オスカー・ワイルド オスカー・ワイルド
オスカー・ワイルドは、ビクトリア女王の眼の手術も担当した眼と耳の著名な外科医の父と、詩人にして熱烈なる愛国者である母との間に、1854年、アイルランドのダブリンに生まれ、アイルランド各界の著名人、芸術家が集うサロンで育つ。学生時代から古典を学び、詩を発表し、先には学者の道も約束されていたが、オスカーは髪を長く伸ばし、特別仕立ての衣服をまとい、花を携え耽美主義をかざしてロンドン社交界の寵児となる。その鋭い感性と美意識、ウィットに人々は惹かれ、作家としても名をあげ、30歳で結婚、2児をもうける。
が、幸福な家庭生活には収まらず、1891年、自宅のティーパーティで出会ったアルフレッド・ダグラス卿と親しくなり、劇作家としての名声が高まる一方で、ダグラス卿との交際が世間の目をひき、裁判沙汰の末、オスカーは同性愛行為の罪で重労働を伴う2年間の投獄生活を送る。釈放後、渡仏し執筆活動を再開するが、刑務所暮らしによる身体の不調に加え、不規則な生活や飲酒も追い討ちをかけ、1900年、投宿先のホテルで髄膜炎のため死去、46歳だった。