ベルギー

ベルギーは、1830年にオランダから独立するまで、ハプスブルグ家のオーストリア、ナポレオンのフランス、そしてウィリアム一世のオランダと、様々な国に併合されていた。この年の8月25日、ブリュッセルの歌劇場ラ・モネで、フランス人ダニエル・オーベール作のオペラ『ポルティチの物言わぬ娘』が上演されていた。終演後、アリア「アムール・サクレ・ドウ・ラ・パトリー」に刺激を受けた観客が大勢劇場の前に集まり、オランダからの独立を要求したことが騒動の始まりで、3カ月後にはベルギーが建国された。ベルギーの独立は、歌劇から始まったのだ。

その後、政府は、識字率の低いベルギーの国民に「ナショナル」意識を育てるために、次の三つのことを重要視した。それは、歴史の英雄的場面を描いた絵画、パレード、そして演劇である。このとき、国内どこでも制限なく劇場を建設してよいという法律ができた。1860年からはベルギーの国民性を讃える戯曲コンクールが毎年行われ、各劇場はその作品を上演しなければならない制度もできた。1860年代のベルギーは、法律上はフランス語とオランダ語の二言語制だったが、公の場、つまり劇場の言語はすべてフランス語であった。上流階級の人々はみなフランス語を話したので、オランダ語の演劇はフランス語の話せない中産階級以下の人々を主眼とし、二流の演劇と見られていた。フランス語とオランダ語が演劇界で平等に扱われるようになるまでは、その後約100年かかることになる。

そのころ建設された劇場で、現在、政府から補助金を支給され、国立劇場と名乗っている劇場は以下の三つである。いずれもオランダ語圏のフランダース地域に建てられた。

  • アントワープの国立劇場。1998年に「トネールハウス」と名前を変えた(1853年創立)
  • ブリュッセルの王立フランドル劇場(1887年創立)
  • ヘントの国立劇場(1899年創立)

第二次世界大戦後、政府はさらに演劇に関心をもち、当時の国立劇場に高額の補助金を出したり、俳優養成学校を創立し、運営をするなど、積極的な方策をとった。そのひとつとしてブリュッセルにフランス語による上演劇場が建設されている。

  • ブリュッセルの国立劇場(1945年創立)

政府にとって重要だった事柄は、(1)多くの観客に観てもらう。(2)ベルギーの劇作家の作品を上演する。(3)教育的な作品を上演する。(4)前衛的内容、政治的内容は避ける。の四つ。つまり演劇を芸術というよりも、教育の一環、愛国心を養うものとしていたと言っても過言ではないだろう。このような考えは1960年代まで続いていた。

当初、オランダ語系とフランス語系の劇場への補助金は同額で、アントワープ国立劇場(オランダ語系)と、ブリュッセルの国立劇場(フランス語系)だけに支給されていたが、その後、他の劇場へも支払われるようになった。2005年には政府から劇場への補助金額がさらに上がり、現在は37の劇場と劇団に合計2千500万ユーロ(約25億万円)の補助金が分配されている。

国家の概念を超えたベルギー演劇

現在のベルギーの大きな特徴は、オランダ語圏のフランダースとフランス語圏のワロンのほぼ二つの地域に分かれていることである。そして、首都であり、特別なステータスをもつ国際都市ブリュッセルがある。経済的に豊かなフランダースと、失業率が高く社会主義の強いワロンのどちらに住んでいるかによって、文化、政治、経済環境などが大きく異なっている。そのため、文化的な事象で何を「ナショナル」─国民の─といえるのか、かなり難しい。しかし、ベルギーには、オランダ語で上演される三つの国立劇場とフランス語で上演される一つの国立劇場があるのだ。

180年の演劇史をもつベルギーでは、「国家」という概念をはるかに超えた、次の時代に向かうための新たなアイデンティティーを探しているようだ。このことを一番強く意識しているのは、ブリュッセルのオランダ語系国立劇場、王立フランドル劇場(KVS)だろう。KVSでは、ベルギーの新しいアイデンティティーを探る作品を多くレパートリーにしている。近年モロッコ出身のベルギー人演出家を抜擢し、アラブ界からのベルギー文化への影響を示唆する作品を上演した。また、ブリュッセルがヨーロッパの首都であるというテーマを探る2007年製作『ユトピア』(タイトルは”Utopia”を書き換えた”EUtopia”)も未来に向かうベルギーを想像させる。2008年には日本の平田オリザに委嘱し、『森の奥』という新作を発表した。元ベルギー領コンゴに生息する類人猿「ボノボ」を飼育する人々を描き、ベルギーの言語問題を取り上げた作品である。

1994年以来ブリュッセルでは、フランス語系とオランダ語系を結ぶ共同企画として、毎年「クンステンフェスティヴァルデザール」という国際舞台芸術祭が開催されている。これは、オランダ語で「芸術祭」という意味の「クンステンフェスティヴァル」と、フランス語で同意の「フェスティヴァルデザール」を一つにした名前である。世界中から、舞台芸術の最前線に立つ作品を招聘している。日本からはチェルフィッチュなどが何度も招かれ、好評を博した。

フランダース、ワロン、そしてブリュッセルと三つのまったく異なる世界に分かれているベルギーとそれぞれの地域の演劇界だが、いずれも根本的な考え方は共通している。それは、演劇の存在意義は、まず第一に芸術であることで、教育のためや愛国心を養うためのものではないということ。そして、目指すところは、観客数の多さではなく、観客を刺激し、考えさせ、インスパイアするということだ。国から多額の補助金を支給されている制度ゆえの贅沢なポジションである。

アンネ・ランデ・ペータス[演劇研究家、翻訳家、在オランダ]

<2013.4.9発行『効率学のススメ』公演プログラムより>