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<ギャラリープロジェクト> 『スリー・キングダムス Three Kingdoms』主人公イグネイシアス刑事の足跡を追って①【イギリス編】

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上村聡史(『スリー・キングダムス』演出)× 一川 華(劇作家・翻訳家)

イギリス演劇界の奇才 サイモン・スティーヴンスが描く、現代社会の闇を深くえぐる衝撃作『スリー・キングダムス Three Kingdoms』。本作は、ある猟奇殺人を追う二人のイギリス人刑事が捜査を進めるうちにヨーロッパ全土に広がる国際的な犯罪組織の存在にたどり着き、ロンドンからドイツ、そしてエストニアへと舞台を移しながら、資本主義の裏に潜む人間の暗部と対峙していく壮大なサスペンスだ。

今回、日本初演の演出を担当する上村聡史がイギリス、ドイツ、エストニアに深い縁を持つクリエイターや研究者と対談。本作への理解を深めるために、それぞれの国の風土や国民性を探る。第1回となるこのイギリス編では、ロンドンの劇場でインターンを経験、帰国後は劇作家・翻訳家として活躍する一川 華にイギリスの国民性や劇場事情などを聞いた。

お金とサービスは一致しているロンドンの二面性

上村今回は、イギリスはロンドンについてお話をしていただければと思っておりますが、一川さんはさまざまな国に滞在されていたそうですね。

一川:8、9年ほど海外で暮らしていましたが、一番長かったのはタンザニアとパキスタンです。ほかにもアメリカに1年、ロンドンに劇場のインターンとして2018年に半年弱ほど滞在していました。

上村:ロンドンはどの辺りに住んでいらっしゃったんですか?

一川:キングスクロスやヴィクトリア周辺が多かったですね。当時、本当にお金がなかったので、一つの部屋に8個から10個ベッドがあるような安いドミトリーに滞在していました。しかも女性専用だと高いので、男女共同部屋です(笑)。ドミトリーには2週間以上滞在できないので、2週間ごとにスーツケースを引きずって、ドミトリーを回って...。そんな生活を半年間していました。

上村:ああ、あの辺りは観光客の行き来が多いので、ドミトリーの数も多いですよね。

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上村聡史


一川:そうですね。安い代わりに痛い経験もたくさんしました(笑)。キングスクロスのドミトリーに滞在していたとき、私の二段ベッドの上に強面のおじさんがいたんですよ。なかなかコミュニケーションが取れないくらい怖い雰囲気の方だったのですが、ある日、私がロビーで仕事をしていたらそのおじさんが血相を変えてやってきて「早く部屋に来て」と。それで行ってみたら、私とおじさんが寝ていたベッドの上にあった下水管から下水が漏れ出て、全部が濡れてしまっていて。汚い話ですが、当時、持っていた戯曲や買ってきたベーグルなどが全て真っ黄色になってしまっていたんです。結局、部屋を移してくれたのですが、そこからおじさんと私の二人部屋での生活が始まりました(笑)。日本では考えられないような事件だったので、すごく印象に残っています。

上村:イギリスはヨーロッパの他の国に比べてもトイレ事情があまり良くないですよね。トイレの水があまり流れないし、壊れやすい(笑)。キングクロス界隈は、旅行者狙いの詐欺も多いのではないですか?

一川:今、思い返してみると犯罪との距離は近かったような気がします。旅行者狙いではないですが、2016年に短期でイギリスに滞在していたときには、大通りでナイフを振り回している男性がいて、友達と慌てて逃げたことがありました。2018年に宿泊していたドミトリーには談話室が必ずあって、夜な夜な人が集まっていましたが、そこで「母親の恋人が母親を殴ったから、銃を突きつけて止めたら逮捕された」という人にも会いました。イギリスは銃の所持が禁止されているので、銃の所持で捕まり刑期を終えてロンドンにやってきて、「セールスマン」をしていると言っていました。今、考えると、おそらく薬を売っている"セールスマン"だったのだと思います(苦笑)。イギリス全体がそうではないと思いますが、当時、犯罪や薬は生活圏内にある、という感覚でした。

上村:ロンドンは、そうした違法なものがカジュアルに存在している恐ろしさがあると思います。

一川:そうですね。日本に比べるとカジュアルに感じます。ドミトリーの近くでバッグを盗まれたこともありますが、それくらいだとなかなか警察も真剣に動いてくれなかったです。一方では、戯曲がたくさん置いてあるようなおしゃれな本屋さんのトイレにスマホを忘れたときは、誰かがお店に届けてくれて、戻ってきたんです。やはり集まる人の経済的な水準によって、こうした違いが生まれるのかもしれない、と思いました。

移民の多いロンドンで「アジア人女性」であることを感じる

上村:僕自身も半年ほどロンドンに滞在したことがあるのですが、やっぱりカントリーサイドに行くと人の優しさや親切心を感じます。でも、ロンドンはもっとギスギスしている。それはやっぱりロンドンには移民がたくさんいるからなのかなと推測しているのですが、一川さんの印象はどうですか?

一川:生活をしていく中では、私はアメリカと大きな差は感じなかったです。アメリカも移民大国だからかもしれませんが。ただ、アメリカではあまり聞かれなかった「Where are you from?」という質問をイギリスでは何度も聞かれた印象があります。アメリカでは、出身地を聞いているのか、人種的なルーツを聞いているのか、どちらにも捉えられることから、この質問自体がセンシティブな感覚がありました。ですが、イギリスではもう少し、ドライに捉えられている感覚があって。ヨーロッパの地理や、階級社会の影響ゆえかもしれません。当時は、人が移動することを受け入れてくれているのかなとポジティブに捉えていましたが、今考えるとルーツで人を区別する、保守的な質問だったのかもしれないなと。

上村:イギリスには、ヨーロッパの他の国とはまた違う、島国特有の帝国的なDNAとでもいうような「歴史に対する誇り」があるように感じます。

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一川 華

一川:個人的には街並みにイギリスの誇りを感じました。"ブリティッシュ"と冠がつく施設が多いですよね。あと、アメリカには国立劇場がないけれども、イギリスはナショナルシアターのプレゼンスがすごく高い。それから、印象に残っているのは、ロンドン塔ですね。日本の場合、自国が行った処刑や拷問の歴史は隠すという意識が強い気がするのですが、イギリスでは、自国の歴史を堂々と見せて、観光資源にする。「歴史に対する誇り」の強さを感じました。

上村:ロンドンの生活感という点では、東京と比べてどんなことを感じていましたか?

一川:物価の高さには苦労しました。常にお金のやりくりを考えていた記憶があります(笑)。

上村:お金を払えば良いサービスが受けられますからね。相当な努力をしないと上にいけないという資本主義の原則を感じます。一方で、昔の階級社会の名残なのか、ケンブリッジ卒やオックスフォード卒はしっかり守られている。その差が大きかった印象です。僕は、リバプール・ストリート界隈の、イーストの方に住んでいたんですよ。そこから少しいくとショーディッチという街があって若者たちの賑やかさがある。さらにそこから10分ほど歩くとベスナルグリーンがあって、そこはイスラムな人たちが多い。なので、ロンドンは場所によってのコミュニティーが区分けされていると感じていました。日本人から見るとその異文化な空気は面白いですが、劇場に研修に行っていたときに現地の人に話を聞いたら「ある程度、稼いだら田舎に引っ越したい。ロンドンには住みたくない」と言っていました。それを聞いて、もしかしたら、20年後の東京もこうなるのかなと。それは単純に移民が増えるということだけでなく、そのドライな感情も含めてなのですが。

一川:確かに。私は生活しているなかで、自分がアジア系の女性であることを改めて感じました。それはロンドンに限らずアメリカでもそうだったのですが、アジア女性というと、どこか下に見られている感覚があって。それは東京との大きな違いでした。他にも、私が住んでいたドミトリーでは、受付担当と清掃担当の方の英語のレベルに差があったことも印象的でした。受付を担当する方はビジネス英語を話せるけれど、清掃担当の方はほぼ話せない。英語というものを軸に、仕事の内容が明らかに違うというのを生活の中で目の当たりにしたのは特に記憶に残っています。

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上村聡史

上村:この『スリー・キングダムス』でも題材になっているポルノ産業については、ロンドンの印象はいかがでしたか? ソーホーはゲイタウンなので、街中にセックスショップがあったりもしますが、かといってセックスを前面に出してはいない。

一川:街中では日本の方が露骨だなと感じます。ただ、自分が見逃していただけかもしれません......。

上村:ドイツのハンブルクは性に開放的ですが、ロンドンは都市部があれほど発展しているのに意外と開放的ではないように思います。

一川:私もその印象があります。品位や体裁を重んじる雰囲気を滞在していた時も色濃く感じました。


ロンドンの抱える劇場事情

上村:イギリスは日曜日が休みで、店という店が全て休みになります。劇場も休みです。パリの劇場は日曜の昼間はやっていて、月曜日が休みです。日本の劇場は常に稼働していますが、集客が追いついていない。ロンドンは日曜休みでも、平日にお客さんはしっかりと入るんですよね。そんな話をしていたら、「でも、ロンドンにも問題はあって、労働者と移民は劇場に来ない」と。それだけ階級がはっきりしている街、国ということはあるのかなと思います。

一川:私も同じようなことを感じました。ウエストエンドで芝居を観に行くと白人の初老カップルが多いんです。観客層の偏りは、日常的にも肌身で感じました。たとえば、ドミトリーの談話室で「シアターに携わっている」というと、どこか浮世離れしていると思われる感覚がありました。ドミトリーで働いている方たちは、長年上演されている『レ・ミゼラブル』や『オペラ座の怪人』も、「知っているけれど、観たことはない」という距離感で。そもそも興味をもつきっかけがないのかもしれないし、経済的なところが理由なのかもしれませんが、すごくかけ離れた世界なのだと思いました。

上村:それはフリンジといわれる小劇場でも同じように感じますか?

一川:私は、フィンバローシアターという、マーティン・マクドナーの『ピローマン』が初めてリーディング上演された劇場でインターンをしていましたが、英語が第二言語の方はほぼ見なかった気がします。一階にパブがあったので、そこでお酒を飲んでそのまま観劇をする方が多く、経済的にも時間にも余裕がある層が中心という印象が強かったですね。

上村:日本から見たら、イギリス演劇は集客もよく、たくさんの方が観てくれるというイメージがあるけれども、意外にも客層の分断があるんですよね。

一川:日本にいると、イギリスの戯曲は、とても社会的で現代の課題に鋭く切り込んでいるように見えますが、現地に行ってみると、本当に届けるべき人にあまり届いていないのかもしれないと思いました。

上村:そのギャップは感じました。ところで、この『スリー・キングダムス』では、テムズ川で変死体が発見されたことから物語が始まりますが、一川さんはテムズ川に思い出はありますか?

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一川 華


一川:「ロンドンといったら」という名所ですよね。ヨーロッパの水は、日本の水とは少し違う何かを感じます。この印象はイギリスの劇作家ジョン・ブリテンの『ロッテルダム』という作品を翻訳したことから来ていて。作品の舞台はオランダなのですが、運河が国をまたいで移動していく人々や、自分自身が変容していくモチーフとして登場することから、ヨーロッパの水に触れると、私はそういったものを想起します。ただ、正直なところテムズ川を美しいと思ったことがないんですよ(苦笑)。ロンドンに滞在していた当時は、ゆっくりと景観を楽しむということも一切しませんでした。今思うと、下水の汚さのイメージが関係してくるのかもしれません。表面上はきれいかもしれないけれど、実際は汚い。だからこそ、この作品で女性の死体が捨てられる場所がテムズ川というのは、個人的には驚く設定ではなかったです。

上村:なるほど、ありがとうございました。

一川:『スリー・キングダムス』は言わずもがな、登場人物が国をまたいでいくのが魅力ですよね。私自身、国から国に引っ越すたびに、それまで確かだったものが曖昧になったり、新しく見えてくるものがあったり......そんな感覚を楽しんだり、時には戸惑ったりしてきました。文化や言語の違いを超えて、舞台上でどんな旅が繰り広げられるのか、とても楽しみにしています。


構成・文=嶋田真己



『スリー・キングダムス Three Kingdoms』公演情報

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【公演日程】2025年12月2日(火)~14日(日)
【会場】新国立劇場 中劇場

【作】サイモン・スティーヴンス
【翻訳】小田島創志
【演出】上村聡史

【出演】伊礼彼方、音月 桂、夏子
    佐藤祐基、竪山隼太、坂本慶介、森川由樹、鈴木勝大、八頭司悠友、近藤 隼
    伊達 暁、浅野雅博

あらすじ

刑事のイグネイシアスは、テムズ川に浮かんだ変死体の捜査を開始する。捜査を進めるうちに、被害者はいかがわしいビデオに出演していたロシア語圏出身の女性であることが判明する。さらに、その犯行が、イッツ・ア・ビューティフル・デイの名曲『ホワイト・バード』と同名の組織によるものであることを突きとめる。イグネイシアスは捜査のため、同僚のチャーリーとともに、ホワイト・バードが潜伏していると思われるドイツ、ハンブルクへと渡る。
ハンブルクで、現地の刑事シュテッフェンの協力のもと捜査を始める二人だったが、イグネイシアスがかつてドイツに留学していた頃の不祥事を調べ上げていたシュテッフェンにより、事態は思わぬ方向に進んでいくのであった。