演出:ドミトリー・ベルトマン

演出:ドミトリー・ベルトマン

Production: Dmitry BERTMAN

新シーズン開幕の注目の新制作『エウゲニ・オネーギン』の演出を担うのは、モスクワ・ヘリコン・オペラ創設者・芸術監督ドミトリー・ベルトマンだ。1990年にモスクワに誕生したヘリコン・オペラは、現在ロシア・オペラ界で最も刺激的な活動を展開するオペラ劇場。今話題の指揮者テオドール・クルレンツィもかつて指揮し、ベルトマンと舞台を作り上げている。『エウゲニ・オネーギン』へのベルトマンの深い洞察と、現代的視点から作り出す新国立劇場での新プロダクションがどのようなものになるか、語っていただいた。

<ジ・アトレ5月号より>

チャイコフスキーのオペラの歌詞には
裏の意味がある

―『エウゲニ・オネーギン』は、演目としては新国立劇場で19年ぶりの上演です。久しぶりの公演に期待が高まっています。

ベルトマン 日本ではチャイコフスキーの音楽がとても人気があると常々聞いており、本当に嬉しく思っています。ロシア・オペラの代表作『エウゲニ・オネーギン』は、ロシアの偉大な芸術家2人によって生まれた作品です。1人は原作の詩人プーシキン、もう1人は天才的作曲家チャイコフスキーです。
プーシキンの詩はとても美しい文体で書かれていますが、登場人物はいつも衝突状態で、『エウゲニ・オネーギン』もそうです。お互いに愛し合おうとしますが、かみ合わず、悲劇が起こります。とはいえ、プーシキンはどちらかというとユーモアを込めて書いているのですが、チャイコフスキーは懺悔するような作品として作曲しています。彼はプーシキンにあまり興味がなかったのですが、『エウゲニ・オネーギン』に自分とリンクする部分を見つけ、そこをつなぎ合わせてオペラにしたのです。

―チャイコフスキーには、支援者がいたと聞いています。

ベルトマン チャイコフスキーの支援者というとフォン・メック夫人が有名ですが、彼女より前はウラジーミル・シロフスキーでした。シロフスキーは若い金持ちで、外国旅行の費用をすべて用意するなど、チャイコフスキーのために湯水のごとくお金を使いました。そして、モスクワ中に2人の噂が広まったのですが、シロフスキーは行動も格好も派手だったため、チャイコフスキーのイメージが悪くなってしまったのです。そんなときチャイコフスキーは弟子アントニーナ・ミリューコヴァからラブレターの猛アプローチを受けます。そこで、シロフスキーとの関係を清算するために、チャイコフスキーは彼女との結婚を決心するのですが、別れ話はすんなりいかず大げんか。シロフスキーは当てつけで、チャイコフスキーより先に女性と結婚してしまいます。
その後、チャイコフスキーの大邸宅の壁には、ほぼ等身大に引き延ばされた若い頃のチャイコフスキーの写真が死後もずっと掛かっていたそうです。当時の技術ではそのサイズでの現像はほぼ不可能なのに、努力して等身大まで引き延ばしたのですよ。

―作品の背景に、2人のそのような物語があるのですか。

ベルトマン これはほとんど知られていない話です。そんなオペラ『エウゲニ・オネーギン』は、プーシキン的要素の少ない、チャイコフスキー独自の作品となっています。チャイコフスキーにとってタチヤーナのモデルはミリューコヴァです。ですので、作曲は、タチヤーナの手紙の場面から始められました。
チャイコフスキーの音楽の特徴として、歌詞の内容と、それを歌う登場人物の取る行動が異なることが挙げられます。登場人物の心理状態を音楽が表現していますから、つまり、歌詞と音楽の内容が合わないんです。「言葉は、考えを隠す」という格言がありますが、チャイコフスキーはその名人だったんですね。歌詞に裏の意味がある、これが他の作曲家との違いであり、チャイコフスキーの音楽の最も価値のあるところだと思っています。

スタニスラフスキーが今生きていたら
どんな『エウゲニ・オネーギン』
を作るか

―10月の舞台は、どのような演出になりますか。

ベルトマン ロシアでは1922年にオペラの演出が始まったと言われています。そのとき演出をしたのがコンタンチン・スタニスラフスキーです。そこで、スタニスラフスキーの演出をモチーフに、今日的でとても感情的な、新しい作品として演出します。

―モスクワ芸術座の創設者であり、演技理論のスタニスラフスキー・システムで有名な、スタニスラフスキーですね。

ベルトマン そうです。1922年に上演したホールは、現在モスクワの「スタニスラフスキーの家博物館」にオネーギン・ホールとして残されています。4つの柱のある小さなホールで、彼が初めて訪れたとき、ここで『エウゲニ・オネーギン』を上演したいと強く思い、実現させたのです。

―ベルトマンさんが芸術監督を務めるモスクワのヘリコン・オペラでも、スタニスラフスキー演出を復元したプロダクションを2015年に作っていますね。

ベルトマン はい。現在も上演していますが、新国立劇場の演出とはもちろん異なります。そもそも、スタニスラフスキーの演出の記録は、写真が数枚残っているだけで、実際にどのように演じられたのかは分からないのです。ですので、スタニスラフスキーはあくまでモチーフです。もしスタニスラフスキーが今生きていて、現代人として一緒に仕事をしたらどうなるか、ということを考えて作ることになるでしょう。
私はこれまで『エウゲニ・オネーギン』を7回演出しています。オーストリアで上演した際は、凍りついた文明の中で物語を進行させ、ストックホルムでは舞台設定をイケアにしました。ペテルブルクでは、登場人物はみな旅行者で、駅で出会うというストーリーにしたり。オリジナリティのある演出を追求して、あらゆる舞台設定で作りました。しかし、作品の原点に立ち戻るべきではないかと思い、2015年にスタニスラフスキーの演出を復元し、作品の哲学や、歌手の演技の心理を中心に、演出し直したのです。初演前は「なぜ、わざわざ昔のものを復元するのか」と言われましたよ。でも上演したら大成功で、今ではモスクワで最もチケット入手困難なオペラになっています。さまざまな演出を見ている現代のお客様は、本当に美しい舞台を求めています。そういう意味で、時代に合った演出なのです。とはいえ、今回、衣裳はデフォルメした、やや風変わりなものにしようと思っています。

―ヘリコン・オペラは、残念ながら日本であまり知らせていません。ぜひご紹介いただけますか。

ベルトマン 自画自賛ではなく、世界最高の劇場だと思っています。設立は1990年、ソビエト崩壊直前の最も大変なときで、何の援助も得られませんでしたが、おかげで誰からも口出しされませんでした。最初の3年は全くお金のない状態でしたが、全員が家族のように仕事も休暇も一緒に活動していました。今ではアーティストとスタッフ合わせて500人いますが、それでもみんな身内のような関係を築いています。全員が逸材ぞろいで、合唱は歌も演技も世界一です。ソリストは、ボリショイ劇場方の要請でヘリコン・オペラからゲスト出演しているほどです。国際的スターになったソリストもたくさんおり、それでもヘリコン・オペラをホームとして歌っています。レパートリーは幅広く、建物は19世紀の大邸宅を改造したもので、本当に素晴らしい劇場ですので、日本の皆さんもぜひいらしてください。

―ありがとうございました。秋の『エウゲニ・オネーギン』、楽しみにしております。

音楽評論家:室田尚子

Music critic: MUROTA Naoko

東京藝術大学大学院修士課程(音楽学)修了。東京医科歯科大学非常勤講師。NHK-FM「オペラ・ファンタスティカ」レギュラー・パーソナリティ。オペラを中心に雑誌やWEB、書籍などで文筆活動を展開するほか、社会人講座やカルチャーセンターの講師なども務める。著書に『オペラの館がお待ちかね』(清流出版)ほか。写真家・伊藤竜太とのコラボ・ブログ「音楽家の素顔(ポートレイト)」

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オペラ『エウゲニ・オネーギン』を知るための4つの手がかり

<ジ・アトレ2019年5月号より>

 『エウゲニ・オネーギン』は、チャイコフスキーが遺した10作のオペラの中で、現在、もっともよく上演されている作品だ。チャイコフスキーらしい美しいメロディがふんだんに盛り込まれ、上演時間もそれほど長くなく(休憩含めて3時間ほど)、ストーリーもシンプルなことが人気の秘密かもしれない。だが、例えばイタリア・オペラのような「わかりやすい盛り上がり」は、このオペラにはない。実際、チャイコフスキーの友人でありモスクワ音楽院院長を務めたセルゲイ・タネーエフは、「ストーリーに起伏がなさすぎる」という手紙を作曲家に送っている。確かにこのオペラには、あっと驚く大事件も、戦いに勝った勇壮な行進も、涙を誘う悲恋も登場しない。そのため、人によっては「音楽は素晴らしいけれど、物語はどこで感動すればいいのかわからない」という感想を持つかもしれない。
そこで、ここでは、作品の見どころを4つのポイントに絞ってご紹介し、オペラを楽しむための手がかりとしていただこうと思う。

◆「抒情的情景」とは

 『エウゲニ・オネーギン』は1879年3月17日*、モスクワ・マールイ劇場で初演された。チャイコフスキーはこの作品を「オペラ」ではなく「抒情的情景」と名づけている。彼がなぜそう名づけたのかは、先にあげたタネーエフの批判に対する返信から読みとることができる。

「私には舞台効果や人をあっと言わせる効果などが無いかわり、私が経験したことがあり、私に理解できるような感情を、私のような人物がそこで経験している、そんなオペラのほうがずっと好ましいのです。…(中略)…ひと言で言えば〈グランド・オペラ〉を特徴づけるすべての要素を必要としないのです。」(永橋ルミ訳)

 チャイコフスキーがこの時、「人をあっと言わせる効果」を持った「オペラ」として念頭に置いていたのは、ヴェルディの『アイーダ』(1871年初演)だ。大がかりな舞台で、特別な登場人物たちが激しいドラマを展開するのが「オペラ」ならば、自分が描いているのは「オペラ」と呼ばなくて結構。そんなチャイコフスキーの矜持が現れた文章だ。チャイコフスキーが音楽によって描こうとしたのは、彼の身近にいるような「普通の」人々の、日常的で素朴な感情表現だったのである。

◆プーシキンの原作

 さて、『エウゲニ・オネーギン』には原作がある。「ロシアの国民文学を確立した」といわれるアレクサンドル・プーシキンが書いた韻文小説だ。韻文小説とは、詩のように韻を踏んだ文章で書かれた小説のこと。プーシキンは、口語を盛り込んだ独自の文体を確立したが、この小説も易しい日常的な言葉で、主人公を取り巻くロシアの貴族社会から田舎の地主の生活、農民たちの風習などが細かく描写されていて、「ロシア生活の百科事典」とも呼ばれている。文章はプーシキン自身を思わせる「私」が読者に直接語りかけるスタイルを取っていて、それも読者に親しみをもたらす要因のひとつといえるだろう。
チャイコフスキーは、モスクワ音楽院教授で歌手だったエリザヴェータ・ラヴロフスカヤからこの小説のオペラ化を提案され、最初は「まったく話にならない」と思ったものの、数日して考え直し、あっという間にあらすじを書き上げる。そして、それを弟子であり友人でもあったコンスタンチン・シロフスキーに送って台本にしてくれるように頼んだ。チャイコフスキーとシロフスキーは、プーシキンの原作の文体をできるだけ活かすようにしつつ、いくつかの場面は大胆にカットしたり、反対に原作にはない場面を付け加えたりしている。

◆エウゲニ・オネーギンという男

 主人公のエウゲニ・オネーギンは、サンクトペテルブルク生まれの貴族で何不自由ない生活を送っている。「最新流行の髪形にして、むきたての卵のようにきれいなダンディぶり」(プーシキン)で女性にモテまくるが、やがてあらゆるものに退屈してしまう。地主の娘タチヤーナの愛の告白を拒絶し、ちょっとした行き違いから親友レンスキーを決闘で死なせてしまい、絶望して外国を放浪したのち、再びサンクトペテルブルクに帰ってくる。そしてグレーミン公爵夫人となったタチヤーナと再会し激しい恋に落ちるが、時すでに遅し。タチヤーナから拒絶される幕切れとなる。
若いのにニヒリズムに支配されていて、人生で何が一番大切なのかに気づかない。最近流行りの言葉では彼のような人を「冷笑系」というが、実は19世紀のロシアにも、現代の「冷笑系」にあたる青年貴族たちがいた。ツルゲーネフが書いた小説『余計者の日記』から「余計者」と呼ばれる彼らは、西欧の自由主義的な思想を身につけ、高い知性を持ちながらそれを活かす機会が与えられず、実際の社会に背を向けて無気力でデカダンな生き方をしたり、恋愛や恋愛が発端となった決闘などにうつつを抜かしていた(ちなみに、プーシキン自身も決闘で命を落とすという最後を迎えている)。高学歴なのに定職につかず、ネットの世界で炎上に加担したりする現代の「冷笑系」とそっくりだ。オネーギンはこの「余計者」の典型であり、つまり彼の物語はとても現代的な側面を持っているといえる。

◆手紙の効果

 タチヤーナは、一目見てオネーギンに熱烈に恋をして、いてもたってもいられず、一晩かけて長い手紙を書き上げる。オペラの第一幕第二場は、眠れないタチヤーナが寝室でオネーギンへの思いをしたためる「手紙の場」で、ここの歌詞はプーシキンの文章がほぼそのまま使われている。伝統的にオペラの中では手紙が効果的に使われてきたが、大抵の場合「手紙を受け取る」ことで登場人物の感情が引き出される、という効果を担ってきた。「手紙を書く」という行為は、19世紀ロマン主義の時代に好まれた「心情の吐露」を描くのに大いに役立っている。タチヤーナの「手紙の場面」は、音楽的にとても盛り上がる一種のクライマックスを形づくっているのだ。
一方、第三幕で見事な貴婦人になったタチヤーナに再会したオネーギンは、この「手紙の場面」のメロディにのせて恋心を歌う。タチヤーナが手紙に込めた思いが、時を経てオネーギンに届いたことを表しているのだろうか。その後オネーギンは彼女に手紙を書くが(オペラにはこの場面は登場しない)、タチヤーナは彼を拒否して去っていく。時は決して取り戻すことはできない。それがこのオペラの幕切れである。

『エウゲニ・オネーギン』によってチャイコフスキーが描こうとしたのは、人が生きていくときに遭遇する愛、苦しみ、絶望、あきらめといった普遍的な感情である。人生は思い通りにならない、それでも人は生きていかなければならない。「人が生きる」ということを美しいメロディで繊細に描いたオペラ、それが『エウゲニ・オネーギン』なのだ。

*ロシアで1918年1月まで使われていたユリウス暦による。現在の暦では3月29日にあたる。