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トークイベント『紫苑物語』~ 一の矢「知の矢」――石川淳の原作からオペラへ―― 開催レポート(上)


2018年10月29日、東京大学駒場キャンパス18号館ホールにて、新国立劇場オペラ公演『紫苑物語』関連トークイベント、『紫苑物語』~ 一の矢「知の矢」――石川淳の原作からオペラへ――が開催されました。2月の世界初演を前に、台本の佐々木幹郎、作曲の西村朗、指揮の大野和士、演出を手掛ける笈田ヨシ、そして監修を務める長木誠司の5名が一同に会し、これまでの創作過程、本作の魅力などを、2時間にわたって語りました。




今、なぜ石川淳をオペラ化するのか

長木誠司(監修・司会)

長木:『紫苑物語は石川淳が原作です。石川淳の作品を、今なぜオペラにするのか。私がアイデアを出したのは、まず好きだったということがありますが、70年代には、石川淳のブームがありまして、皆さん読んでいました。『狂風記』なんて学生はみんな読んでいました。それが今はあまり読まれなくなってきた。だけど、石川淳が持っている色々な問題は、現代に反映できると思います。

石川淳は、ある意味、ものすごい巨人で、一言でどんな作家だとなかなか言えません。小説だけではなく、随筆、評伝も書いている。翻訳もしており、アナトール・フランスや、アンドレ・ジイドの翻訳家としても有名です。名文家でもあり、漢文の素養もあるので、非常に短い文章から長い文章まで全て書ける。物語が非常に複雑ですが、冒頭からいつもぐいぐい引っ張ってくれるようなところがある。大体石川の読者というのは、冒頭から物事がどんどん展開するので、そこにどんどん引きずり込まれるんじゃないかと思うんですね。

この『紫苑物語』は、物語としてはそんなに長くないので展開は早い。ですが、ここに盛り込まれた問題、例えば、地上と山の向こう側の世界という2つの断絶した世界が、お互いにコレスポンダンスを持ち、時空間を超えた物語がそこで展開します。そこには、例えば差別の問題や、排除の問題など、様々な現代的な問題も読みとれると思います。石川淳は非常に権力を嫌った人ですし、そういう意味では権力をどのように描くのかということが、非常に現代的なテーマになってきます。

そういうこともあり、今オペラ化するのはとても意義があることだと思います。日本のオペラは、あまり政治とか社会を扱ってこなかったんですね。そういう要素も、この『紫苑物語』は織り込めるし、そもそも物語として展開が面白い。そこがやはりオペラにしてみるといいのではないかなと、常々思っていました。

では、早速、今回の上演につきまして、大野さんのほうからお話をいただければと思います。


自分を探していた宗頼が、死を賭して最後に歌を残した
この作品がオペラになり得ると強く思いました

大野和士(指揮・新国立劇場オペラ芸術監督)

大野:私の第1シーズンから、日本人の作曲家に委嘱をして、日本から発信する新しいオペラを新国立劇場で創造したいという希望は、相当早い段階から持っていました。実は、私はオペラの台本探しをずっとしておりまして、歩いても、立ち止まっても、ご飯食べてても、何か音楽を暗譜している時以外は、「オペラの台本、オペラの台本...、オペラにあの作品はどうかな」というのが常となっていました。そこで『紫苑物語』の話が出た時に、当然のことのながら飛び付きまして、早速読みました。

宗頼という歌人がいて、彼は歌の世界のなかに埋没できず、弓に至る。子狐の化身と愛の褥を共にし、そうしたことを経験しながらも、なかなか自分の目的というものが定まらない。そしてその目的の定まらない彼の後ろには、「紫苑の花が咲き誇る」と石川淳は書いています。紫苑の花は"忘れな草"で、結局、自分のことを忘れないという意識を持った人の後ろに咲く花というふうに、作品には書かれています。

そして最終的に彼自身が平太という人間と会って、平太は自分と瓜二つである。ところが、一方の平太は自分を前面に出すというよりも、いわゆる詠み人知らずのような仕事をコツコツとやっている人間だったわけです。ある意味では、宗頼とは反対の性格。ところが、宗頼は「実は彼はわしではあり、わしではない」というようなことを言うんですね。その上で、平太の生き方に興味を持ちながらも、最終的には仏を射落とす。その平太の桃源郷に咲いているのは何かというと、"忘れ草"です。その"忘れ草"は、宗頼の後ろに咲き誇った"忘れな草"、紫苑とは違って、「これが自分の足跡である」と言わないところに生まれる、1つのアートの永遠性というようなものを象徴した花の咲き方だと思いました。そして、最後のページで、それがゆえに宗頼は仏を射って、それが崩落して全てが崩れ去っていく。そこに生存するものはいなくなってしまった段階で、宗頼という人はそこに歌を残したんですね。


それが、この作品がオペラになり得るだろうと強く思った最初でした。自分を探していた宗頼が、死を賭して最後に歌を残したと最後のページに書かれている。それは、遥けき響きでもあり、そして時にはおどろおどろしい響きでもある。従ってそれを村の人たちは鬼の歌と呼んだと。それは、宗頼が最終的に残した詠み人知らずの歌であった。その歌は永遠の力を持つという意味で、この物語は、いわゆる芸術家の一生であると私は考えています。

また、例えば藤内という登場人物が、脇から権力を奪おうとして、うつろ姫とタッグを組んで、関係をめぐらします。藤内は、何を隠そう、これはオペラにとってなくてはならない敵役、結局イアーゴなのですね。イアーゴのような登場人物を持っている日本の小説は見たことがなく、この点からも、これはいけると思った次第です。

そして、私の尊敬する作曲家である西村さん、心身共に創作力の絶頂期にある彼に、「是非オペラを、新国の第1弾のオペラを書いていただきたい」と、強い思いを持って依頼を申し上げました。彼が日頃、合唱オペラというような形で表現を重ねておられた佐々木幹郎さんを台本作者として得ることができ、これも大変な幸せと思っています。そして、笈田ヨシさん。今回のこのプロダクションを演出していただくのに、これ以上ふさわしい方はいらっしゃらないと確信を持っています。このお三方をして、初めて、この作品を世に問うことが実際にできるようになったということを、まず私から最初に強く申し上げておきたいと思います。



1年近く、毎日9~10時間『紫苑物語』を作曲しています

西村朗(作曲)

長木:では続けて、西村さん、今回の作品についてお話しいただけますか。

西村:去年10月の初め頃から、実際、音符を書き始めました。まず、歌のパートを作って、主にピアノで管弦楽の部分を表現するという、ヴォーカルスコアを作り始めたんですね。それから、ちょうど1年少し。その間私は、大体夜明け前、朝4時頃には起きて、1日平均9~10時間ずっと作曲しました。もう生きているのが不思議なぐらいの厳しさだったのですが、全然痩せもしないのでおかしいなと(笑)。

ここに佐々木さんの台本があります。26枚、52ページという、大変な、素晴らしい、すごい台本です。終わり近くに、大クライマックスが連続するのですが、今お話に出てきた藤内という策謀家は、体力、肉体的な魅力に関しては、非常に自信がないんです。女性の登場人物に、うつろ姫という非常にグラマラスで欲情に富んだ、すごい女性がいるんですね。この人と藤内がどういうわけか通じてしまい、最後に滅びる時が一緒なんです。そこのところの台本を数行、ちょっと読ませてください。藤内に光の矢が飛んできます。

藤内: あれは何だ! 光る矢だ!

うつろ姫:大きい! 凄い! 凄い! あたしを狙ってるのかしら! 貫いて! とろけるようだわ
(...藤内に抱きつく)

藤内 : 姫、何をする!

(光は、もみあう二人にぶちあたり、炎に包まれる)

藤内  アリャ、アッチ、アッチッチー! 

これは、台本部分は数行の長さなんですけど、これを、三管編成のオーケストラと、歌手とで曲を作るので、どれぐらいの時間と体力とが要るかということを想像していただきたいんですね(笑)。すごい状況なんですよ。光の矢が飛んでくる。その前には主人公が崖から落下してる大シーンがあって、次に死ぬのは私だなっていうぐらいですよ(笑)。とにかく「アリャリャ」と言いながら管弦楽も大合唱団もすごいことになってくるんですよ。音が私の中でガンガン鳴っているんですね。それはもう私の体験としては生々しいものでした。

こういう台本を書いた、佐々木さんの話をお願いします。



知の矢、殺の矢、魔の矢、3つの矢を台本の軸に

佐々木幹(台本)

佐々木:僕は詩を書くのが専門の人間で、それには自信があるんですけれども、オペラの台本を書くっていうことは、これはもう西村朗にだまされて始めたんですが、大仕事です。西村さんと組んで今回が4作目になります。

このお話をいただいたのは、実は、東京で西村さんと組んで3回目の合唱オペラを初演して、私が楽屋に戻った時に、大野さんが座っておられたんですね。西村さんに「大野和士さんです」と紹介されて、びっくりして、その時に大野さんに「『紫苑物語』の台本を書かないか」と勧められたんです。その3回目のオペラの仕事が終わった直後に、楽屋で次の仕事を依頼されるという、実に不思議な、ドラマチックな出会いがありました。

石川淳は、私の学生時代、1960年代末および1970年代にかけて本当によく読まれました。その時代の東京という都市は、学生運動も激しかったですし、状況劇場やら天井桟敷やらいろんな劇団が活発に動き、サイケデリックな文化があり、演劇都市としての東京というのがあったと思います。そういうなかで、石川淳は本当に活発に仕事をしていました。魑魅魍魎たる江戸期の世界あるいは中世の世界。それから、その裏がフランス文学の知性がずっと染み通っているという、この摩訶不思議な世界というものが、本当に時代にピッタリしていました。

今回、久しぶりに『紫苑物語』を読んで、おっと思った。1956年に石川淳はこれを書いており、本当に短い短編なんですけれども、まず最初に、「これは石川淳が、最初に1行を書き始めてから最後まで、次がどうなるかわからないで書いたな」というのがよく分かりました。最初から構成があって、結論をどうしようということを決めていない。途中で分からなくなってる。あとはもう直感と勘だけで、次へどんどん登場人物を動かしてる。そこの動かし方の飛躍の仕方、そして結論へ入った時の――多分、石川淳自身はお手上げ状態になって結論に入ったのですが――このドラマツルギーっていうのは石川淳のいちばんの魅力である。石川淳文学が持っていた力はここにあり、この短編の世界のなかに非常によく表れています。

それともう1つ。台本を書く前に、この『紫苑物語』は、先ほど大野さんも「芸術家の物語だ」とおっしゃいましたけど、僕もそのとおりだと思うんです。勅撰歌集の選者である父親に反抗して、本当は父親よりもずっと歌がうまいのに弓矢の道に行って、弓矢の先にあるものを求めて行く。その延長上で、実は本当の歌の世界や本当の言葉の世界、芸術家の世界というものに、彼自身がぶち当たってしまうという、最終的にはそういうことになります。

物語で、知の矢、殺の矢、魔の矢、3つの矢を石川淳は出してくるんですね。いちばん最初に、これは面白い、ここを軸にしたいと思いました。3本の矢が揃った時に、大変なことが起こる。宗頼という弓矢のほうに走った人間が、実は歌に最終的に帰ってしまう。しかしその時には、自分が自分を殺すようにして、この世からいなくなってしまう。私の台本では、これを基本にしました。その周りに道化のような藤内とか、狐の化身である千草、いくつも面白いものを、石川淳は短編小説のなかに含めています。

台本を書いてる時に言葉だけでずっとイメージして、ああ、この時は、西村さんだったらここでこんな音を出すだろう、と長く付き合っていると大体わかるんですよ。原作の石川淳が化け物なんです。化け物のような力を持った石川淳が原本ですので、どこまでも自由になれるということ。作曲家には申し訳ないんですが、自由に遊ばせていただきました。すみません(笑)。


オペラならではの重唱を盛り込む

大野和士

大野:登壇されている皆様と、この2年間何回も何回も集まってお話しをしてきました。その中で、私が皆さんにお願いしたことがあります。オペラの、オペラたる所以の1つというのは、重唱という形で、複数の人間が、それぞれのテキスト、リズム、フレーズを持って、全く違うパーソナリティーというものが横の流れのなかに収まるということです。これは演劇の世界でやったら、それは単なる騒音でしかなく、オペラにしかできない1つの芸術作法であると思います。

それを、西村さんにも佐々木さんにも、何回も何回もお話をしました。例えば、うつろ姫と藤内が歌っているところで、もう1組の狐と宗頼が声を重ねる。どちらかが舞台裏でもいいし、どちらかがピットのなかでもいい。いろいろな形で、アッと思うようなところで、原作にはない四重唱というのが、このオペラだからこそ出来上がってくる。そういうオペラならではということを、お願いをしてきました。

それから、音楽に関しては、歌のパートにも大変な負担といいますか、カデンツァがたくさん出てきます。狐の変化のところでは、狐の変化のカデンツァというのがあります。その狐には「ケンケンケン」という言葉が最初は付けられていたんですけれど、では、狐は本当に「ケンケン」と鳴くのかどうか?ということが、議題になりました。Youtubeなどで調べてみると、狐は実は、「ケンケン」とか「コンコン」とかは鳴かないんですね。「アー、アー」と、こういうふうに鳴くんです(笑)。それをお伝えしたら、西村さんが、パッといろいろな打楽器とフルートを1本使って、その狐の鳴き声に当たるものをもっと複雑化したカデンツァを作っていただきました。そういうことを一緒に、歌手とオーケストラと一緒にやるのが、本当に楽しみになっています。

また、例えば、宗頼の父には、佐々木先生が五七五を使って父の詞を書いてくれています。それに対して宗頼はそれを拒絶するように、散文調で彼に応えるわけです。それによって、言葉の上でも音楽的な上でも、2人の対立構造というものが、形式的にも表されている。単なる二重唱でお互いに掛け合うのではなく、言葉の上からも音楽的な上からも、形式そのものが二重唱のなかで、2人のやっていることが違うというような意味でも、それぞれの個性というものが活かされた作品に仕上がってきているというふうに思っています。



【トークイベント『紫苑物語』~一の矢 開催レポート(下)につづく

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