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2009年7月2日

『現代能楽集 鵺』 坂東三津五郎インタビュー

2003年「世阿彌」で新国立劇場に初登場した坂東三津五郎が、
今回は、世阿彌作といわれる能「鵺」をモチーフにした新作現代劇に挑む。
歌舞伎と日本舞踊の屋台骨をしっかりと支え続けながら、
ここ数年、俳優として活動の幅をいっそう広げている。
演出の鵜山仁、作家の坂手洋二ともに初顔合わせとなる今作でも、
未知の世界でのゼロからの作品づくりが楽しみだという。

インタビュアー◎山村由美香(演劇ライター)
会報誌The Atre 5月号掲載


あえて歌舞伎とまったく違うものを

 

――今作へのご出演は、どのような経緯で決められたのですか?

 鵜山さんとは前から、ぜひご一緒したいと思っていて、そのお話の中で坂手洋二さんの書き下ろしで、というご提案があったんです。坂手さんの作品は拝見していなかったので、これまでの戯曲を読んでみたんですが、日本人の一番得意とする情緒とか義理人情とか余韻とかがない、研ぎ澄まされた世界という感じがしましたね。そういう意味では、歌舞伎とまったく正反対の世界。だから、自分にとっていい刺激になるかな、面白い空間に身を置けるのかなと楽しみにしています。

――2007年にダンダンブエノ「砂利」で青山のスパイラルホールに出演されたときも感じたのですが、未知のタイプの作品にも、自ら飛び込んでいかれるほうなのでしょうか?

 そうですね。自分を磨く機会になりそうなものは、たまにやったほうがいいかなと思っているんですよ。歌舞伎の伝統の素晴らしさというのは確かにあるけれど、1年に12か月舞台をやっている異常な世界ですから、そこでは瞬く間に芝居ができてしまうわけです。昼夜8本の出し物を、4日間の稽古で初日開けちゃうんですからね。それはプロ中のプロの集団だからできることだけど、たまには何もないところに設計図を引き、皆で柱を立て、壁を張り屋根を乗せ、というふうに芝居をつくり上げていくのもいいなと。なおかつ、せっかくやるなら、いっそまったく違うところに身を置いたほうが、歌舞伎で培ってきたものが通用しない分、自分のためになるかなというのがあるんです。

――現代能楽集ということで、古典が題材になっている点はいかがでしょう。

 「鵺」自体は観たことないんですが、能をモチーフにした作品は、歌舞伎にもたくさんあるんですね。その中でも能をほぼそのまま取り入れた“松羽目”というジャンルと、能の精神だけを取り入れて完全に歌舞伎化したものの2種類あって、たとえば「勧進帳」は前者、「京鹿子娘道成寺」は後者。それで、なるほどなと思ったのは、能役者の方は歌舞伎化しちゃったもののほうが面白いそうなんです。そういうほうが観ていて歌舞伎のエネルギーを感じるって、亡くなられた(先代の)観世銕之丞先生に言われたことがあります。だから今回も、能を題材にしているからといって、やる側が能にこだわる必要はないんじゃないかと思って、あまり意識はしていないですね。

――「鵺」は、以前演じられた世阿彌が晩年に書いたといわれている作品ですね。なにか不思議な縁を感じます。

 「世阿彌」は、今までやってきた中で一、二を争う深遠で難しい芝居でした。僕の身の丈より世阿彌のほうが深すぎたというか。同じ山崎正和さんの作品でも、その前にやった「獅子を飼う」は、比較的分かりやすかったんですけれど。
 ただ因縁ということでは、話はまったく変わりますが、面白い話があるんです。実は一昨日から一泊で(家元を務める)坂東流の研修旅行があり、宇治の平等院にも行ったんですね。鳳凰堂を見学する待ち時間に周囲を見ていたら、隅の方に「扇の芝」という場所があって。そこは(能「鵺」の主要人物である)源頼政が戦いに敗れて切腹したところだと聞いて、これは呼び寄せられたかなあと思いました。そういうことって、今までもあったんですよ。幼稚園の頃からなにかと曹洞宗に縁があって不思議に思っていたら、「道元の月」という新作歌舞伎で道元を演じることになり、「これか」と思ったこともあります。



小劇場に立てるのが楽しみ

 

――芝居をつくるうえで、歌舞伎と現代劇ではどんな違いがありますか。

 一番戸惑うのは、稽古が長いでしょ。歌舞伎で4日間くらいの稽古に慣れているから、どこにピークを持っていっていいのかが分からないんです。作品の難度とか、演出家によっても違いますしね。自分の中で早く上げすぎちゃって、「もう明日が初日でもいいのに」って思うときもある(笑)。
 ほかは、台詞覚えなども字面が多いだけで、その役の言葉として自然に発せられるようにするっていう点では同じです。ただ、ダンダンブエノをやったときに感じたのは、自分の中でひとつ殻が破れたというか、また違うものが加わったなという感覚が、歌舞伎に戻ってみてあったんですね。人間生まれて50越えてくると、使っている細胞はすごく磨かれて精度が高くなっていると思うんですが、一方では逆に「もう俺たちは使われないんだ」と怠けてる細胞もきっとあると思うんですよ。そいつらを使うことによって、もともと使っていた細胞にもいい刺激になればいいな、というのも新しいことをやる理由のひとつです。

――そういう意味では、坂手さんの劇作世界は、かなり刺激になりそうですね。

 そうかもしれません。この前、角野卓造さんが久しぶりに電話をくれたときも、坂手さんの新作に出るって話したら、びっくりしてましたから。それがどの程度意外なことなのかは本人には分からないんだけど、面白い経験をさせてもらっているんだなあと感じましたね。

――紅一点の田中裕子さん、文学座のベテランのたかお鷹さん、映画での活躍が目立つ村上淳さんと、キャスト4人の出自や個性の違いも、舞台でどんな効果となるのか楽しみです。

 田中裕子さんとは、随分前に一度だけテレビドラマで、恋人役でご一緒したことがあるんですよ。感性において非常に面白い方だと思っていたので、舞台で共演するのが楽しみですね。たかお鷹さんもドラマでご一緒しましたし、村上淳さんとはまったく初めてなんですが、映画「禅」で共演した(中村)勘太郎君に聞いたら、面白い人だって言ってました。
 なにより、前回の「世阿彌」は中劇場でしたから、小劇場でやれることが、まず楽しみなんです。観客として何本か観て、やっぱり芝居をするなら、こっちの空間がいいなと思っていましたし。あの空間に自分が立ったらどうなるのかというのも含めて、今は、まったく想像のつかない世界に連れていかれる前のような、不安と恐ろしさと期待が入り混じったような気持ちです。


⇒『現代能楽集 鵺』公演情報