舞台はもともと、四年に一回くらいのペースで出ると決めていまして。昨年は「幽霊たち」という芝居にも出ましたし、その時はずいぶん「できない自分」に悩んだこともあって、正直「しばらくはいいや」という気持ちでいたんです。ところが、この話にはすぐに「スケジュールを空けよう」と反応してしまって。僕自身ビアズレーに憧れて絵を始めたので、まずはあの「ヨカナーンの首を持ったサロメ」の世界に身をおくことに惹かれた。それに人生はチャレンジですから。案の定、台本をもらったら、長台詞もあるし「おいおいおい……」だったけど(笑)、逃げるのは悔しいし、それは僕の生き方と合わない。もともと、台詞を忘れた夢を見て夜中に飛び起きたりすると、すごく辛いくせに「きたきた……」と妙な手応えを感じたりもするタチですから。結局は苦しいことが楽しいんですよね。
僕がこの舞台に期待するのは「完全なる演劇でありながら完全じゃない演劇」を組み立てていくことです。物語やキャラクターが完成された、類型化されがちな作品だからこそ、それを崩すためのアイデアは必要。自分なりの考えや方法がないと、俳優も単なる機械人形のようになってしまいます。そういう意味では、今回は演出家の亜門さんと俳優たちのバトルも多くなりそうですよね。その闘いを苦しいなりに、いい方向に向けられれば、芝居もより豊かになっていくと思います。僕のイメージは、それぞれの登場人物が「美しき悪の珠」を持ち寄る感じでしょうか。ヘロデ王なら、王としての器と残忍さを含んだ珠。ほかに氷のように冷たい珠もあれば、触れば火傷するようなものもあったり……そのアンサンブルの中で、お互いがお互いの存在感もきっちり見せつける展開になるといいですよね。「見せつけてやるぞっ」というくらいの強い気概で、稽古に臨むつもりです。
俳優としては役と自分が同化することを望みながら、人間としての僕は今、ヘロデ王の悪魔的権威主義を拒否したがってもいます。君主とはいえ、また間接的とはいえ、何十万、何百万という人を殺している人間を演じるわけですから、千秋楽になっていつもの自分に立ち戻れるかという怖さは大きい。でもその迷いを乗り越えないと、とてもあの厚みと量を持った台詞は口にできないんですよね。また、指を差すとか、腕を上げるとかそんなちょっとした立ち居振る舞いも、完全に精神と同化させる必要があると思います。この世界観の怖さや美しさ、絶対君主制のありようは、そういうところからも伝わるはずですから。僕は行き当たりばったりでもなく、作為的でもなく、自分の五体を使って、このヘロデ王を演じたい。そのためには今まで封印していた自分をも解き放っていくつもりです。そうすればきっと、そこには今まで演じてきたどの俳優とも違うヘロデ王が立っているんじゃないでしょうか。
インタビュアー◎鈴木理映子(演劇ライター)
『ジ・アトレ』3月号より
五体を使って、ヘロデ王を演じたい 封印していた自分をも解き放すつもりです