演劇公演関連ニュース
<ギャラリープロジェクト> アヤ・オガワに聞く 『鼻血―The Nosebleed―』が生まれるまで
撮影:阿部章仁
『鼻血―The Nosebleed―』作・演出 アヤ・オガワ × 翻訳 広田敦郎
11月に来日公演を行う『鼻血―The Nosebleed―』は、ニューヨークを拠点に活躍する日系アメリカ人、アヤ・オガワの自伝的作品だ。同公演の日本語字幕を手掛ける広田敦郎が、オガワのルーツを紐解きながら作品の生まれた背景に迫る。
取材・文=兵藤あおみ/撮影=阿部章仁
演劇に見つけた自分の居場所
広田:『鼻血―The Nosebleed―』は「移民」体験についてのお芝居でもありますね。その創作背景を知るために、まずはアヤさんがどんなきっかけで演劇の道に入り、この作品を作るに至ったか、うかがってみようと思います。お生まれは日本でしたね?
オガワ:はい。東京で生まれ、2歳くらいの時に父親の転勤でテキサス州に移り住み、1年後ジョージア州へ。当時(70年代)のテキサスやジョージアは白人だらけの状況で、アジア人はほとんど見かけませんでした。子供ながらに周りの環境と自分とがかみ合っていないことを自覚しつつ幼稚園に通っていました。今でもよく覚えているのが、ジョージアの幼稚園で「オシャレをして登園しよう」みたいなイベントがあったんです。その際、母親に「あなたは日本の代表だから」と着物を着せられて。「なんで自分だけこんなものを着ないといけないの?」という疑問が生まれ、その後長く心の中で持ち続けていました。小学生の頃、東京に戻ってきたのですが周りの子が近所の学校に通う中、私は電車に乗ってアメリカンスクールに通っていました。「やはり自分は違うな」と感じていましたね。そして中学に上がる頃、今度はカリフォルニア州へ引っ越して。カリフォルニアではいろいろな町に住みましたが、最終的にはモントレーというサンフランシスコから2時間くらい南に下った海も山もあるキレイな町に落ち着きました。そこの高校に通っていた頃、どこかから「舞台に立ちたい」という気持ちがわいてきて、演劇をやり始めました。
広田:何かの舞台を観て影響を受けたというわけではないのですか。
オガワ:特に観たことがなかった......。あ、でも「ガラスの仮面」(演劇の世界を舞台にした美内すずえの人気漫画)かもしれない! アメリカに引っ越してからも夏休みとかにたびたび日本に帰ってきていたんです。その頃はもちろんインターネットが普及していませんでしたから、日本の何かを持って帰ろうと思い、「ガラスの仮面」を読み始めたのかもしれません。うわっ、今まで考えたこともなかった。でもうん、たぶん「ガラスの仮面」つながりだと思います。
広田:読めば演劇をやりたくなる気持ち、分かります!
オガワ:で、演劇をやり始めたら楽しくて。それまでずっと抱えていた「自分は周りの人と違う」「この環境に当てはまらない人なんだ」という気持ちを癒してくれたのが、演劇で。 仲間と一緒に同じ目的を持って楽しく作業をしていく中で、やっと自分の居場所を見つけられた感じでした。他の人を演じることによって、なぜか自分を出せるようにもなれましたし。とにかく役者を目指し、打ち込んでいました。ただ、親には猛反対されて。私が知らないところで母が演劇の先生に「次の作品に娘を出さないでくれ」と頼み込むなんてこともありました。先生はちゃんとキャスティングしてくれましたが(笑)。大学を選ぶ際は、まず演劇ができ、次に親からなるべく遠い所をと考え、ニューヨークのコロンビア大学に決めたんです。演劇部が有名なところではありませんでしたが、ニューヨークに行けばどうにかなるだろうと思って。
広田:ドナルド・キーンさん(コロンビア大学で教鞭をとっていた日本文学者)はまだいらっしゃいましたか?
オガワ:いらっしゃったのかな......。確か東アジア部門や日本文化部門で定評がありましたが、私は役者を目指していたので接点がありませんでした。コロンビア大学の演劇部はそのまま業界につながるような場所ではありませんでしたが、世界の演劇の伝統を勉強するようなプログラムがあって、お能やインド舞踊などを学びました。すごく面白かったですよ。そのうち先生たちに「芝居を書いてみたら?」と言われ、書くことも始めました。卒業後、役のオーディションを受けようと思っても、まあ自分に当てはまる役がない。名前も無い「チベット人の女2」とか、ステレオタイプのものばかり。今はアジア人の作家が活躍し、アジアンアメリカン・シアターや若手作家・俳優のプログラムなども充実していて、だいぶ入りやすくなってきましたが、当時は本当に本当に狭き門だったんです。インターネットがない時代、まずオーディション情報を手に入れるのが一苦労。そして受けたいオーディションが見つかっても俳優組合のメンバーじゃないと参加できないし、組合に入るには俳優としての経験がいる。「どこから始めればいいの!?」という感じでした。そんな中、苦労して「チベット人の女2」を演じるのもイヤだなと思い、どうせ苦労するなら自分にとって意味や価値のあるものを作りたいなと、芝居を作り始めました。大学卒業したての人たちで集まり、劇団みたいなものを作って芝居をやる。そこでは演技、台本執筆、演出、プロデュース、デザインなどあらゆることを全部自分でやっていました。6年後に独立しましたが、自分で作・演出・出演する形は続けていこうと思い、今に至る感じです。
人々が演劇を観る意味を見いだせるように
広田:演劇を学んでいる頃、影響を受けたアーティストや作品はありましたか?
オガワ:高校では毎年ミュージカルとシリアスな芝居を1本ずつやって、初めてやったのはギルバート・アンド・サリヴァンの『ペンザンスの海賊』というミュージカルでした。めちゃくちゃなお話で楽しかった。あと、高校最後にはテネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』でローラをやりました。
広田:アメリカの学校ではアーサー・ミラーの『るつぼ』やジョン・スタインベックの『二十日鼠と人間』が必読みたいな話を聞きますが。
オガワ:うちの高校ではなかったですね......。学校向きといえば、『ペンザンス~』の後にソーントン・ワイルダーの『危機一髪』をやりました。大勢のキャラクターが出てくるからみんなに役が振れるからって。
広田:クレイジーな作品ですよね! 実際に上演するのはすごく大変そう。
オガワ:そうですか? やるぶんには面白かったですよ。3幕に分けて時代が変わるじゃないですか。そういう自由な発想が刺激的でしたし。
広田:大学ではどうでしたか?
オガワ:演技の勉強にのめり込んでいた最初の頃は、ベケットとかブレヒトとかアバンギャルドなものをやっていました。
広田:ここまでのお話を伺い、納得しました。アヤさんと初めてお会いした後、当時まだディヴェロプメントの段階にあった『Ludic Proxy』のワークショップにうかがったんですよね。福島で起こったことなどを題材にして、ビデオゲームの形式も取り入れていらっしゃった。ブロードウェイだけでなく、オフ・ブロードウェイの劇場ですら、リアリズムの作品が圧倒的に多い中、アヤさんのアバンギャルドな作風がとても印象に残りました。日頃自分が「演劇」として触れている作品の規格外にあるというか......
オガワ:大学時代に教え込まれたのが「劇場ならではの体験を提供しよう」ということでした。今やスマホやタブレッドで世界中の映画やドラマが気軽に観られる時代で、そもそも演劇を観る人が少ない。興味がない人は「なぜわざわざ時間を割いて劇場まで足を運ばないといけないのか」と思うでしょう。演劇を観る意味をちゃんと作らないと作品を誰にも観てもらえないんです。例えば『Ludic Proxy』は3幕に分かれていて。過去を描いた1幕ではチェルノブイリ原発、現在を描いた2幕では福島第一原発、未来について描いた3幕はニューヨークが舞台とそれぞれセッティングは違うものの、観客と作品の関係をちゃんと作り上げたいと思っていたんです。まず人間と過去をつなぐのは記憶ですよね? で、その記憶は100パーセント確かなものではないから考えるたびに記憶も少しずつ変わる。1幕ではその様子を俯瞰してもらいたかった。そして現在で私たちは何かを変える力を持っている。2幕ではそのことを観客に気付かせる意味で、何通りかの物語を用意し、行く末を観客に選んでもらうようにしました。観客に力をあげたかったんです。その日の観客によって物語が変わる面白さやスペシャル感も生まれました。最後、未来は夢でしかありませんので、3幕はそのロジックに沿って書きました。今考えてみても結構複雑な芝居でした(苦笑)。1幕はロシア語、2幕は日本語、3幕は英語と使った言語もバラバラで、2幕で選択肢を提示するために映像も用いました。複雑で大変な芝居でしたが、自分が今住んでいる世界のこと、そこで自分が体験していることを作品に反映するのが私の信条なので。ちょうど3.11の福島の原発事故があった直後、5月に母を亡くしたことなど自分を取り巻くすべてがつながっていて、あの作品を通してなんとか消化しようとしていたんだと思います。
広田:それが『鼻血―The Nosebleed―』にもつながっていくんですね。
オガワ:はい。『Ludic Proxy』を観たある批評家に「失敗作だ」と書かれたんです。それまでも悪い批評をもらったことがありましたが、「そういうとらえ方もあるのか」と納得できていたんです。でも『Ludic Proxy』の時は違って、どういう意味での失敗なのか気になって気になって。失敗というものに強く興味を引かれたんです。そして新作を作るとなった時、稽古場にコラボレーターを集めて、みんなで"失敗談"をシェアしようというところから始めました。仕事で失敗したとか、子供の頃の未熟ならではの失敗とか、ずっと妊娠しようとしたけれど流産してばかりだったとか......毎週セッションを行う中でさまざまな話が出てきて、とても興味深い発見がありました。失敗した自分を許すってすごく難しいことなんだなと。そこで、みんなの許可を取ったうえでそれらの話を材料に実験を始めました。例えば、誰かの話を別の誰かに自分事のように語らせてみようとか。すると、ネタ元の人とその失敗談との間に距離が生まれ、自分を許せたり癒したりできる手助けになったんです。まさに「これだ!」という感じでしたね。演劇というツールを使い、自分のつながっているコミュニティの人たちのために許せなかったことを許せるような空間を作ろうと思ったんです。
すべてがアイデンティティにつながる
広田:最終的にアヤさんご自身の失敗を描くことになりました。
オガワ:観客を入れたワークショップではこちらの用意したテキストを読んでもらったり、観客自身の失敗談を語ってもらったりと積極的に参加してもらっていたんです。そのうち、「あの誰々の失敗談って本当の話?」と聞かれるようになった。やはり当事者がいない時にその人の話をすると、どうしてもフィクションかそうじゃないかという疑問が出てきてしまうんですね。でもそれは観劇するうえで観客にとって邪魔でしかない。じゃあ、今まで学んだことや築いた構造をベースに疑いのないキャンバスで仕上げればいいじゃんと思い、自分の失敗について書くことにしたんです。私がずっと仲間に聞いていた「あなたの今日の失敗は何? 今週の失敗は? じゃあ人生での失敗は何?」という質問を自分に向けた時、日本語を教えたいと二人の息子を無理やり日本に連れて行った最初の夜、下の子が鼻血を出して血まみれになった場面が思い浮かんだんです。時差でフラフラの中、血を拭き取ったり着替えさせたりカオスだったな~と。あと同じ頃に観ていた「バチェラー」という恋愛リアリティ番組のこととか、芝居に書いたままなんです。要は全部アイデンティティにつながっている。私はたまたま両親のもとに生まれ、日本という国やその文化につながっている。それがなぜ大事なのか? 子供だった私が違和感を持ちながら過ごした70~80年代には今存在するボキャブラリーがなかったんですよね。白人コミュニティの中で親から「日系アメリカ人としてのプライドを持ちなさい」なんて言われたことがなかった。でも今、自分の子供たちは違う。自分の背景を理解すれば自分の力になるし、背景によって自分のアイデンティティが作られることを教えなければと。
広田:自分を表現するうえで大事なことですよね。
オガワ:絶対にそう。そして、自分で手に入れた表現力やコミュニケーション能力はその先、社会や自分の人生に踏み出す力にもつながっていくから。『鼻血』の中でそれを問えたのは大きかったかなと思います。
広田:アヤさんは創作の場でご自身の経験をどんどん他者とシェアされる。あと、いかに他者に共感するかというのも大事にしていらっしゃると思います。それが『鼻血』にも表れていて。例えば僕も、自分の親との関係を考えずには観られない。ただのお話として消費するのではなく、誰もが自分事と置き換えて観られるから、得られる感動も大きいんじゃないかなと。劇中、アヤさんとお父様との関係がとても複雑で、お互いにつながることができなかったと書かれています。でも、自分の居場所をなかなか見つけられなかったというアヤさんと同じように、お父様もアメリカで居場所を探していたように思いました。なんだ、ちゃんとつながっていたんじゃないかと僕はちょっと感動したんです。
オガワ:亡くなった父親の家に行ってガレージに詰まった父の持ち物について話す場面があるじゃないですか。そこで「メンバーズオンリーのジャケット」と言って、日本人のお客さんはピンと来るかなと心配していたら、共演の塚田さおりちゃんが「お父さんはアメリカのものを集めることで自分のアイデンティティを作り上げようとしていたんじゃないの?」と言ってくれたんです。自分ではそんなことを考えていなかったんですが、言われてみてそうかもねと。父親がどういう存在だったかというのを無意識に描いていたんだと思います。

ロサンゼルス公演 (c)Angel Origgi

ワシントンD.C.公演 (c) DJ Corey Photography
日本の演劇から受けた影響を糧に
広田:アヤさんは過去に燐光群のお芝居に出られたり、岡田利規さんなど、日本の戯曲の英訳を手掛けられたりしていますが、そういった活動を通して受けた影響はありますか。
オガワ:たくさん影響を受けました。例えば日本では、燐光群の坂手洋二さんなど劇団の主宰者が作家と演出家を兼任していることが多いですよね。でもアメリカでは、作家は書いたものをプロデューサーや劇場、シアターカンパニーに送り、プロデューサーが演出家を選び、そこからキャスティングが始まり......と、まったく違うシステムになっている。自分が役者を目指していた時、やりたい役がないから自分で芝居を書こうと思えたのは、日本で作・演出している人たちを見て勇気づけられたというのもあります。それまでは自分で書いて演出もするなんてエゴイストのすることでイヤだなと思っていたんですよ。でも、日本ではみんなやっているし、それを誰もエゴイストだなんて言わない。なら私だってやってみようと。あと岡田さんの作品ですが、場面によってキャラクターが別々の俳優に演じられるなど、キャラクターと俳優の間にギャップがあるじゃないですか。『鼻血』でも出てきますが、たくさんの人が同じ役をやってもいいんだという発想は、たぶん岡田さんの作品に触れたことで得られたものだと思います。広田さんもお分かりになると思いますが、翻訳作業って書いた人の意図を理解するためにその人の脳内に入り込まないとできないですよね? ものすごく親密な関係になると思うので、無意識のうちにいろいろな要素を受け取っているんだと思います。
広田:最後にアヤさんの今後のお話を。来年2月にオフ・ブロードウェイで新作を、セカンド・ステージ・シアター製作で発表されますね。
オガワ:『Meat Suit, or the shitshow of motherhood』というタイトルなんですが、日本語でなんて言えばいいのかな......。
広田:『肉襦袢、あるいは母性の見世物小屋』なんて訳すと和風すぎるかな。子育てにまつわるお話をブッフォンの形式を取り入れて描くとか。
オガワ:私は母親になってからカーッとなることが多くて。『鼻血』の中でも描かれる来日時の鼻血事件とか、シリアスな会話をしている横で息子がソファに盛大に吐くとか......カオスの連続なので。それを作品にしたいと思ったんです。そして、そのカオスを一番よく表現できるパフォーマンス形態がブッフォンじゃないかなと。ブッフォンは大雑把に説明すると、デフォルメした身体でキャラクターを作るって感じで、デフォルメした身体自体には意味がないんですよ。でも私の作品では、デフォルメした身体そのものに意味を持たそうかなと。親になった時の身体的もしくは精神的なトランスフォーメーションをその身体で表現する。物語が進むにつれ、身体がどう変化していくか乞うご期待です。
Meat Suit, or the shitshow of motherhood
公演日程:2026年2月11日~3月15日
会場:Second Stage(ニューヨーク)
<公式ウェブサイトはこちら>
海外招聘公演『鼻血─The Nosebleed─』
作・演出:アヤ・オガワ
翻訳:広田敦郎
出演:ドレイ・キャンベル、アシル・リー、クリス・マンリー、アヤ・オガワ、塚田さおり、カイリー・Y・ターナー
公演日程:2025年11月20日(木)~24日(月・休)
会場:新国立劇場 小劇場
<公演情報ページはこちら>
あらすじ
作家のアヤに紹介された4人の俳優がそれぞれの「失敗談」を語る。やがて彼らはそれぞれ「アヤ」を演じながら観客に問い始める。
「『バチェラー』という恋愛リアリティ番組を見たことがありますか?」
番組で描かれる男性とその父親の難しい関係。その関係にまつわる「失敗」がアヤ自身の親として、そして子どもとしての失敗を思い出させる。面白おかしく、ほろ苦い失敗の数々。しかし、一番大きな失敗は、父親が亡くなった時にお葬式もあげなかったこと。
次々に観客へ投げかけられる問いを通して紐解かれていくのはアヤと、無口で冷たい昭和の父親との相いれなかった親子関係。亡くなってしまった父との関係はこのまま「失敗」としてアヤの中に残り続けるだけなのか......
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