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2005年9月30日

「カルミナ・ブラーナ」
作品をより楽しむためにlectureA
〜振付家&作曲家〜

◆振付家デヴィド・ビントレーについて

英国ハダースフィールド生まれ。早い時期からダンスと振付家をめざす。英国ロイヤルバレエ学校に入ったが、当時英国ロイヤルバレエでは、マーゴ・フォンティン、ルドルフ・ヌレエフ、アンソニー・ダウエルなど世界的なダンサーが活躍していた黄金時代であった。フレデリック・アシュトンやケネス・マクミランが最高傑作を生み出す同時代に居合わせたことは彼にとってはさらに重要なことだった。1976年サドラーズ・ウェルズ・バレエ(現バーミンガム・ロイヤルバレエ)に入団し、瞬く間に秀逸なキャラクター・ダンサーとしての頭角を現した。アシュトン振付の「ラ・フィユ・マル・ガルデ」のアランやシモーヌ、「真夏の夜の夢」のボトム、「シンデレラ」の意地悪な姉などを演じている。ピーター・ライトに振付家としての才能を見出され、15歳で、最初の振付作品「兵士の物語」(ストラヴィンスキー作曲)を創る。この後2年も経ずにプロとしてサドラーズ・ウェルズ・バレエのために「アウトサイダー」を振り付けた。この作品には既に人物への鋭い洞察、知的で刺激的な音楽の選択などビントレーの資質が現れていたが、ここではジョージ・バランシンなどのアメリカの影響とアシュトン、チューダー、マクミランなどのイギリスの伝統的系譜がともに見て取れる。82年に3ヶ月間アメリカとドイツのダンスシーンを視察、この経験は間違いなくビントレーのイマジネーションを拡げ、ビントレーが持っていたイギリス的アプローチの本質に確信を与えることになった。86年から93年の間、サドラーズ・ウェルズ・バレエや英国ロイヤルバレエの振付家として活躍。93年にフリーランスになった時には世界中の7カンパニーから新制作依頼が殺到した。ピーター・ライトを引き継いで95年からバーミンガム・ロイヤルバレエ芸術監督。ビントレーの見事な振付はアシュトンやマクミランの継承者にふさわしいものである。
●おもな振付作品:
「Hobson’s Choice」(1989)、「Consort Lesson」(1983)、「Galateries」(1986)、「Allegri diversi」(1987)、「Tombeaux」(1993)、「Flowers of the Forest」(1985)、「Still Life at the Penguin Café」(1988)、「Swan of Tuonela」(1982)「The Snow Queen」(1986)、「Cyrano」(1991)、「Far from the Madding Crowd 」(1996) 
                                

デヴィッド・ビントレー photo:Stephen Hanson

 

◆作曲家カール・オルフ (1895〜1982年)について
ドイツの作曲家。軍人の家庭に生まれる。ミュンヘン、マンハイム、ダルムシュタットで指揮者として活躍。42歳の時「カルミナ・ブラーナ」を作曲。「カルミナ・ブラーナ」はオルフの最も有名な作品で、1937年フランクフルトでの初演が直接的な成功だった。生涯を通じオルフは教育活動に熱意を示し、1920年代に彼は古典舞踊とリズム体操を教えるギュンター・シューレの共同設立者となった。1920年代から30年代にかけて、オルフはほとんど忘れられていた音楽家(exバード、ラッスス、シュッツ、モンテヴェルディ)らの音楽に興味を示し、そうした作品の研究から音楽の原初的な起源へ立ち返る音楽というオルフ独自の概念を導き出している。こうした音楽の原初的な起源は、身体につながっていると同時に典礼としての音楽というある種の概念にも結びついている。この異教的な精神をもった舞台カンタータ「カルミナ・ブラーナ」で、オルフは良く練り上げられ単純化された音楽書法によって、原初的な演劇様式が持っていた力の再発見を追求した。この作品以降、それまでの自らの作品を否認し、この「カルミナ・ブラーナ」で示された方法をオルフは追い求めることになる。彼の音楽の基調は音楽、言語、動作(舞踊的要素)の3つの要素の完全な合一を目指すことであった。それによって出来上がるドラマは世界の投影であるとして、彼自身は「世界劇」と呼んだ。これはギリシア古典劇の伝統に見られるものであり、彼の作品にも一貫して見られる特徴である。

◆オルフ作曲「カルミナ・ブラーナ」について

カール・オルフは独唱者(複数)と合唱のための器楽伴奏を伴う舞台カンタータ「カルミナ・ブラーナ」を1936年に作曲、オルフ自身が<舞台用>と改定した版で1937年6月にフランクフルト・アム・マインの歌劇場で初演し大成功を収めた。オルフがテキストとしたのはベネディクトボレインの修道院で1803年に発見された「カルミナ・ブラーナ」の中から取った一連の詩で、そのほとんどが官能的で風刺的なものであった。これらは後期ラテン語、中世及び初期ドイツ語、古代フランス語で書かれた写本コレクションを含む中世のアンソロジーで、この写本全体は1847年に出版されている。「カルミナ・ブラーナ」とは「ベネディクトボレインの歌」という意味でこの写本は想像力豊かなパロディによって、時代精神や宗教的賛歌からわいせつな俗謡まで全てを展望したものである。

オルフの「カルミナ・ブラーナ」は“春に”“居酒屋にて”“求愛”の3つの場で構成されている。この3つの場は最初と最後が大合唱ではさまれている。歌われているのは<世界を支配する運命の女神>、月のように移り変わり予知できない女神、車輪のように回転して人間の運命をつかさどる女神への祈りである。この有名な合唱はTV、CM等でも使用されたびたび耳にする曲でもある。
“運命の女神が回す輪"は鮮やかにこのオープニングの合唱に現れる。――「おお運命よ」――状況が突然逆転することによるドラマティックで圧倒的悲劇の描写がなされる。次のパート第1場<春に>では数曲のアリア、ロンド、合唱によって自然な性の再生と開花が歌われる。終わりの部分では夏を男なしで過ごそうとする娘たちをからかうためにロンドが嘲笑のテーマを導く。第2場<居酒屋にて>では丸焼きにされた白鳥が出てくる。これは力によって奪われた無垢のメタファーである。第3場<求愛>では恋する男たちと若い娘たちの求愛模様が展開される。輝かしい賛歌がヴィーナスに捧げられるが、突然、予期も予兆もなく運命の輪が回る。オープニングの運命の女神に捧げた悲劇的な合唱が繰り返され、苦しみと絶望の中でこの作品は幕を閉じる。
 この作品の最も大きな魅力はその瑞々しさ、豊潤さ、合唱とオーケストラによるハーモニーの繰り返しと厚みのある音の重なりにある。これは劇的なインパクトと魅力的な単純明快さが対照的な補完関係を生み出す。聖歌と民族音楽はともにこの音楽の基盤をなしている。この作品はオルフの最初の偉大な成功であり、今も世界中の歌手や音楽家、聴衆を魅了し続けている。