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2008年9月11日

「山の巨人たち」出演 平 幹二朗インタビュー

ノーベル賞作家ピランデルロが遺した、知的な大人のおとぎ話「山の巨人たち」
この作品を、幻想的な舞台づくりの名手である
フランス人演出家ラヴォーダンが、日本人キャストと共につくり上げる。
演劇的刺激に満ちたこの企画で、新国立劇場に初登場となるのがこの人、
平幹二朗だ。演劇界の巨人≠ヘ、しなやかな感性で稽古を心待ちにする。

インタビュアー:徳永京子(演劇ライター)
会報誌The Atre 9月号掲載

 

何筋も縄がいる役がおもしろい

 五十年以上に渡って第一線で活躍されている平さんですが、そのお仕事は、舞台、映像、翻訳劇、時代劇と、バランス良く多岐に渡っていらっしゃいます。出演作はどのように決めていらっしゃるのでしょう?

 情けない話になってしまいますが、僕には計画性がありません。ですから、あまり自分から「次はこういう作品に」といったことは考えないんですよ。振り返ると確かにいろいろなジャンルの芝居をしてきましたし、やりたくない仕事をせずに済んできました。それはすべて、幸運なことに自然な流れでした。ただ、一度だけ自分から「この人と仕事がしたい」と言ったことがあって、それが蜷川幸雄さんです。俳優座に十一年いたあと、劇団四季の浅利慶太さんと七年ほどお仕事をさせていただいて、それまでとまったく違う、自分を壊す経験をしたくなった。当時、蜷川さんはご自身の集団を解散され、商業演劇に進出された頃でしたが、厳しい作品をつくられるという噂はすでにありましたので(笑)、そういう方に自分を預けてみたいと思いました。

 平さんのパブリックイメージは、技術的にも精神的にも高いレベルでずっと安定している方です。「積み上げてきたものを壊したい」というアナーキーな欲求を、過去とはいえ実現されていたのは意外です。
 
 むしろ最近また感じているんですよ。歳を取って、これまで格好つけてきた部分が、どんどんそうは行かなくなってきたからでしょうか。自分をそのまま放り出して、放り出した中でもがく楽しみが見つけられるようになってきました。「これがやりたい」というものは相変わらずないんですが、今の方が昔より「やったことのないものをやりたい」という気持ちは強くなっています。

 いつ頃からそういうご心境に?
 
 作品としてはっきり自覚したのは、蜷川さんと二度「テンペスト」をやりまして、その再演(00年。初演は八七年)あたりからでしょうか。ちょうどラヴォーダンさんが「山の巨人たち」について「シェイクスピアの『テンペスト』のようなもの」とおっしゃっていたのでダブりますけれども。つまり、リアルに考えて役を追いかけても、追いかけきれないところがありますよね、「テンペスト」のプロスペローという役は。「山の巨人たち」のコトローネも、リアルな役作りでは追いかけきれない。ある時は喜劇的なタッチ、ある時はシュールな感覚が必要ですし、幻想的な飛び方もしなければいけない。そういう役は、プロスペローで初めて会った気がします。経験としては少ないんですけれども、その頃から一筋縄どころか、何筋も縄がいるような役がおもしろくなり始めました。

 

ドアを開けたら何もない?

 理で固めていくのではなく、あえて感覚や直感を信じるんですね。
 
 シェイクスピアなんかだと研究書もたくさん出ていますし、つい、つたない頭、足りない知識で埋めようとしてしまいます。「私はこう理解してますよ」と提示しないと、ばかにされると思うような傾向もありましてね。でもそこを「(理屈で)埋まらないなら埋まらないでいいや」と思い切ると、自分が予期しない表現が生まれて、意外とそれが最初から脚本に用意されていたような自然さに感じられたりして。結局それが「脚本を信じて飛んでみろ」ということなのかもしれませんけど、そういう自由な感覚を「テンペスト」の再演で初めて知りました。

 「山の巨人たち」は、人間くさい問題を抱えた劇団の俳優たちと、人間とは別のレベルで生きている道化たちの話ですが、その二つの世界は、読み方によってはかなり乱暴に結び付けられています。平さんはそこを「全部理解しよう」ではなく「そこは余白として楽しもう」と?

 そうですね。先日、来日されたラヴォーダンさんと短い時間ですけどお話をしました。難しい芝居はいろいろがあるけど「山の巨人たち」は学校の先生が説く哲学ではなくて、荒野で暮らしている人から生まれてくるような哲学だと。大自然の中で心を開けば自然が語りかけてくれる。説明的には書かれていないけれども、その中で本当の命を見つけ出そうとする感覚はわかる気がします。ただ、ピランデルロの作品は、奥さんが精神病だったせいもあって、よくそういう人が出てきます。そうするとドラマの軸が揺れるように思います。そこは演出家がたくらんでいることに身を任せてブレてみたいと思います。

 戯曲を読むと、ついさっきまで道があったのに目の前でふと途絶えて、まったく違うところに続きが出てくるような印象です。

 で、最後にドアを開けたら、そこは何もなかったという感じですよね(笑)。その間のお部屋めぐりはすごくおもしろい。最後の最後にパタと落ちてしまうか、そこから飛び上がれるか。ぜひとも高く飛びたいと思っていますが、どうなりますか(笑)。