第2回 『わが町』と全裸・舞台
2010年 11月 17日|水谷 八也
水曜ワイルダー約1000字劇場、劇場主の水谷です。先週の続きで……ええっと、ソーントン・ワイルダーのお芝居の多くは舞台上に装置がありません。何の変哲もない椅子やテーブルは使いますが、背景を示す装置はまず使いません。『わが町』も「幕なし。舞台装置も一切ない」が冒頭のト書きです。今でこそ舞台上に何もなくても観客は驚きませんが、1938年の初演当時は違いました。その時の舞台写真を見ると、その「何もなさ」は現在の感覚からしても、過激だと感じるほど徹底してます。有名なのは第三幕のエミリーの葬儀の場面の写真ですが、左側に椅子にすわってじっと前方を見つめる死者たち、右側に黒い大きなこうもり傘を差した参列者の一群が客席に背を向けて立っているそのむこう側に見えるのは、スチーム・パイプが張り巡らされたヘンリー・ミラー劇場の壁そのものです。
©New York Public Library
アメリカではブロードウェイに乗り込む前に、地方の都市で「試演」を重ね、観客の反応を見て台詞や演技などを調整しますが、『わが町』のボストンでの試演のさなか、幕の途中なのに、マサチューセッツ州知事夫人が突然立ち上がり、舞台に背を向け通路をツカツカと進んで、そのまま劇場から出て行き、何人かがそれに続いたという「事件」が起こりました。中には「わたしは劇場の壁を見に来たわけじゃない」と不平をもらす人もいたようです。またブロードウェイでの初日でも、芝居が始まる前に席についたある観客は、薄明かりの中、幕が上がったままの何もないガラーンとした寒々しい舞台を見て、思わず隣の客に日にちを確認したというエピソードもあります。
当時のブロードウェイの他の舞台の写真を見ると、確かに具体的な装置が舞台に詰め込まれているのが普通だし、中にはもうそこに住みたいと思えるほど完璧な部屋になっているものもあります。多分それが当時は普通だったし、今でも「お芝居」と言えば、そんなセットを思い浮かべる人もいるでしょう(現在は本当に多様なので、これは年齢などにより、個人差があるかもしれませんが・・・)。そんな基準からすると『わが町』の裸舞台の「裸」は「全裸」であり、珍しいを通り越して異様であり、何もつけてないなんて「失礼な!」と思ったお上品なお客様がいても不思議はありません。
では、ワイルダーは一部の観客を「敵」に回してまで、なぜこの「裸」にこだわったのでしょうか。実はワイルダーが敵に回したのは一部のお客様だけではありませんでした。一体誰を敵に回してしまったんでしょう。それはまた来週。
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