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2010年 11月 20日

都村敏子さんのわが町

続いての登場は、さいたまゴールドシアター所属の都村敏子さん

想い出のわが町 会津若松

終戦の翌年、私は小学校5年生だったが、両親の元を離れて会津若松に疎開をしていた祖母の元に行かされた。祖母は映画館の中の売店をし、そこで生活していた。その頃の若松は雪が降ると春迄、土を見ることが出来ず土が恋しかった。冬になると新明通りの雪道の上に小さな小屋がたくさん並び十日市が開かれた。夜になるとカンテラの灯りがともされカーニバルの匂いが鼻をついた。

夏にはお盆にその新明通りに櫓が組まれ、芸者衆が櫓の上で会津盤台山を歌った。私は輪に入って踊った。学校が早く終わった時には、よく飯森山や鶴ヶ城に遊びに行った。飯森山のあの階段を一気にかけ上り、帰り道おいしい湧水を飲んで帰った。

春には鶴ヶ城でお花見をした。あの頃ライトアップはなかったが夜桜がとても美しく、いつ迄も印象に残った。60年も昔のことである。

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