ウェールズ

世界で最も新しいナショナル・シアター

世界で最も新しいナショナル・シアターは、ヨーロッパで最も古い国ウェールズにある。2009年11月5日、英国ウェールズ南部の都市カーディフにおいてナショナル・シアター・ウェールズ(National Theatre Wales/NTW)は、芸術監督ジョン・E・マクグラスが創立1年目のラインナップを発表した。13作品からなる野心的な演目の数々は、そのほとんどが劇場ではない空間を上演場所に選んでいる。まずはそのいくつかを紹介すると、

  • 「怒れる若者」で知られるジョン・オズボーンによる上演される機会の少ない『デビル・インサイド・ヒム(彼の中の悪魔)The Devil Inside Him』を発掘上演。
  • ウェールズの人気劇団ボルケーノ・シアター(Volcano Theatre)とウェルシュ・ナショナル・オペラ(Welsh National Opera)との共同制作『シェルフ・ライフ(棚の生活)Shelf Life』。スワンジー中央図書館の跡地で、書棚を縫うように使う演出。
  • グウィン・トーマスの短編を基に劇団トールド・バイ・ア・イディオット(Told by an Idiot)の斬新なフィジカル・シアター的演出の『ダーク・フィロソファー(陰りある哲学者)The Dark Philosphers』。
  • スノード二アの山間にある三階建ての小屋を舞台に、俳優は登場せず、英国人が大好きな天気の話題を考察するデイヴィッド・ハラディンによるインスタレーション『ウェザー・ファクトリー(お天気工場)The Weather Factory』。
  • アイスキュロス作、ケイト・オーライリー新脚色版『ペルシアの人々 The Persians』。今やウェールズでは伝説となっている過去の人気劇団ブリス・ゴフ(Brith Gof)のマイク・ピアソンが実際の軍用地にて演出。

こうしてマクグラスが言うところの「ウェールズの地図が塗り替えられる」ほど画期的な、ヨーロッパで最も新しいナショナル・シアターの最初のシーズンが開幕した。
ウェールズでは、古くから詩や音楽が伝統的に栄えていた。それに比べれば演劇は歴史が浅いとは言え、ウェールズにナショナル・シアターを設立するべきだという声は、少なくとも100年前から上がっていた。1997年、トニー・ブレア前首相率いる新労働党政権は、イギリスを構成する四つの非独立国のうち、ウェールズとスコットランドが政治的・文化的に独立した制作を持つことへの政治変革に応じた。これに伴い、ナショナル・シアターの設立は不可欠なものとなる。近年のナショナル・シアター・スコットランドの成功例に見習い、山が多い地形のため人口が散在しているウェールズでも、ある一か所の建物を拠点にしないプロデュース・カンパニーの形態をとることが検討された。ロンドンにあるナショナル・シアターとは異なり、カーディフやスワンジー市などに拠点を置くのではない、新しい型のナショナル・シアター・ウェールズ。さまざまな特色を持つ幅広い劇団と共同制作をしていくことで、ウェールズ各地にある小劇場や上演空間をより多く巡るプロデュース・カンパニーとして考案された。

ウェールズとスコットランドの政治情勢や芸術を取り巻く環境は明らかに類似性がある。しかし、スコットランドには書き下ろし戯曲を専門に上演するトラヴァース劇場(Traverse)をはじめプロデュース機能を持つ劇場が多数ある一方で、ウェールズにはそのような劇場は三つしかない。

2008年7月28日、ジョン・E・マクグラスは初代芸術監督に就任した際、次のように語っている。「ナショナル・シアター・ウェールズを率いるようにと声をかけられ、人生最大の好機を与えられた思いである。演劇の可能性に対して夢を見られ、演劇人や観客、ウェールズ中の多くの人々と対話するチャンスがもたらされた。幅広いアーティストたちとこれまでにないユニークな作品を創りあげる機会でもある。実にドラマチックな旅立ちの始まりだと楽しみにしている。」

NTWは、観客や全国の演劇人たちとのコミュニケーションの取り方に大きな特徴がある。ウェブサイトを開設し、ユーザーフォーラム(掲示板)を運営している劇場は多いが、NTWではこれらの通信手段を活動の中心に置いている。この主催公演ごとに意見交換をする「アッセンブリー」と呼ばれるバーチャルな集会や情報発信をするコミュニティーサイトは、おそらくウェールズで最も画期的な演劇サイトであろう。

住民を巻き込んだ壮大なスケール『Passion』

最初のシーズンの掉尾を飾ったのは、『ザ・パッション(キリスト受難劇)The Passion』である。この作品はNTWがワイルドワークス(Wild Works)と共同制作し、映画俳優のマイケル・シーンが共同演出をして自ら主演した。シーンは故郷のポート・タルボット市にキリストとして帰還し、現代版叙事詩を使って、キリスト最期の日々を再現した。戯曲は詩人オーウェン・シアーズが書き下ろしたものである。ポート・タルボット市全体を舞台にし、多数の住民がキャストやスタッフを務める地域密着・住民参加型の一大祭典となった。

この作品の壮大なスケールには、2011年復活祭の週末にウェールズ演劇界やポート・タルボット市の住民の間で大きな話題になった。上演時間3日間72時間におよぶ本作には、プロの俳優やスタッフを中心に、1000人を超える住民がさまざまな形で参加したと言われる。

この企画では伝統的な「キリスト受難劇」を上演すると同時に、ポート・タルボット市の現代の姿を描くことを試みた。「キリスト受難劇」には、キリスト最期の日々を目のあたりにし、その後彼を裁く大勢の人々が必要となる。実際に、単にこのイベントを観に来た観衆も、無意識のうちに作品を構成する不可欠な要素となっていた。つまり、観客も皆、作品の登場人物になっていたのである。さらに、この企画がなければ話題にもならないこの町へ捧げられた讃歌となり、演劇にはこのように価値観を大きく変え得る力があることを証明した。マイケル・シーンとNTWの表現を借りれば、「町の自画像を劇的に変化させる作品」となったのだ。

この企画の最大の特徴は、これまでの地域密着型演劇や伝統的なキリスト受難劇と異なり、作品と観客間の強力な相関関係だといえるだろう。週末の大イベントは数百に上る小イベントで構成されている。見物客は、自分たちが観たイベントの様子をツイッターでつぶやき、映像をYou Tubeに投稿した。人々は続々とイベントの観衆に加わり、メールや電話、ブログ、ツイッターによって最新情報を報告し合う。こうして個々の観客の体験は、バーチャルな世界を通して短時間のことながら他の多くの観客と共有された。観衆の数だけ異なる参加の仕方があり、観客の数だけ異なる観方があったのだ。ガーディアン紙のリン・ガーディナーは次のように述べている。

「人々は動画サイトで観たものと、実際に目の前で演じられたものとを、区別することなく受け入れていた。シーサイド・ソーシャル・アンド・レイバー・クラブでマイケル・シーンが自分のサンドイッチの半分を皆に分け与えた時、あるいはマニック・ストリート・プリーチャーズが舞台上で逮捕された時、その場にいなかった大勢の人々も、まるで自分がそこにいたかのようにリアルに感じた。観客が作品をここまで自分たちのものにできたのは、想像力の豊さゆえであろう。また、12世紀からアイステズヴォッドが引き継がれているウェールズ特有の土地柄とも関係があるだろう。」
すでに二年目のラインナップが発表されたが、特に注目すべき作品は、ティム・プライス作『ザ・ラディカリゼーション・オブ・ブラッドリー・マニング(過激なブラッドリー・マニング)The Radicalisation of Bradley Manning』である。アメリカ大使館の機密情報をウィキリークスに漏えいし、現在服役中のアメリカ人の若者が、ウェールズ南部で過ごした十代の日々を振り返る。また、シェイクスピア作『コリオレイナス』の新制作公演は、ロンドン・オリンピック開催期間に合わせて上演される予定である。

さらなる進化を目指し、世界へと視野を広げるプロデュース・カンパニーであると同時に、闊達な地域力の結集でもあるNTW時代がいよいよ到来した。

シアター・ゲネデレイソル・カムリ
─ウェールズ語の国立劇場

ウェールズでは昔から詩や音楽は盛んであったが、演劇の歴史は比較的浅い。しかし、ウェールズにも国立劇場が必要だと言われ続けて、少なくとも100年になる。1990年代以降、イギリス政府からウェールズに政治の自治権を移譲させる運動が起こり、議会が設立され、1998年には税率と軍事政策以外のすべての立法権がウェールズに移された。こうした政治的背景を踏まえ、独自の言語体系(公用語は二ヶ国語)を反映させた国立劇団を所有すべきで、その発足を緊急に検討しようという機運が高まる。ところが、二ヶ国語の国立劇団はつくらず、大多数の人々が使う英語ではなくて、少数派の言葉であるウェールズ語だけを使う劇団が2003年に設立された。この劇団は「シアター・ゲネデレイソル・カムリTheatr Genedlaethol Cymru」 (TGC、「ウェールズ国立劇場」のウェールズ語)と名づけられ、わずか105万ポンド(当時の換算レートで約2億円)の助成金が与えられた。英語による「ナショナル・シアター・ウェールズ」の誕生は、2009年まで待たねばならなかった。

国立劇場が二つ以上ある国はウェールズに特異なことではない。異なる言語による国立劇場を複数有する国は他にもたくさんある。ギリシャには北のテッサロニキと南のアテネに二劇場、ポルトガルには三劇場、もちろん日本にも複数の国立劇場が存在する。

多彩な作品群

山が多く、人口が散在しているウェールズの土地柄を考慮し、拠点となる劇場を置かない方針を決めた。そのためTGCは、地方公演を中心とし、ウェールズ各地の劇場プロデューサーと協力する体制をとっている。TGCはウェールズの首都カーディフに拠点を置くべきだという意見もあったが、都会や演劇の伝統がある街ではなく、南西ウェールズの小さな町カマーデンの大学キャンパス内に事務所と稽古場を構えた。

初代芸術監督にはセフィン・ロバーツが任命され、理事会が設立され、その後制作スタッフと座付き俳優たちが採用された。彼らは作品に出演するだけでなく、アウトリーチや教育プログラム、研修にも協力して参加することによって、グループとして信頼できる「劇団体制」を確立することが基本方針である。以降、自主制作企画、公演の上演、支援活動、教育、研修などいくつもの役割を同時に担うのが、TGCの特徴となっている。
設立当初からTGCは、幅広く多様な作品を取り上げると表明した。ウェールズ語で書かれた古典だけを無難に上演するのではないかとの懸念をよそに、ウェールズ人作家による新作書き下ろし作品や、ウェールズ語の20世紀の古典劇、英語原作の戯曲、ヨーロッパの古典作品など様々なジャンルの戯曲を上演している。
2003年から上演された作品は22前後。そのなかには、以下のような作品が含まれている。

  • 『Yn Debyg Iawn i Ti a Fi (君や僕のように)』劇団旗揚げ公演。精神の病を題材にしたウェールズ人作家マイク・ポービーによる書き下ろし新作。
  • 『Romeo a Juliet』シェイクスピア作『ロミオとジュリエット』の翻訳劇。
  • 『Diweddgan』ベケット作『勝負の終わり』の翻訳劇。
  • 『Dominos』カーディフのナイトクラブやバーを舞台にしたウェールズ人若手作家による4つの短編新作。
  • 『Tŷ Bernarda Alba』ロルカ作『ベルナルダ・アルバの家』の翻訳劇。
  • 『Cariad Mr Bustl』モリエール作『人間嫌い』の翻訳劇。
  • 『Esther』ソーンダース・ルイス作、ウェールズ古典劇。
  • 『Iesu!』キリストの生涯を描いたアレッド・ジョーンズ・ウィリアムズ作の実験的作品。
  • 『Y Pair』アーサー・ミラー作『るつぼ』の翻訳劇。
  • 『Tyner Yw'r Lleuad Heno (今宵、月はやさしく輝く)』マイク・ポービーによる書き下ろし新作。
  • 『Deffro'r Gwanwyn』フランク・ヴェデキント作『春のめざめ』の翻訳劇。
  • 『Porth y Byddar』ウェールズの近代の歴史的事件を扱ったマノン・イームズによる書き下ろし新作。
    後に、クリューイド・シアター・カムリClwyd Theatr Cymru(劇場)との共同制作により英語版『ドラウンド・アウト(立ち退き)』が上演された。
  • 『Siwan』ソーンダース・ルイス作、ウェールズ文学の古典。
  • 『Hen Rebel』19世紀ウェールズにおける宗教の復興を描いた音楽劇。

セフィン・ロバーツの退団後、2011年5月からアーウェル・グリフィズが芸術監督になった。グリフィズは演出家であると同時に俳優でもあり、以前はシャーマン・カムリという南ウェールズにある若者向け書き下ろし新作を専門に上演する劇団のアソシエート・ディレクターを務めていた。彼が芸術監督としてシアター・ゲネデレイソル・カムリで手がけた最初の作品は、シャーマン・カムリとの共同制作で、以前同劇団で成功を収めた『Llwyth (種族)』の再演だった。
ダフィズ・ジェイムズ作『Llwyth』は、「ゲイのアイデンティティーとウェールズ人らしさについての華やかなファンタジア」と評され、ウェールズ中を巡演し、エディンバラ・フェスティバルではウェールズ語による演劇作品として初めて、名誉あるブリティッシュ・カウンシルの公式招待作品に取り上げられた。TGCにとって、この作品がエディンバラ・デビューである。ガーディアン紙の劇評家アンドリュー・ディックソンはこの作品について次のように述べている。

「私が観たときは、まだ理想に表現が追いついていず、作品として完成されていないように感じたが、それでも今年のフェスティバルのどの作品よりも斬新であった。言葉や性という大きな問題に取り組みながらも、説教くさくない。ウェールズ語と英語とこの両方の言語を混ぜた造語(※)ウェングリッシュを取り混ぜての上演だった。Y Gododdin(戦死した戦士を悼む、600年ごろの最古の詩)とGrindr(ゲイ)の両方に焦点を置いた、今まで観たことのない演劇である。ウェールズ語は“diolch(ありがとう)”という言葉しか知らないので、始終字幕に集中せざるをえなかったが、それでもかなり説得力があった」

この作品では、グリフィズのウェールズ社会への貢献の一端として、公演地ごとに異なる30人強の地方合唱団を出演させ、劇中の音楽効果を盛り上げると同時に、フィナーレを感動的なコーラスで締めくくった。

活気づくウェールズ演劇界

アーウェル・グリフィズによれば、昨今ウェールズ演劇界は、二つのウェールズ国立劇場がどのように共存し、助け合っていけるかを模索していることから、より活気づいているという。TGCの役割のひとつはウェールズ語を普及させることであるが、「町や村の数だけ異なるウェールズ語のアクセントがある」という。そしてウェールズ語は今やウェールズ人だけが使っている言語ではない。「多くの人がウェールズ語の存在を知っていて、いくつかの言葉の意味がわかり、どこかで聞いたことがある」。TGCは、現在ウェールズでウェールズ語を解する人々のために演劇作品を上演することを活動の中心にしているが、今後は国際的な舞台で公演することも視野に入れている。

ヨ―ロッパで最も古い言語を使う、最も新しい国で、ウェールズ人としてのアイデンティティーを模索する姿は、育った環境が様々に異なるゲイのグループについて描かれた『Llwyth』に明確に表れている。何世代にもわたり、家庭でウェールズ語を話している人がいる一方、学校で初めてウェールズ語に触れる人も少なくない(公立学校に通う99.8%の小学生と99.1%の中学生が学校でウェールズ語を習っている)。舞台は「誰がどのくらいうまくウェールズ語を話すことができるか」が最大の関心事の、ある「種族」を取りあげているが、このテーマはそのまま観客への問いかけにもなっている。つまり、この作品はウェールズ語がまったくわからなくても字幕を通して内容が理解できるようになっているが、実は言葉を理解する能力によってこの作品のメッセージの理解度が変わってくるのだ。

21世紀にウェールズ語がますます認知され発展していくとともに、ウェールズ語の国立劇場シアター・ゲネデレイソル・カムリがさらに自信と活気に満ちた10年後を迎えることを期待したい。

ウィリアム・ジェイムス[ディレクター、在ウェールズ]

(※)「ウェングリッシュ」とは、ウェールズ語と英語が混じり合った俗語。単語の意味は英語に近く、文法はウェールズ語。英語が母国語で多少ウェールズ語の知識がある人が使うことが多い。あるいは、ウェールズ語が母国語の若者が、アメリカ英語をウェールズ語に混ぜることが「格好良い」と思って使う。

<2011.9.20発行『朱雀家の滅亡』/2011.11.5発行『天守物語』公演プログラムより>