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2008年6月13日

完売目前! コンサート・オペラ「ペレアスとメリザンド」
芸術監督・指揮者:若杉弘&東京フィルハーモニー交響楽団ソロ・コンサートマスター:荒井英治
特別対談

芸術監督・指揮者:若杉弘
東京フィルハーモニー交響楽団ソロ・コンサートマスター:荒井英治

 

残席僅少・完売目前と皆様から大きな期待を頂戴しているコンサート・オペラ「ペレアスとメリザンド」。現在、この企画の立案者でありオペラ芸術監督・指揮者の若杉 弘が自ら陣頭指揮を執り舞台構成を含めた最終打ち合わせを行なっております。
その合間を縫って、本公演のコンサート・マスターである東京フィルハーモニー交響楽団 荒井 英治氏と若杉 弘との特別対談を企画いたしました。対談は和やかに、そして時には熱く、真剣に盛り上がりました。それは本公演の大成功を予兆させると申し上げても過言ではございません。

みなさま、どうぞご一読下さい。そして本公演へのご来場を心からお待ちしております。


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コンサート・オペラ「ペレアスとメリザンド」芸術監督・指揮者:若杉弘&東京フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター:荒井英治がオペラの現場から語る。


幻想的な響きの中に、人間の感情が色濃く浮かび上がる歌劇「ペレアスとメリザンド」。新国立劇場ならではの斬新な試みとなる「コンサート・オペラ」でタッグを組む、指揮者とコンサートマスターが、オペラにおける「音の世界」を掘り下げるべく、語り合う。

聴き手:岸 純信(オペラ研究家)


若杉:今日はどうぞ宜しくお願いします。さて、最初からいきなり問いかけをします。荒井さんは、今の日本に「オペラ指揮者」がいると思われますか?

荒井:そうですね...オペラに積極的に取り組む指揮者の方は少なくは無いと思うのですが...。

若杉:なるほど。ただ、コンダクターには二つのカテゴリーがあり、コンサートの指揮者と劇場の指揮者に分かれます。では、この二種類で、いったいどこが、何が違うのか? ― 今日は「ペレアスとメリザンド」についてお話しするのは勿論のこと、せっかく荒井さんをお迎えしての対談でもあるので、指揮者のあり方についても、話題の一つにしたいと思っています。
ところで、日本に100年のオペラ上演史があるなかで、歌劇場が存在したのは、この十年のみ ― まさに新国立劇場の開場以来ですね。私がドイツで活動していた頃の話ですが、ダルムシュタットのような地方の劇場でシーズン初日の「魔弾の射手」を振ったとき、劇場中が言いました。「なぜ日本人の指揮者にドイツものの初日をやらせるのか?日本人がオペラを振れるのか?日本には歌劇場が存在しないというのに」と。悪意があって言っているのではないのですが、方々でそのように聞きました。

荒井:確かに、彼らにとってはそれが正論なのでしょうね。

若杉:そう。彼らはただ、自然に湧き出た疑問として口を開いていたんです。それから、各地の劇場を渡り歩いた上で、デュッセルドルフの歌劇場で音楽監督の職に就きましたが、就任から半年ほどして、総支配人のグリーシャ・バールフス博士にこう言われました「君ね、どうしてオペラを振っているのに、オーケストラの面倒を見てばかりいるのか? 君はコンサートの指揮者だね。まだオペラの指揮者じゃないね。劇場の幕が上がっているのに、オーケストラにばかり指揮をしている。そんなにオーケストラのことが気になるのかな? 楽団員は善意の集団なのだから、彼らを信じなさい。指揮者と歌い手が一緒になって音楽を作るかたわらで、オーケストラは君の上着の袖のように、君が意図するほうに動く。それが歌劇場の管弦楽団だよ」。博士はこんな風に仰ったのです。そのときまさに、目の前が拓けたという感がしました。

荒井:まさしくそうなんでしょうね。オペラで指揮者がオーケストラのことばかり気にかけていると、舞台の上の呼吸、ドラマの流れといったものがおかしくなってしまうようです。東京フィルハーモニー交響楽団の面々も、オーケストラピットに入ってから長いので「舞台の上でなんだか歌手たちが辛そうだな、声の伸びが無いな、吸ったり吐いたり出来ていないな」という状況はすぐに感じます。一方、指揮者がいちいち指示しなくとも音楽についてゆけるオーケストラには、やはりそれだけの歴史やキャリアがあるわけです。「椿姫」などでも、これからどういうドラマが始まるかということを、コンダクターが意識しながら振っているかどうかという点は、前奏曲の段階で我々にも分かってしまいます。それに、コンサートでオペラの楽曲を演奏するときに、あるメロディがどういう場面で出てくるかということを把握している管弦楽団と、そうでない団との違いは大いにありますね。指揮台に立つ人にも勿論その違いはあります。つまるところ、オーケストラを率いるからには、いろんなことを知っていなければならず、「自分はこの音楽を振っていて幸せだ」だけでは駄目なんですね。

若杉:そうです。オーケストラピットの中の楽団員たちは、舞台の歌をまさしく全員で聴いていますね。そして「一緒に音楽を進めよう」という善意を育んでいます。しかし、そのことに気付かない指揮者もいるわけです。そういう人が「今夜は俺がリーダーだ!総理大臣だ!」となると、オーケストラの一人ひとりが、舞台上のバランスを聴きあって、自主的に音量を抑えたりということも無くなってしまう。ドレスデンのシュターツカペーレのようなオーケストラだと、指揮する側に向かって「俺たちは歌と一緒に『居る』んだから、邪魔しないでね、余計なことをしないでくれよ」といったことを練習場ではっきりと言いますよ。「ばらの騎士」 の時なんか特にね(笑)。ですが、こちらが分かってくると、彼らは「俺たちのサウンドを引き出す指揮法をやってくれた!」と喜ぶのです。「魔笛」の序曲の冒頭の三つの和音の出し方一つでも、日がたつにつれて、そういう風に言ってくれました。

荒井:なるほど。自分たちの伝統を壊さないでくれということですね。また、優れたオーケストラならば、指揮者の正当な要求にその場で応えるでしょうね。もちろん、指揮者にそれを聴きとる耳がないといけないのですが。しゃかりきになって、ぐわっと振ったとしても、果たしてそこで良い音がしてくるかどうか、その見極めですね。オーケストラとしては、5分ぐらいのオーヴァーチュアでも、稽古で一度繰り返すだけで、対旋律が聞こえてきたり、16分音符の刻みがあるといった音楽の全体的な状況に、楽団員がそれぞれ気付きます。つまり、曲をどんどん意識してゆくわけですね。ですので、若杉先生がよく仰る「皆さん、互いに聴きあって下さい!」というご注意など、オーケストラが自分でサウンドを作ってゆく姿勢を尊重されるがゆえのご指摘であり、そのように認めて、協調して下さる指揮者の方だと、演奏する側にも実に有難いのです。

若杉:確かに。例えば、マーラーの第十交響曲の中に、ヴィオラだけが響くパッセージが出てきますが、ああいう箇所も指揮者があれこれ指示するよりも、奏者たちが互いに聴きあうことで完成度が高くなるわけです。だから、ずばっと「もう、ヴィオラの面倒はみきれない!」と言ったりしたこともありました(笑)。また、良い管弦楽団なら、先ほどお話ししたように、練習を五分十分と進めてゆくだけで、自主的に音量のバランスを取ってくれたりしますね。
その意味からも、伝統あるオーケストラは、僕にとっての「先生」でした。音大で学ぶ指揮法は、語学に喩えるなら「文法の習得」であり、「表現法」はオーケストラとの現場で実地に学ぶものです...それで、ここで結論を一つ、先に言ってしまうならば、オペラ指揮者というものは、やはり、歌劇場で育つものだということですね。同様に、オペラの演出家も、それからオペラの台本を書く人も、歌劇場が育てるはずなのです。ですから、この新国立劇場がこれから数十年かけてやらねばならないことは、そういったエキスパートたちの「輩出」ですね。ところで、荒井さんも、多くの人を指揮台に迎える立場にいらっしゃるわけだから、例えば、このコンダクターはオペラの経験が薄そうだな? コンサートの方が向いているかな? などといったような、いわば、舞台との間で隙間風が吹くような感を受けられたりすることもあるのではないですか。

荒井:率直なところ、それは...ありますね(笑)。国籍にかかわらず、指揮台に立った瞬間から、オペラを専門とする指揮者には、それに相応しい「空気」が醸し出されるようです。反対に、コンサートの合間にオペラも振ってみようかなという人の場合、時に、音楽の全てを自分で掌握しようとして、肩に力が入りがちのようです。でも、オペラ指揮者だと、そういった点で、表現法がすっきりしている、無駄が無いといった感を受けます。彼らの棒のもとでは、演奏する側も、すぐに歌と一緒になれるのです。

若杉:まさにそうですね。オペラ指揮者には、劇場の空間全部を把握する必要がありますが、でも、いま目の前で響いている音だけに集中して、交響曲をやるような感覚で統括しようとすると、舞台の上の歌手たちが「息が吸えなく」なってしまうんですよ。また、歌手に「息を吐かせる」のも大事ですね。つまりは、歌いきらせて、二酸化炭素をめいっぱい出させてから、新鮮な酸素を吸わせて、それから次のアインザッツということです。歌劇場で育った指揮者なら、そういった点も腕のみせどころになります。
 ただ、劇場がなかった我々の世代も、オペラの現場での努力は欠かさず続けてきましたよ。私が17歳から、藤原義江先生のもとで稽古場のピアニストを始めたときなど、制作側に人手が足りないものだから、演出家の指示をノートに書きとめたり、舞台スタッフの一員としてステージ裏を駆け回ったり、ありとあらゆることをやりましたね。
それで、思い出話になりますが、今回の「ペレアスとメリザンド」の、まさに日本初演のとき(1958)、ジャン・フルネ先生が指揮台に立たれました。日本側では、当初、アンゲルブレヒト先生をお招きしようとしたのですが、先生が「寄る年波で飛行機に乗れないから、その作品をよく分っている人間を紹介しよう」と仰って、フルネ先生が来られたのです。その当時、我々の側では、誰もフルネ先生のお名前を知らなかったんですよ。あとで、LPも出している人だとか、だんだん分ってきたのですが...
そして、このとき、実は僕も、学生の身分ながら − 当時はまだ大学に学籍がありましたので − 合唱指揮者を務めました。とても暑い夏の稽古場に、森正先生や渡辺暁雄先生も、連日、副指揮者として詰めておられました。皆さん、この傑作の本邦初演にそれだけ熱意を傾けていたのです。公演は成功を収め、大変な話題を呼びました。その後も、私はフルネ先生に随分お世話になりました。ピアニストの安川加壽子先生を通じて、南仏ニースでの二ヶ月の講習会にもお誘いを受けました。もちろん、喜んで伺いました。そのときに、先生から、フランス音楽のスタイルを始め、実に多くのことを学ばせて頂きました。そういえば、「なぜ君は、前傾の姿勢を取るんだ? 泳ぐのは君ではない、音楽が泳ぐんだよ!」と注意されたりしましたね(笑)

芸術監督・指揮者 若杉弘

東京フィルハーモニー交響楽団ソロ・コンサートマスター
荒井英治

 

荒井:(笑いながら)なるほど。ところで、今のお話について、ちょっと違った観点から窺ってみようと思います。1950年代の当時は、オペラ「ペレアスとメリザンド」の存在自体は、例えば、愛好者層には知られていたものの、その上演となると、専門家の人たちの間でも相当の努力が要った、やはりハードルが高かったということなのでしょうか?また、当時の日本人演奏家にとって、ドイツ音楽への近しさや親しさと、フランス音楽へのそれとでは、「距離」がかなり違っていたのでしょうか?

若杉:そうですね。よく言われるように、日本における西洋音楽の受容史は、やはり独墺系の流れですね。それは否定できません。でも、「ペレアスとメリザンド」国内初演の当時、それらしい口ぶりで「ドビュッシーには『エスプリ』がなきゃね」などと言う人がいました。けれども、演奏する側にしてみれば、エスプリってなんだということですよ(笑)。ただ、実際にドビュッシーの音楽に接してみると分るのですが、先ほどのフルネ先生の言葉通り、指揮する側が揺れたり熱くなったりしても、上手くゆかないようです。大指揮者フルトヴェングラーの「10の金言」というものがありますが、その中に、「指揮者は汗をかいてはなりませぬ。汗をかくのは聴衆です」という言葉が出てきます。こういう曲の場合はなおのこと、棒を持つ側が髪を振り乱して汗をかいていたら、客席が冷えてしまうんですね...

荒井:良く分ります。演奏する側でもそうですね。感情移入し、没入していると、自分のやっていることが、よく見えてこなかったりします。「入り込むことの危険性」です。「汗をかくのは聴衆です」という言葉は、さすがに深いですね。

若杉:そうですね。歌劇「ペレアスとメリザンド」の音楽を演奏するには、その点をより深く考える必要があると思っています。そこで、この件とも関連して、今回、私が旗を上げて進めている「コンサート・オペラ」の方式について説明させて下さい。演奏会形式によるオペラ上演は、我が国でも様々な形態で行われてきましたが、それらはみな、オーケストラが舞台上に乗っかっての演奏でした。しかし、新国立劇場は歌劇場ですから、管弦楽団がオーケストラ・ボックスに入って音楽を作ります。つまり、通常の演奏会形式で、同じ高さの舞台からぐわっと混ざり合った音が出てくるのとは全く違って、作曲者の意図した通りにピットで演奏するから、管弦楽の美しい響きの上に歌声がきちんと乗り、結果として歌が引き立つわけですね。
 私が、オペラ400年の歴史でエポックメーキング的な作品と位置づけているものが七つあります。「ポッペアの戴冠」(モンテヴェルディ)、「ドン・ジョヴァンニ」(モーツァルト)、「トリスタンとイゾルデ」(ワーグナー)、「ボリス・ゴドノゥフ」(ムソルグスキー)、「ヴォツェック」(ベルク)、この前本邦初演したばかりの「軍人たち」(ツィンマーマン)、そして今回の「ペレアスとメリザンド」ですね。どれもオペラの概念を広げた名作ばかりです。それ故、本来ならば大規模な装置と衣裳で、宝石のような響きに満ちた「ペレアスとメリザンド」を上演したいところですが、残念ながら、同じフランス・オペラでも、「カルメン」ほどのポピュラリティを有する作品ではない、それも事実なのです。つまり、1800席の劇場で六日間分のお客様を集められるかどうかということですね。
だから、今回の「ペレアスとメリザンド」については、まずは、「コンサート・オペラ」の形で、満員御礼を目指して、中劇場での二日間の公演を行うことにしました。東京フィルハーモニー交響楽団さんとの共催公演で、全面的なご協力を頂けることが本当に有難いです。回り舞台も使うなど、視覚的な効果も勿論追求しますが、その一方で、第四幕の幕切れで、刃を持ったゴローが追いかけてくるという情景などは、今回の方式では音楽のみで表現するようにしたいのです。舞台上演の場合、お客様も、この場面ではメリザンドが逃げ去る姿に気をとられがちになります。でも、今回のやり方だと、あのドラマチックな音楽を、客席の皆さん全員がしっかりと聴き取って下さることでしょう。これなど、「オーケストラによるドラマを最優先しよう」という、この方式ならではの利点です。

荒井:そうですね。もともと、ピットで演られるために書かれたスコアですから、この「コンサート・オペラ」では、理想的な音響のもとでお客様に聴いて頂くことになりますね。また、舞台上演で、演出意図に添って、舞台の奥の方でソリストが歌わなければならない場合など、ドラマと音響、または音楽的な整合性との兼ね合いがとても難しかったりしますが、今回の方式ではそういう問題も起きませんから、ドビュッシーが目指した音のドラマが、そのままの素晴らしさで、聴衆の皆さんに再認識して頂けるはずですね。

若杉:その通りです。それゆえ、先日の「軍人たち」の日本初演に続いて、今回もドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」で、東京フィルハーモニー交響楽団の皆さんと共に、一丸となって励むつもりです。「コンサート・オペラ」の企画は、今後もぜひ続けて行きたいものです。そのため、一人でも多くの皆様にご来場頂きたく思っています。公演の成果にどうぞご期待下さい。
荒井さん、今日は大変にお忙しい中、どうも有難うございました。

真剣な表情で指揮振りをして熱く語る若杉 弘。

荒井英治もジェスチャーを入れながら熱く答える。





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