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2005年11月9日

「アンドレア・シェニエ」
オペラトークの模様

11月20日(日)に幕開けをする今シーズン注目のプロダクション「アンドレア・シェニエ」のオペラトークを開催いたしました。

■日時:2005年10月31日(月) 18:30開演
■会場:新国立劇場中劇場 
■出演:池田理代子(特別ゲスト)/ミゲル・ゴメス=マルティネス(指揮者)
    フィリップ・アルロー(演出家)/トーマス・ノヴォラツスキー(オペラ芸術監督)

■アンドレア・シェニエ」公演情報

激動のフランス革命を舞台に、実在の詩人アンドレア・シェニエと伯爵令嬢マッダレーナの悲恋を描いたジョルダーノの傑作、「アンドレア・シェニエ」。今回のオペラトークでは、まず、フランス革命、そしてマリー・アントワネットの生きた時代の背景を、大ヒット作「ベルサイユのばら」をはじめ多くの著作を描かれている劇画家で、ご自身も声楽家である池田理代子さんに語っていただきました。後半には、指揮者のミゲル・ゴメス=マルティネス、演出のフィリップ・アルロー両氏が登場、今回のプロダクションの魅力をうかがいました。

池田理代子氏

左からフィリップ・アルロー(演出家)
ミゲル・ゴメス=マルティネス(指揮者)

 

<フランス革命とマリー・アントワネットの生きた時代について>

トーマス・ノヴォラツスキー(以下ノヴォラツスキー)
『アンドレア・シェニエ』はオペラ史の中で有名とは言い難い作品ですが、ロマン派のオペラの中で非常に重要な位置を占めている作品です。この作品は、フランス革命の真っ只中を舞台にしています。そこで本日は、フランス革命のきっかけとなったのは何か、そしてフランス革命の目指したところは何であったかを皆様と一緒に考えていきたいと思います。革命の背景について知る上で欠かせないことは、フランス王朝、すなわちベルサイユ宮殿の華やかさについてでしょう。この中にこそ、いまだ歴史上で解明されていない革命の真意が隠されているのではないでしょうか。ベルサイユの革命当時の主人公といえば、ご存じルイ16世と王妃マリー・アントワネットですが、このふたりが悲劇の主人公となった過程についてお話ししていただくために、フランス革命の専門家とでも言うべき池田理代子さんにおこしいただきました。私も池田さんの作品を拝見しましたし、今回私どものプログラムにもご寄稿いただきました。フランス革命に造詣が深くていらっしゃいますが、池田さんご自身は、この時代の様式美のどこに魅力を感じていらっしゃるのでしょうか。

池田理代子(以下池田)
私自身は、この時代、特に文化的に魅力を感じているわけではなく、もう少し先の時代、ルイ王朝でいえばポンパドール夫人が活躍した時代に極めてフランス文化の洗練を感じます。ただ、マリー・アントワネットが登場してきた頃はすでにフランスの文化が爛熟期にあって、まもなく崩壊する直前の炎のような部分が、我々の心を揺さぶるということはあると思います。

ノヴォラツスキー:非常に魅力的な時代ではありますね。ベルサイユ宮殿はルイ14世が建てたもので、常にベルサイユ宮殿で華やかな生活を送ることで、それらの貴族に謀反などの考えを捨てさせようという意図もあったそうです。ベルサイユ宮殿の精神とは、いったい何でしょう。

池田:それは、“ショー”だと思います。見せること、ですね。確かにルイ14世は、自分の権力を見せつけることで、他の貴族に対して自分の絶対的優位を主張しようとしたのですが、そのために宮殿の中も、その中で繰り広げられる生活そのものも、それらがすべて、ショーだといえると思います。朝起きて、王妃様が化粧をする、朝ごはんを食べる、謁見する、いろいろなことが、王朝の凄さを見せつけるためのものであったような気がします。そのために、マリー・アントワネットが嫁いだ頃のフランスは、様々な儀式やしきたりにがんじがらめになっていたという状態だったのです。その“ショー”と呼ぶべきものの中で最大のものは、王妃の出産であったと思います。マリー・アントワネットは最初の出産の際に、部屋に集まった宮殿の全ての人間の人いきれによって、呼吸が止まりそうになったそうです。医者が血管を切って瀉血をしてようやく意識を取り戻したのですが、出産そのものよりも見物人の熱気によって彼女の命が危険にさらされたということかもしれません。

ノヴォラツスキー:マリー・アントワネットは、人々からたいへん愛されていたのに、いつ、何が起こってしまったのでしょうか。

池田:夫が国王の座に就いたとき、マリー・アントワネットは人々にとても愛される王妃でした。しかし、ルイ14世の頃から積もり積もった財政赤字が市民の生活を圧迫していたこの頃、これは彼女ひとりの責任とは言えないものではありましたが、そういう時に国民というものはわかり易い理由を求めたがるもので、外国人である王妃は、非難の対象になりやすかったのではないかと思います。

ノヴォラツスキー:さて、『アンドレア・シェニエ』の第1幕では、貴族的な豪華な生活が描かれています。宮廷の生活というのは、見せかけのものであり、そこに感情とか、現実というものは存在しないように思いますが、いかがでしょうか。

池田:それが、見せかけであったかどうか、たとえばそういった生活の中にこそ自分の生活を見出す人もいたと思いますが、自分の本当の心をさらけ出すということは、そういう宮廷の生活においては絶対にしてはいけなかったことだと思います。

ノヴォラツスキー:それは、まるで演劇を演じるということに等しかったわけですね。

池田:そうですね。特に国王とか王妃といった立場にある人にとっては、それこそ出産のシーンからしてそうですから、産まれることも、生きることも、そして死ぬこともまるで劇場の中での出来事という感じだったのでしょう。

ノヴォラツスキー:マリー・アントワネットは、平民階級というものに興味を持っていたのでしょうか。

池田:持っていなかったと思います。なぜなら、彼女はオーストリアのハプスブルグ家の皇女に生まれその中で育ち、自分とせいぜい自分の側近くらいの人生しか想像ができなかったことと思います。その想像力の欠如というものが、彼女がのちにベルサイユ宮殿内に村落を作りましたが、その中には実際の農家を作り、池を作り、牛もいて、農夫もいて、実際に耕したり取り入れたり乳を搾ったりするのですが、そこで汚いもの、汚れるものは王妃の目から全て隠された、そういった意味では、王妃が本当の庶民の生活というものを知っていたとは思いにくいですね。そして、それはマリー・アントワネットだけでなく、当時宮殿で生活をしていた他の貴族階級の人にも当てはまるものだと思います。

ノヴォラツスキー:そういった意味でマリー・アントワネットを考えた時に、革命の勃発、彼女が悲劇の中に死んでいくということには、どのような意味があるのでしょうか。

池田:ひとつには、彼女はフランス革命という時代にあって、生贄の羊として格好の対象であったということ、それは彼女にとって不運なことであったと思います。ただ、彼女は嫁いで以来、ずっと何も考えずに暮らしてきたという感じがします。革命という非常に大きな、自分の家族にとっても大きな不幸に遭って初めて彼女は自分の人生の意味を考えたのではないかと思います。しかし、その時に彼女がとった行動というのは、必ずしもその歴史の流れを正確に見ていたとはいえないと思います。彼女は、革命が起こってから何をすべきかに関しては、母親のマリア・テレジア譲りの才能、頭の良さを発揮しているのですが、彼女のとった行動は全て裏目に出て、フランス市民の神経を逆なでしてしまいました。人間にとって大切なことは、歴史がどういう方向に進んでいるのかを正確に把握しなくてはならないということを教えてくれていると思います。

ノヴォラツスキー:我々は、革命前夜の時代をロマン的、ロマンティックと名づけてよろしいのでしょうか。

池田:ロマンティックという言葉の理解の仕方にもよると思いますが、貴族階級が自分たちが搾取をしている階級のことを知らずに、自分たちの愉しみ、そして色々な芸術も含んだ美というものを追求していられた最後の時代であったといえると思います。

ノヴォラツスキー:どちらかといえばそれを警告と捉えたほうがよいでしょうか。

池田:そのように考えています。私が初めてマリー・アントワネットの人生について詳しく読んだのは、高校生の時、シュテファン・ツヴァイクの「マリー・アントワネット」でしたが、それは自分にとっての警告だと思いました。

ノヴォラツスキー:池田さんのマリー・アントワネットは、芸術性が高く、芸術家の目から見たマリー・アントワネットだと思いました。池田さんは、劇画の世界だけでなく、声楽家としてもついにマリー・アントワネットを音楽家として紹介するという偉業を成し遂げられていますね。これからも色々なところでご活躍するお姿を拝見するのを楽しみにしております。

 

<今回の作品の魅力について>

ミゲル・ゴメス=マルティネス(指揮者)
『アンドレア・シェニエ』を書いたジョルダーノは、ヴェリズモ(現実)主義をオペラに生かそうとした作曲家です。このヴェリズモ主義とは、19世紀半ばから20世紀初頭までに起こった現象で、『アンドレア・シェニエ』は、ちょうどプッチーニの『ラ・ボエーム』の直前に書かれた作品です。ジョルダーノの作品にはヴェリズモ主義が色濃く出ており、『アンドレア・シェニエ』は、その最高峰の作品として挙げられています。
ヴェリズモ・オペラは、現実に起こったことをそのまま表すというだけでなく、そこから何かを汲み取って伝えるという手法です。そこでは、とても細やかな観察が行われています。『アンドレア・シェニエ』では、各人物とその雰囲気にそれぞれモチーフを与え、それを集めて合成していくという手法を取っていますので、そのモチーフの重なり合いが重厚なハーモニーを作り出し、たいへん魅力的な作品となっています。

音楽の中では、登場人物の感情の推移がはっきりと表れています。それぞれジェラール、シェニエの心の動き、確信というものが見て取れますが、もっともそれがわかりやすいのはジェラールのアリア「祖国の敵」です。その冒頭は自分自身に語りかけているモノローグであり、ほとんどメロディもなく文章を読むような、そんなアリアです。彼はここで、自分が何を行うべきかという迷いと、シェニエを告発しようか否かの葛藤を感じ、シェニエを裏切者として自分を正当化する理由を探そうとするのです。
また、背景は、フランス革命の時代ですが、その中でシェニエとマッダレーナの物語があったことを決して忘れてはいけません。最後の部分、クライマックスの音楽を聴くと、シェニエの死というものが無駄なものではなかったということがわかります。この音楽を聴いてみれば、マッダレーナと共に死ぬ、ということのみが、彼の追及した理想であったということがわかります。
このオペラの最後の10小節には、2つのテーマがあります。ひとつは、シェニエが第2幕でルーシェに「見知らぬ女性が私に手紙をくれる」と語る部分が用いられています。この“見知らぬ女性”こそ、シェニエにとって愛そのものであり、このアリアはテノールの中でも特徴的な高音を用いている名曲です。
最後の10小節に現れるもうひとつのテーマは、マッダレーナと愛こそが全てである、と歌う二重唱の中から用いられています。また最終場面を「ラ・ボエーム」と比較してみるととても対照的なのですが、音の面でもオーケストレーションの部分でも、華やかに終わり、調性も、悲劇にしては珍しく短調でなく長調が使われています。


フィリップ・アルロー(演出家)
シェニエとジェラールの二人には共通点が多いと思います。オペラの冒頭、舞台はパリ近くの貴族の館で行われているパーティですが、ジェラールは従僕という立場からこの時代を見ていますし、招待されたシェニエは、詩人、芸術家としての視線でこの社会を観察しています。そして、ジェラールの視点とは虐げられた人種としての思想ですし、対するシェニエは芸術家としての理想主義からの視線を持っています。思想の面では、鋭い目で社会を批判しているということについてはとても共通していますが、ジェラールはその後革命に翻弄され、革命政府の高官にまで上っていきます。彼は第1幕で従僕として登場し、第2幕では民衆のリーダーとなっています。しかし、第3幕では、理想とモラルの共生に葛藤を感じ、色々な角度から自問自答を重ね、ついには自信を失ってしまうのです。一方のシェニエは、革命のさなか、常に自分の理想を追い求めるという詩人、芸術家としての態度を崩していません。そういう意味では、ジェラールよりはヒーロー的な要素が強いと思いますが、そのシェニエも決して自分の理想を全うできたわけではなく、「我らの死に栄えあれ」とマッダレーナと共に死んでいきます。この二人、ジェラールは葛藤の中で苦しみ、シェニエは夢、理想の中で生き、最後には死が待っているという、いずれも実らなかった理想を追いかけていたのです。

今回のプロダクションは、舞台装置に関していえば2つのアイデアをもっています。ひとつめのアイデアは、ギロチンすなわち断頭台です。舞台を客席から見るときに、どこからでもその歯が見えることで、ギロチンを暗喩する形にしています。実際のギロチンを舞台にしつらえるのではなく、ギロチンへの恐怖をお客様が感じられるようにデザインしました。ふたつめのアイデアは、君主制の崩壊、そして成功しなかった革命を表しています。そのように世界が倒れる、ということをイメージするために、直線の垂直なラインでなく、傾いたラインを多用しています。舞台をよりファンタジックなものにするために、プロジェクターも使用します。この作品はとても歴史的な作品ですので、例えば最初のシーンで、プロジェクターを通じて城の内部の雰囲気を舞台に映し出そう思っています。また、ドラクロワの絵にもアイデアをもらっていますので、その点も楽しみにしていただきたいと思います。この作品は、1789年から1794年までの激動の時代を背景にしています。この5年間に民衆、兵士、貴族、そして革命家たちも多く命を落としています。新しい世界を作ろうという理想に燃えた人々が死んでいったというのは、非常に重いことで、しかも、それによって何も得られないという悲劇的な結果を呼んでいます。これほど多くの人たちが死んでいったなかで、オペラの最後にシェニエとマッダレーナも死んでいく、ということには、演出家として何らかの意味を持たせなければならないと考えています。