
「自立」する俳優のために
俳優の仕事には、決して終わりはありません。人間をどこまでも描き続けていくのです。戯曲からあらゆる要素を汲み上げ、自らの身体と声と心を使って、与えられた一つの役柄を築き上げては壊す作業を何度も繰り返します。稽古場という実験の場所で、演出家や相手役に対して自分のせりふや動きを何度もプレゼンテーションするために、自らの身体、声、感覚の可能性を知り、その場で起こるいくつもの瞬間を発見し、掴み取ることのできる能力を鍛えておかねばなりません。そして、ドラマの言葉とその状況とに正面から向き合うには、限りなく探求を続ける精神と、それに必要な自由に動く身体が必要となります。
また、俳優は自ら主体的であると同時に、いかに周りの環境との関係性をもてるかが問われます。自分のせりふをどう発語するか、自分をどう見せるかということだけに執着するのを止め、相手の言葉をしっかりと聴く能力をもち、自分がそこにどう存在するかを、他者から見つけ出すのです。舞台はつねに、そこで起こることだけが劇的な時間を生むのですから。
人間も世界の在り方もそうですが、異質なものがそこでぶつかり合ってこそ、違った新たな可能性の瞬間が生まれるということを、しっかりと知る必要があるでしょう。そのためには、世界、歴史、人間、そして現在という時代の流れに対し、俳優としての強い欲望と情熱をもって舞台に立たねばなりません。だからこそ、今までの自分と違った自分に出会うためのレッスンが持続的に必要となるのです。
研修では、@演技、Aムーブメント、Bヴォイスの三つの基礎訓練を重ね、これらを俳優の演技として表現できるステップにまで高めていきます。人間のあらゆる可能性に向かって、感情を全身で提示することを学ぶのです。と同時に、言葉は世界を認識する枠組みであるということを知り、言葉のもつ可能性を、多角的な視点から学びます。それは、自らが「俳優とは何か」を考えるということでもあるのです。
しかし私達が学ぶのは、有用な知識と技術だけを習得するためではありません。自分がこの世界でただ一人のかけがえのない存在であるということを確認し、自分という一個人と出会うことが出発点となるでしょう。ただ受け身のままに教えられるという関係ではなく、自分で自分の身体のなかから、いくつもの隠された才能と出会い、自ら鍛え育てるということを学ぶのです。「場」が「人」を育て、「人」が「場」を生かしていきます。そのために、それを支える「しくみ」=「場所」が必要になります。「学ぶ」ということは、「人間をどうする」「社会をどうする」ということにつながっていると思うのです。
答えは決して一つではないからこそ、芸術は新しく生まれ変わり、常に時代に息づく存在となります。演劇という人間の芸術を通して、世界、現在、そして人間について、たくさん語り合いましょう。