.
「ファルスタッフ」
オペラトークの模様を掲載

2003/2004シーズンのオペラトークのしめくくり、「ファルスタッフ」オペラトークが5月30日(日)に新国立劇場小劇場で大盛況のうちに開催されました。ご観劇が一層楽しくなるトークの模様を、ぜひご覧ください。公演もどうかお見逃しなく!
 
「ファルスタッフ」オペラトーク
2004年5月30日(日)
新国立劇場小劇場
   
出演 ダン・エッティンガー(指揮者)
  ジョナサン・ミラー(演出家)
  トーマス・ノヴォラツスキー(オペラ芸術監督)
   


トーマス・ノヴォラツスキー(以下TN):ミラーさん、エッティンガーさんおふたりともたいへんユニークな経歴をお持ちで、今のお仕事に行き着くまでいろいろな経験をしていらっしゃいました。それぞれバックグラウンドをお話しくださいますか? 写真A

エッティンガー(以下DE):指揮を学校で勉強していないという点においては、私は指揮者一直線、ではなかったかもしれませんね。我々の世代ではほとんどの人がピアノを習っていましたが、私も例にもれずピアニストとして音楽高校に進みました。そこで合唱団に入り歌を始めたのを境に転身し、歌手生活がかれこれ9年間続き、ほとんどのリリック・バリトンのレパートリーは歌いました。この間には、ピアノを弾きコレペティとして他の歌手の指導もしていましたので、歌うことと指導すること、二つの専門性のバランスが良かったと思います。

その後、テルアビブ出身である私は、ニュー・イスラエル・オペラからオファーを受け、劇場の合唱指揮者となりました。そのうちオーケストラピットに入ってオペラの指揮をしたい、と思うようになりました。その気持ちをくんでか、マネージメントの首脳陣は、危険を覚悟で、私にチャンスをくれました。その結果、今日こうして皆様の前にいることができます。まもなく素晴らしい「ファルスタッフ」の本番の幕を開けたいと思っています。

TN: とても謙遜なさっていますが、イスラエルのオペラ以降、すでにベルリン国立歌劇場でも指揮者として活躍なさっています。

DE: 2年ほど前にダニエル・バレンボイム氏と知り合い、その後人間的にも音楽的にもすばらしい信頼関係を築き上げることができました。そのおかげで、ベルリン国立歌劇場の劇場付き指揮者として招かれ、そしてバレンボイム氏のアシスタントをつとめることにもなりました。ちょうど、ベルリンでの1年目が終わったところで、あと2年は契約が続くことになっています。

TN: ジョナサン、あなたは、もっとも興味深い道をたどってオペラに到達した人だと思います。おそらく最初からオペラ演出家になるなどとは思っていなかったのではないでしょうか?
写真B
ジョナサン・ミラー(以下JM): そうですね。まさか自分が劇場で働くなどとは思ってもみませんでした。ほんとうに、完全な偶然から、そうなったのです。まるで飛行機に搭乗して、飛行機が動いた拍子に、ひとつだけ開いてしまっていたドアから転げ落ちてしまったというのに等しい偶然でした。私の志と勉強は生物学から始まりました。中でも、生理学と形態学に興味を抱き、それを当初の研究として始めました。まだ学生で若かった頃は海洋生物学の分野も勉強しましたし、さらには脳の機能について勉強したくなりました。脳がどのように働くのかを知りたかったのです。

ケンブリッジ大学に入学した時には、生物学者ではなく、医学を志そうと思っていました。別に、人々を助けたいから、などという博愛主義的な精神でそう思ったわけではないのです。まさか、わざわざ人を傷つけようなどとは思いませんでしたが、だからといって誰かを救いたいという気持ちに駆られたからというわけでもなかったのです。医学部に行ったのは、もちろん誰も人体を使って実験などはできないのですが、世の中には不幸にも事故や怪我、病気に見舞われる人々がいます。脳が損傷を負ったとき、初めて脳がどのように機能しているかを知り得ることとなるのではないか、と思ったからでした。そして、ケンブリッジで3年間を過ごし、医者の資格を得ましたが、その間、解剖学、生化学、病理学、そして、動物学も引き続き勉強しました。

私のケンブリッジにおける研究のなかでも大事なものの一つは、“アングロ=アメリカン・フィロソフィー”(英米系の哲学)と呼ばれる分析的かつ口語的な哲学に目覚めたことでした。私が医学に向かった要素が2つありますが、それは、オペラや演劇に携わっている今日でも興味が尽きないところでもあります。私は、神経系統に入っていくものと、神経系統から出てくるものに関心があります。知覚と行動の関係です。行動の中でも、意識をして行われるものと、コントロールせず単に出てくるものでは何が違うのか。そして対象物を意識し、認めた時に何が起こるのか。

TN: では、どんな偶然があなたを劇場に導いたのでしょうか?

JM: その偶然とは、私が自分自身のため、そして他の人のために行っていた娯楽、余興でした。ケンブリッジではそこそこ有名なアマチュアの劇団で、時々面白い芝居をやっていました。私の医学の勉強が終わる頃、ある人が私と3人の仲間(ダッドリー・ムーア、ピーター・クック、アーロン・ベネット)に、エジンバラ・フェスティバルで公演をやってくれないかと打診してきました。その公演は大成功を収め、他でもやってくれないかと頼まれるようになり、ニューヨーク、ロンドンと公演を重ねました。すると、次から次へと仕事が舞い込み、芝居の演出をしてみないかというオファーが来るようになりました。オペラの仕事を始めるまで、最初の10年ほどは主に演劇とテレビの演出をしていました。ロンドンのナショナルシアターで、これも偶然からですが、ローレンス・オリビエのような名優たちの演出もすることになったのです。私も演出の勉強、というものは特別にしていないわけです。医学の場合ですと、勉強や研修なしでは人の命を落としてしまう事態になりますが、演出の仕事は、人に教わることではなく才能次第でもあるので、5分もあれば向き不向きがわかります。

TN: 周囲の演出家の中に、向いていないと思われる人はいましたか?

JM: 何が良い演出家と悪い演出家を分けるかは良くわかりません。何かの訓練をすれば良くなる、というものでもないと思います。直感と洞察力に因るところが大きく、人々が何をしているのかを注意深く見ることが大事ではないでしょうか。これは、私が医者としての生活で学んだ技術と全く同じです。常に、観察しているのです。これは、演出家として必要なこととぴったり重なります。物ごとを常に注意深く見ていなくてはなりません。

TN: 貴方はオペラ特有の冗談や、また科学的な常識にはあまり興味がないように見えますが。

JM: オペラと演劇の世界に身を置いて、反発していることがあります。それは今流行している理論を中心とした演出です。私自身、科学者としての訓練、経験を重ねて来ているので、本物の理論の存在は良く知っています。ただ、劇場や文学の世界において理論が台頭してくると、それはフランス・ドイツ系の哲学のように、私にとってはナンセンスなものになってしまいます。ほとんどのことは常識でまかなえるのです。もし、貴方が誰にも道を尋ねずにトイレを見つけられるくらいの常識をお持ちなら、演出することができます。

TN: ご自身の才能と経験が物事を観察する目となり、それをオペラや芝居に生かしているということでしょうか。

JM: 人間の行動を観察するとします。劇場とはまさにそういうものなのですが、まず部屋の一方に人々に見られることを意識してふるまっている人々と、もう一方にはそれを眺めている普通の人々を配置し、観察します。そこで意図的に振る舞っている人々と眺めているありのままの人々を見比べると、どちらが本物であるかがすぐにわかるでしょう。とても簡単です。

TN: 置かれている状況や反応、動きやゼスチャーなど、我々が日常目にするものですね。

JM: それはいつでも目にすることです。それは必ず人間の存在によるものです。我々は、大変複雑な社会環境の中に身を置いており、一人一人が、時には意思を持って、時には意思を持たず自分を表現することによって、他人と関わりながら生きています。誰もが、ある人物を観察する際に、その動作の狭間で、どれが確固たる意思を持った行動か、どれが曖昧な状態で取った行動か、という違いを見分けることができるでしょう。

TN: ところで、笑いとは何だと思われますか?

JM: 笑いの要素はたくさんあります。何百種類ものユーモアがあります。それを正確に説明することは大変難しいことです。世の中には無意識の行動と呼ばれるものがたくさんあります。独特な呼吸の発作 −咳、くしゃみ、泣くこと、笑う−ことなどです。

これら無意識の行動のうち2つは自分ではコントロールできません。恐らく、笑わないようにとか、泣かないようにという制御は可能です。一方、くしゃみや咳は自分の意志ではコントロールできません。咳やくしゃみは神経系統からの全く違ったアプローチで生み出されるものなのです。泣くこと、笑うことは状況が引き起こすものです。咳やくしゃみは鼻や口など粘膜の局所的な刺激によって発生するのです。

さて、人は泣き笑いできるところを求めます。それを我々は「劇場」と呼んでいるのです。くしゃみや咳をするための劇場をわざわざ探す人はいません。もしそういう人がいたら、この大きな建物の中に、二つの別々の劇場を作らなければなりません。オペラや演劇の上演のための劇場、そこでは私たちは泣いたり笑ったりできますが、一方、別の劇場では空気中にしぶきを散布しながらくしゃみと咳こみができるようにして、皆さんはそのためだけに入場料を払わなくてはならないことになりますが、もちろんそんなことはあり得ません。

喜劇についてお尋ねでしたね。泣くことに関しても長い時間話せますが、笑いとはとても面白いものです。笑いについてはたくさんの理論がありますが、そのほとんどが間違っていると思います。笑いの対象は、400年前と現在とでは、全然違うものではないかと思います。芝居やオペラに対する様式の概念は、喜劇に対する様式にも共通しますが、16世紀のくしゃみの様式、などというものはないわけです。

ただ、何が人を笑わせるのかということについては、ある重要なポイントがあると思います。そしてたいてい、無意識のうちに感じ取ることのできるくらい、そのポイントは人の注意をひくことになるのです。喜劇役者やユーモリストは、それを表面(健在意識)にまで高め、はっきりとした形で表現するのです。

TN: それは、私たちが日常的に目にしているものですか?

JM: 人が認識しうるものよりは、やや狭い範囲ですね。日本での認識と、とフランス、ドイツの認識は、社会的な習慣が違う以上、全く違ったものになるでしょう。先ほど言ったように、世界中どこでも人は同じようにくしゃみをしますが、誰もが同じなら人を笑わせるには至らないのです。

私は偉大な社会学者アーヴィン・ゴフマンにかなり影響を受けました。彼は、人間は常に目の前にいるかもしれないと想像する観客を相手にして演技しているのだ、そして、それはとかく下手な演技になりがちだ、と言っています。
皆さんご自分でもお気づきと思いますが、我々はいろいろな演技を実生活の中でしています。下手な演技と思われるもののうちの多くは、言葉を使わない謝罪のアクションだったりします。

もし、私がこのステージに10分遅刻してきたとして、すでにトークが進行していたとします。でも私はステージに上らなくてはなりません。私は、身振りでの謝罪なしには入っていくことができないと判断します。

実際にやってみましょう。私がこのドアから入ってきて、全てが自分抜きに進行中であることを悟ります。何せ遅刻をしたのですから、どうやっても人から見られずに自分の席に着くことはできません。大学の授業に遅刻してくる学生がそのようにする光景を何度も見ています。彼らはこんな感じになります。そして、(ゼスチャー)自分自身をわざわざみっともなく見せるかのように、こんなふうに(ゼスチャー)ふるまいます。自分の愚かさに対して、敢えて他人が非難の目を向けるようにし向けるかのようです。私が席にたどりつかねばならないのに、誰にも気づかれないわけにはいかない状況です。ですので、身振りだけで謝罪の気持ちを表現しながら、椅子までの道のりをたどるというわけです。

どうしてそこで私はつま先歩きをしなければならないのでしょう?席まで静かに到達する方法がないのです。私の劣等感たっぷりの入場は、もしも透明人間だったらとっくに席に着いていたのだけど、自分はこれでも精一杯やっています、というアピールなのです。


また別の例を挙げましょう。これは日本でも、イタリアあたりでも見かけることなのですが。誰かが道を歩いています。歩き始めるやいなや、人は、そこにあたかも観客がいて自分の挙動を見られているかもしれないという気がしてきます。ところが歩いていたら、突然つまずいてしまいました。では、見てください。(ゼスチャー。つまずいた場所まで数歩戻って、地面を眺め回す)どうして、わざわざその場まで戻って、起こった災難を確認するのでしょう?人は、自分の周りの人々に対して、悪いのは地面であって、自分の歩き方のせいではないということを実証しつつアピールするのです。

誰にも見覚えのあるもうひとつの例です。日本でもタクシーを止めるとき、こうやって手を振りますよね?タクシーに向かって手を振ったのに止め損なった人を思い出してください。
なぜ人はこのようにするのでしょう?(ゼスチャー:挙げた手をそのまま気恥ずかしそうに頭に乗せる)写真C

皆さん、お笑いになりましたね?すでにわかっていることを、皆さんにわざわざ意識させたから面白いのです。これが劇場、オペラ、演劇でもいずれの場合もユーモアの秘けつと言えます。理屈はいりません。皆さん、目を見開いて何が人間のふるまいの原動力となっているかよく観察してみてください。私たち人間には、誰か見知らぬ観客の目にさらされているような、そしてその観客に自分の失敗を見抜かれているかもしれないという意識が常に働いているのです。


TN: ヴェルディの初期の作品から最後の作品、「ファルスタッフ」にかけてどのような発展が見られますか。

DE: 「椿姫」と「ファルスタッフ」の典型的な場面を聞き比べてみると、容易にお答えできると思います。 3つの例を用いて、ヴェルディオペラの発展を説明してみたいと思います。

極端な例を挙げますと、「椿姫」はベルカント・オペラの流れをくんでいます。
ウン・ツァ・ツァ・ツァ というベルカント的なリズムがオペラ全体の95%くらいを占めています。

他の極端な例で説明をすると、「椿姫」と違って「ファルスタッフ」は観終わった後にメロディーを簡単に口ずさむことができません。「椿姫」ですと、有名なアリア(エッティンガーが「乾杯の歌」を口ずさむ)が直ぐに出てきますが、ヴェルディが初期に作曲した「椿姫」とは違って「ファルスタッフ」では特徴的なメロディーをなかなか思い出すことができず、「うーん、彼は太っていたな」とか「クイックリー夫人の声は低かったな」とか、「始終、私達を笑わせてくれた、あの演出家は天才だな」という印象しか残らなかったりします。

「ファルスタッフ」に到達するまでの移行時期を示す作品が、やはりヴェルディの後期に属するオペラ「オテロ」です。ここでは古いスタイルと新しいスタイルが混在しています。ウン・チャッ・チャッというベルカント的なリズムも使用されていて、イヤーゴの「乾杯の歌」のように明確なアリアもあれば、「ファルスタッフ」の様なヴェリズモ的、モダンオペラ的要素を含んでいる箇所もあります。勿論、ここで挙げた例よりも、実際の構造はもっと複雑です。「ファルスタッフ」は、形式的でベルカントに近い「椿姫」と比較すると、複雑なリズム、より重厚で発展した和声とオーケストレーションが見られます。

また、「椿姫」などとは異なり、ヴェルディ後期のオペラである「ファルスタッフ」は、その後のプッチーニの「蝶々夫人」などの様に、前奏曲が非常に短く、すぐに本題に入ることが特徴に挙げられます。

TN: まっすぐに、予告無しに人生に入り込むのですね。

DE: そうです。真実の人生、真実の世界に。これも大きな変化だと思います。

TN: 一般的にファルスタッフの最後の音楽はフーガだと信じられていますが、フーガに関してお話しを伺いたいと思います。

DE: ひとつの声部が歌い始めると他の声部が後から次々に追いかけていくため、フーガの語源はイタリア語の“走る”、音楽用語です。ひとつのモチーフを2つ,3つ,4つ,もしくは5つ以上の声、キャラクターが歌います。最初に出てくるモチーフが、数小節後に別の声で2つめ、さらに3つめと順に歌われることから、イタリア語の“走る“ が引用されているのです。また、2声部だけですとカノンと呼ばれますが、3声以上になるとフーガと呼ばれます。

ヴェルディの最後のフーガは、フーガとみなさないという意見もありますが、それはルネッサンス、バロック、バッハのフーガの構造と比べていただければ、理解していただけると思います。ルネッサンス、バロックのフーガは、非常に厳格なルールと理論に基づいており、それを数学的観点から分析することができます。しかし、「ファルスタッフ」のフーガに関しては、最初にモチーフがまずファルスタッフによって歌われ、次にフェントン、そしてクイックリー夫人、アリーチェ、等々どんどん増えていき、 かろうじてモチーフを聞き取ることは出来ますが、最終的に合唱が加わる頃には非常にテンポが速くなり、バロックやルネッサンスの持っているフーガの構造を失ってしまいます。しかし、音楽は続き皆が一緒になってハッピーエンドを迎えるという、大変真面目で、かつ洒落た遊びごころのあるオペラなのです。

TN: 今回の「ファルスタッフ」では、当時のオランダの画家たちにインスピレーションを受けていらっしゃると伺っています。

JM: 私はこの時代設定は、過去でなければならないと考えました。もちろんヴェルディが視覚化した時代そのものまでさかのぼる必要はないと思いましたが、大まかでもある程度時代性を出した方が良いと考えました。ですので、とても簡素化された装置にしています。少しばかりオランダの絵画に基づいているのは確かで、理由は単純です。演出を装置やオランダ風に仕立てたかったのではなくて、17世紀当時の庶民の生活、家の中がどのようであったかを示す絵画を残しているのは、唯一オランダの画家たちだけだったからです。イタリアの画家もイギリスの画家もそういう絵は残していません。ヨーロッパ中でもオランダ人だけが、16〜17世紀の市民の生活を描いたたいへん詳細な絵画を残しているのです。イタリアの絵画には庶民の家のインテリアを描いたものはありません。宮殿はあっても、平民、庶民の家のインテリアがわかるような絵は残っていないのです。

TN: ファルスタッフとは、どんなキャラクターなのでしょう。落ちぶれた貴族階級だったのでしょうか。

JM: ファルスタッフとは、サンタクロースみたいなものとしてとらえられることが多いのではないでしょうか(笑)。ファルスタッフもある程度、尊敬を期待しますし、名誉について口にすることもあります。彼はもはや自分の価値が薄れていることもわかっています。25年前の彼は名誉に従って生きてきた、でも今の彼は違います。でも、まだ多少の資産は残っている。経済的なこと、身だしなみ、不作法さおいて、また人は運の悪いとき何にすがるのか、など人類社会学的にとても興味深いキャラクターです。

TN: ファルスタッフが最後に「世の中すべて冗談だ」という境地に入ったのは人間としての深い尊厳や哲学的な理由があったのでしょうか。

JM: それについては私にもよくわからないのですが。おそらく彼は、不愉快な試練を次々とくぐり抜けてきた、混乱した状態のキャラクターだと思います。実際のところ16世紀のヨーロッパ社会の一辺では、逸脱した苦痛、“シャリヴァーリ”、と呼ばれる現象が台頭していました。そこでは、社会の道を外れた人間は、あざけり笑われ、苦痛を与えられたのです。19世紀アメリカに至っては、私刑にまで発展したこともありました。ファルスタッフは、最後に命からがら自分自身の人生から解き放たれ、そこで安堵感を得たのではないでしょうか。


TN: たいへん貴重なお話と、作品についても大事なポイントをたくさん教えていただきました。話題は尽きないのですが、約束の時間がきてしまいました。ミラーさんもエッティンガーさんもこれから稽古に参加しなくてはなりません。
皆様、本日はご来場ありがとうございました。「ファルスタッフ」の公演をどうぞお楽しみに。そして来シーズンも会場でお目にかかれることを楽しみにしております。


このページのトップへ