2007年2月7日
オペラ「運命の力」ドン・アルヴァーロ役で出演の水口 聡氏にショートインタビューいたしました。
Q.2007年3月の「運命の力」にドン・アルヴァーロ役でご出演の水口聡さん。歌手にとって「運命の力」とはどのようなオペラですか?
A.ドン・アルヴァーロは長くつきあっている役といえます。というのは、僕がバリトン歌手だった時代、ウィーン国立歌劇場などで何度も参加し、テノール歌手がこの役を歌うのを見てきました。今度は逆に自分がテノールで歌い、バリトンを歌う方をこちらの立場から見るということになるわけです。これはちょっと面白い経験だと思います。」
「運命の力」は、相当トレーニングを積んだ、かなり強い声を持っていないと生きてこない作品です。いろいろなオペラをかなり歌ったあとに、やっと取り組めるオペラですね。軽めの役から始めて「運命の力」にたどり着くまで、大学を出てから少なくとも十五年はかかるでしょう。
ヴェルディ作品のオーケストラはあくまでも伴奏で、常に声に旋律を要求してきます。それだけに、それに応える声の太さ、強さとテクニックが必要です。しかも、高い音域も低い音域も同じように太い声が出ないといけないので、スタミナがかなり必要。だから「椿姫」や「セビリアの理髪師」といった軽めのオペラからすると、歌手も劇場もより一体にならないと作品を生かしきれないという難しさがあります。ヨーロッパではレパートリー中のレパートリーの作品ですが、それでも4人揃わないと生きてこないオペラです。だから上演するときも“運命の力”を借りないと、というのは冗談ですけれど(笑)、それほど難しいオペラなんです。
Q.ドン・アルヴァーロという役は“英雄”や“好青年”といった役柄とは違いますよね。罪を後悔し、常に追われています。
A.声の面からいくと、ほかのオペラと違って、旋律がすごく太くて要求してくる。それは彼の心の中に葛藤があるからですよね。葛藤が暗い旋律で、休みなく表現される。「椿姫」のような旋律とは全然違って確かに大変です。旋律の太さを食べ物にたとえると、そうめんとうどんくらい違いますね。ボクシングだとライト級とヘビー級。「運命の力」はヘビー級です。
Q.ヘビー級の声ですか。
A.ヴェルディの特徴としてあげられるのが、すべてのパートに暗めの声を要求することです。特に宗教色の強い音楽は。でも最近は、暗めの声の歌手が世界的に少なくなっています。特にバリトンとメゾ・ソプラノ。歌手の傾向として全体に軽くなっているんだけれども、ヴェルディは暗めの声が不可欠です。デル・モナコ、バスティアニーニ、テバルディで録音している名盤がありますけど、ああいう人が歌うとグッときますね。旋律が生きてくるんです。ヴェルディが作曲していた時代の歌手は、声の太い人でしたし。
Q.そういった声で歌われる「運命の力」の二重唱は迫力ですよね。
A.圧巻ですよね。歌の中でお互いが絡み合う。聴くほうも歌うほうも、これがオペラの醍醐味です。プッチーニなんて特にそうですが、ヴェルディの場合は重いままグッとくるのでインパクトが強いんですよ。
Q.ストーリー面ではどんなところが魅力でしょう?
A.「カルメン」「道化師」「カヴァレリア・ルスティカーナ」のような単なる色恋沙汰ではなく、「運命の力」は聖書の要素が強いオペラです。目に見えないものを信じる、という、ひとつの思想が入っている作品です。もう諦めかけていたんだけれども、ほとんど不可能に近い状態にもかかわらず、目に見えないものを信じ、ついに成就するけれども、最後は死に別れてしまうという物語です。物を対象として生きるんじゃなくて、目に見えないものがいかに大切かを感じて生きる。難しいことなんだけれども、これもひとつの深い愛の姿だと思います。今の時代、人間の愛・人生にとってなにが必要か、という意識が薄れていますよね。そしてお互いが迷っている。「運命の力」の愛の形は、そんな現代へのひとつの警鐘になるんじゃないかな、と思います。
Q.なるほど。「運命の力」の愛の形を見習いたいと思います
A.最近、ドイツの演出家にしても日本の作家にしても、性に関してそのまま抉り出す表現が流行しているようだけれども、それは僕は違うと思う。あまりにも現実すぎ、あまりにもグロテスクで、それは美ではない。「運命の力」のように、もっと崇高なところで、肉体を通り越した、精神性の高いところで結びつくのが美だと思うんですよね。「運命の力」の音楽は、愛の崇高さをストレートに描いています。これからは、こういった形而上学的な崇高な愛が必要なんじゃないかなと思いますね。ですから「運命の力」は今の日本に一番大切なオペラのひとつかもしれません。
このところいろいろな事件が起こっていますけれども、これは戦後あまりにもお金と物に固執してきたつけなのかもしれない、と僕は思います。そんな時代にこそ、「運命の力」を見て、目に見えないものを信じる力、というものを感じていただければと思います。
Q.本日は有難うございました。
ドン・アルヴァーロ:水口 聡(T)
Don Alvaro : Mizuguchi Satoshi
【プロフィール】
武蔵野音楽大学卒業。同大学大学院修了。ウィーン国立音楽大学卒業。文部大臣賞受賞。ミラノ国際声楽コンクール優勝。ウィーン国立歌劇場「リゴレット」でバリトンとしてデビュー。1995年テノールに転向。グロサベスク国際オペラコンクール・グランプリ受賞。ブダペスト国立歌劇場「アイーダ」ラダメスで再デビューを飾る。以来、アテネ国立歌劇場、ブレゲンツ祝祭劇場など各地の歌劇場、音楽祭において世界で貴重なリリコスピントテノールとして絶賛され、「道化師」カニオ、「トスカ」カヴァラドッシ、「トゥーランドット」カラフ、「イル・トロヴァトーレ」マンリーコなどそのレパートリーは40作品に及ぶ。新国立劇場には、開場記念公演「アイーダ」ラダメス、2001年「ラインの黄金」フロー、2002年「サロメ」ナラボート、2004年小劇場オペラ「外套」ルイージ、2005年「マクベス」マクダフ、同年鑑賞教室公演「蝶々夫人」ピンカートン、2006年「こうもり」アルフレード等数多く出演している。
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