタッフを初めて歌ったのは2000年のことでした。イタリアのレッジョ・エミーリアの歌劇場です。若くしてこの役にデビューできたのは幸運でした。それは私の師セスト・ブルスカンティーニが望んだことでもありました。彼とこの役を勉強したときには私はまだ20代の終わりで、『ファルスタッフ』は同じバリトンのフォード役を歌ったことはあっても、ファルスタッフを歌う予定はまだありませんでした。ところが勉強を終えたすぐ後に、レッジョ・エミーリアの劇場からファルスタッフ役のオファーがあったのです。

――セスト・ブルスカンティーニといえば往年の名歌手で、ファルスタッフ役を最も得意としていたとうかがっています。ブルスカンティーニからどのような教えを受けましたか?

D 一言で言うのは難しいです。マエストロ・ブルスカンティーニは晩年、病気を抱えての生活をしていました。私はプロのオペラ歌手として歌いながら彼の元に勉強に通っていたのですが、ある時マエストロが、「今教えておかないと、私の『ファルスタッフ』を誰にも伝えないままになってしまうかもしれない」と言われたのです。私は出演契約を一つ断って彼の家に2ヶ月間泊まり込み、彼がファルスタッフという人物像について作り上げて来たものを伝授してもらいました。ブルスカンティーニはここ100年の間で最も偉大なファルスタッフ歌手だった人です。歌手として私は彼の足元にも及ばないと思いますが、それにもかかわらず大きな責任が私に託されることになったのです。ブルスカンティーニが使っていた、色々な書き込みがある『ファルスタッフ』の楽譜は、いまでは宝物として私の家に保管しています。

――偉大なる伝統を引き継いだファルスタッフを日本でも聴くことができてとても楽しみです。デ・カンディアさんはファルスタッフをどのようなオペラだと捉えていますか?

D まずなにより『ファルスタッフ』はオペラのレパートリーの中でも抜きん出た傑作だと思います。それは音楽の美しさにおいても、劇としての質の高さにおいてもです。このオペラは、初期の『一日だけの王様』を除けばヴェルディが書いた唯一の喜劇ですが、彼は自分の作曲家としての経験だけでなく、彼自身の知性と人生経験をこの作品に活かしているのです。ファルスタッフ役にはヴェルディ自身が大いに投影されていると思います。音楽的にも先進的で、その後の時代に起こる音楽の発展を示すものです。このオペラはアリア、重唱などで明確に区切られることなく音楽が続いていき、その内容の面白さで観客を釘づけにします。

それに加えてボーイトの台本の力も大きいです。彼によって韻文の詩で書かれた台本はそれ自体が音楽です。『ファルスタッフ』は二つの至高の音楽が一つに溶け合った傑作だといえるでしょう。ボーイトは天才劇作家シェイクスピアの戯曲をもとに巧みな台本を書き上げましたが、そこにはいくつものストーリーが含まれています。女たちが年老いたファルスタッフを相手にからかいを仕掛けるというストーリー。男の世界と女の世界の戦いというストーリー。結末としては女の世界が勝利を収めることになります。そしてこのオペラは過ぎ去ったイギリス宮廷の世界に属していた騎士ファルスタッフと、新興階級の人々のものの見方の対立をも描いているのです。

ファルスタッフ役について言えば、彼は孤独で時代錯誤な男です。オペラは陽気なフーガで終わりを告げますが、ファルスタッフ自身は自分の時代が過ぎて行くのを見ることになります。そこがヴェルディが自分自身をこの役に投影していると感じる点なのです。



ヴェルディはファルスタッフを
シリアスなバリトンの書法で作曲しています

「チェネレントラ」(2009年)公演より

――あなたはロッシーニやドニゼッティのオペラ・ブッファの役柄を数多く演じています。そういった喜劇の登場人物たちとファルスタッフは一線を画していると思われますか。

D 私はファルスタッフをオペラ・ブッファ的な登場人物だと思ったことはありません。ヴェルディがこの役のために書いた音楽は全くブッファ的ではないのです。「運命の力」のフラ・メリトーネ役にも言えることですが、ヴェルディがこれらの役に望んだのはシリアスな役柄を歌うバリトンの声でした。ストーリーと状況によって、いくつかの場面でのファルスタッフは喜劇的ですが、その音楽はヴェルディがシリアスなバリトン役のために使った書法で作曲されています。

――この役を歌ってこられた中で記憶に残るプロダクションはありますか?

D 面白かったのは同じプロダクションの中で、フォードとファルスタッフを公演日によって歌い分けた時です。一度目はブリュッセルのモネ劇場。マエストロ大野和士の指揮でした。その後、今から数年前にもフィレンツェ歌劇場においてズービン・メータ指揮で同じようにフォードとファルスタッフを歌い分けたことがあります。

――そのフィレンツェの『ファルスタッフ』であなたが共演なさったエヴァ・メイさんは新国立劇場でもアリーチェを歌います。

D エヴァは私のとても親しい友人です。彼女のことはアーティストとしても尊敬しています。私たちが一緒に舞台に立つ時にはお互いへの尊重が良い結果を生み出すと思っています。

――これまでのキャリアの中であなたにとって一番大きな喜びを与えてくれたことは何でしょう。人々との出会いですか。それとも音楽の喜びでしょうか。

D:情熱を傾けられることを仕事にした人間は幸せです。この仕事を続けていると大変なこともありますし、知り合いになった人たちとも時が経つにつれ疎遠になることが多いです。でも私は人前で歌うという、自分の人生にとって最も大切なことを仕事にできて心から幸せに思います。この職業のおかげでピアニストである妻にも巡り会うことが出来ました。そして数は少なくとも良き友人たちにも恵まれています。それに、この仕事で諸国を旅するうちに、聴衆の皆さんが心から歓迎の意を表してくださり、長い年月には心を開いた友人を持つようになった日本のような国との出会いもあります。今回また日本に戻って、私の『ファルスタッフ』を皆さんに聴いていただけるのは大きな喜びです。このオペラを知らない方も、きっと大好きになってくれる演目だと思います。劇場でお会いしましょう!

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