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2008年9月12日

「古楽とストラヴィンスキー」
木佐貫邦子・平山素子インタビュー!

9月15日(月)10:00〜 一般発売開始!
「古楽とストラヴィンスキー」公演情報はこちら



「音楽と出会う」というテーマのもと、ダンスと音楽の関係を追及する今シーズン。
高い技術と洗練された感性でコンテンポラリーダンスの前線を切り開く木佐貫邦子と平山素子が、
古楽とストラヴィンスキーという相反する音楽に挑む。
古代ギリシアの円形劇場のような場に変わる中劇場、
時間を越えて聴き継がれてきた音楽から、
新たな息吹が芽生えそうだ。


インタビュアー:稲田奈緒美(舞踊評論家)
会報誌The Atre 9月号掲載





 

木佐貫邦子「キャラバン」

古楽は、砂漠を移動するキャラバンに吹く風。
人と人の結びつきをダンスにするのが目標です。


---------古楽を使った今回の作品に、「キャラバン」とタイトルを付けたのはなぜですか?
 
植物が育つためには光と水と土と、それから風が必要なのだそうです。そんな風にあたるのが音楽かな、と漠然と考えました。そして古楽には、砂漠でキャラバンが移動しているときに吹いている風、というイメージがありました。キャラバンはいろんな人で構成されていて、何かによって結びついている。音楽やキャラバンをテーマにというより、人間同士が何によって結びついているのか、それを抽象化してダンスにするのが今回のテーマです。


---------出演するダンサーは木佐貫さんのほか、コンドルズで大活躍している近藤良平さん、デュオ「ほうほう堂」の福留麻里さん、若手の入手杏奈さんの4人ですね。

年齢もキャラクターも違っておもしろいでしょう。あるときは近藤君と私が夫婦で、あとの2人が娘に見えるかもしれませんし、あるときは姉弟や姉妹に見えるかもしれません。ですが、あきらかな結びつきは設定しないで、同じ風を受けながら、考えていることも身体性も違う人同士が、それでもどこか同じ方向へ向かおうとしているような。約束はしてないけれど、待ち合わせ場所は決まっている、というようなダンスにしたいと考えています。


---------曲目は検討中だそうですが、何かイメージはありますか?

しっかり芯となる古楽を据えますが、それを鳴らし続けるのではなく、シーンによってはコンピューターで作ったノイズのような、無機的な音楽を使いたいと考えています。そして、ここぞというときには、とんでもなくきれいな古楽が流れる。そんな構成を今は考えています。余計なことはやらずに、ズバッと本題に入って踊りぬきたい。そのために、踊りぬく意欲のあるダンサー、そして、居方というか、存在の仕方に雰囲気、色のあるダンサーを選びました。もともとの個性よりも、踊っていく中でその人の独自性が現れてくるといいな、と思っています。


---------今回は中劇場の舞台と客席を、古代ギリシアの円形劇場のような配置に変えるとか。なんだか現代的な劇場の中に風が吹いてきたような気がします。
 
はい、観客の方にも風を感じていただけたら嬉しいですね。

photo:鹿摩隆司

 

平山素子「春の祭典」

音楽に忠実に、
女と男の2つのからだだけで生み出されるドラマを描きます。


---------「春の祭典」は多くの振付家が挑んできた作品で、様々なバージョンがあります。また、平山さんは、ニジンスキーが振付けたオリジナル版の復元上演で、生贄の乙女を踊られました。今回はどんな作品になるのでしょう?

ニジンスキーの「春の祭典」はダンサーとして舞台に立つ場合、ただつらい作品でした。生贄の乙女が恐怖と選ばれたという光栄な気持ちで錯乱する様を、ジャンプを異常な回数繰り返すことで描きます。ニジンスキーはダンサーの力配分とかやりがい、観客の存在より、トランスしていくプロセスをリアルに描いたのだと感じました。この経験から、いつか振付家として独自の考え方を反映させてみたいと考えていました。これまで、多くの振付家が挑戦してきましたが、女性が肉体を捧げていくことが中核になっているように感じます。ではその一方で、立ち会っている男たちはどういう心情で、男たちの肉体はどこへ行くのか。そこをデュオで描けないか、と考えました。


---------確かに、群舞と生贄の乙女という構成ばかりですね。今回の平山版では、ヨーロッパで長く活躍し、昨年、平山さんが振付けた「Life Casting」にも出演した柳本雅寛さんとのデュオです。

柳本さんはダンスの技術だけでなく、クリエイションにもポジティブな信頼できるダンサーです。彼はこれまでの「春の祭典」の上演の歴史をあまり観ていないようです。反対に私はオリジナル版を踊ったため、ストラヴィンスキーの楽譜の書き込みまで知っている。私は一度その情報を取り払って、互いに音からうけた湧き出る感覚を、素直に動きに乗せてみよう、と2人で作り始めました。それにしても音が細かくて、30秒くらいのシーンに1時間かかったり。でも、苦しいことを楽しんでいるのは間違いありません。


---------今回はオーケストラではなくピアノの生演奏です。しかも、オケピットには入らず舞台で演奏する。舞台は客席の平土間と同じ高さなので、観客と音楽でダンサーを囲むような空間になりますね。

私にはピアノの方が現代的に聞こえます。単純な音と音が絡み合って融合していく様が感じられます。このピアノの音と共に私の作品では観客の方にも、目撃者あるいは共犯者となって、女と男の2つのからだだけで生み出されるドラマを見届けていただきたい。私の目指すのは劇場空間すべての人が、からだでのコミュニケーションを経験することです。