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[前編]天狗の羽音~『斬られの仙太』の故郷を訪ねて~


某月某日。

新国立劇場の会議スペースには、四つ並べたテーブルでもまだ足りないぐらいの大判地図が広げられていた。水戸市内を拡大した地図のそこかしこには赤ペンの丸が引かれている。四月に上演される『斬られの仙太』、その故郷を訪ねる旅の会議中であった。

旅に出るのは演出家・上村聡史さんと、仙太役・伊達暁さん。多忙な二人の都合の合う日はわずか一日だけ。しかもそれは翌週だというから、会議は急ピッチで進められた。旅程を組んで、交通手段を手配して、感染対策も抜かりなく......。

そこまでして旅に出る理由。それはひとえに、この作品が一筋縄ではいかない怪物だからだ。

新国立劇場の演劇が掲げる新シリーズ「人を思うちから」。その第一作目となる今作は、幕末から明治の激動期を劇作家・三好十郎が描いた超大作だ。その題材は、日本史上でも類を見ない大粛清が行われたという「水戸天狗党の乱」。尊王攘夷を掲げて戦った人々と、それを吞み込んでゆく時代の波を克明に描くスペクタクルドラマだ。約八十名にもおよぶ登場人物を、フルオーディションで選ばれた十六名の役者が入れかわり立ちかわりで演じぬく。

推敲を重ねてようやく上演時間が四時間半に収まったというのだから、その規模は並ではない。

怪物と対峙する前に、その故郷は見ておかなければ―。
そんなわけで会議から一週間後、上野駅には演出家と主演俳優の姿があったのである。



「おお、いいですね」

電車の中で出来たばかりの公演チラシを受け取った上村さんは嬉しそうに言った。伊達さんも一緒になってのぞき込む。伊達さんは以前にも山登りで茨城の方を訪れたことがあるそうで、上村さんも途中で出身地を通過する。

「脚本にあるように、今でも田園風景が広がる場所ですよ」
そう言う上村さんの向こうで、車窓外の景色はどんどんと広がっていく。その話に相槌を打ちながら、伊達さんは広がる景色を休むことなく観察していた。

大きな川を渡るときに上村さんが教えてくれた。

「この川を越えると、『第二場 取手宿はずれ』の場所になりますね」

それを聞いた伊達さんが腰を浮かして、熱心に窓の外を眺めていた。



土浦で下車すると、そこからは車の旅が始まった。最初の目的地は、水戸天狗党が決起したという筑波山神社だ。筑波山は関東霊山の一つであり、かつて武蔵坊弁慶もそこを訪れたのだそうだ。天狗党も、霊山の力にあやかってそこを拠点の地としたのかもしれない。

やがて、街並みの向こうに雄大な山影が見え始めた。道が上り坂に変わり、山道となった。木陰の向こうにちらちらと赤いものが見え隠れする。近づいてみると、それは道路をまたぐようにして建つ巨大な鳥居だった。その先には筑波山神社へと上るための石段が伸びている。

車を降りて石段を上り始めると、すぐに上村さんと伊達さんが写真を撮り始めた。口数も減り、二人とも一心にシャッターを切っている。まるで、目に見えるものすべてを稽古場に持ち帰ろうとしているようだった。

石段の先には藤田小四郎の像が建っていた。水戸天狗党の首領格の一人であり、筑波山挙兵を率いた人物だ。その先には威風堂々たる霊山の拝殿が待つ。



拝殿の前に立った二人は手を合わせ、目を閉じた。何を願ったのか聞いてみたかったが憚られた。



お参りを済ませると伊達さんはいそいそと御朱印を求めに。
「これを稽古場に」
と、嬉しそうにカメラに向けて見せてくれた。

石段を下りて車へと戻る途中、土産物屋に「天狗まんじゅう」の文字を見つける。他の土産物にも「天狗」という文字がいくつか見えた。

歴史に埋もれ、教科書に載ることも少ないという「水戸天狗党の乱」。しかしその凄惨さは甚大で、粛清された人数はゆうに三百名を越えるという。我々にとってははるか遠い"昔"の出来事でも、土地の人々にとっては、"今"へと続く源流であるのかもしれない。

まんじゅうはこしあんの詰まった懐かしい甘さだった。



次の目的地は真壁町真壁。主人公・仙太の出身地だ。

山道を下って麓の街を抜けると、景色は一気に田園に変わった。春を待つ田畑は茶色くどこまでも平らで、その四方を山が囲んでいることがよく分かる。

車内では、上村さんが調べていた作者・三好十郎の執筆理由を読み上げていた。

作品の中で仙太は、百姓から博徒へと身を落とし、その後に天狗党の活動に参加する。実在したかは不明だが、そういう博徒が昔にいたという伝説は残っているらしい。伝説のその博徒が歩いたという道を、三好十郎は自身でも歩いてみたのだそうだ。それが執筆のきっかけになったのだという。

流れていく田畑を見ていると、なるほど、古の人々も変わらぬこの景色の中にいたのだろうと思えてくる。畑を耕すかつての人々の姿が浮かんでくるようであった。



半時間ほど走って真壁に着いた。見渡す限りの田園の中に降り立ってみると、山々が迫るようにして周りを囲んでいる。車窓から眺めているのとは違う、実体を伴う迫力がある。

南方に遠く見えるのがさっきまでいた筑波山、東のすぐ近くでこちらを見下ろしているのが加波山だ。その間を高い峰がつなげている。

かつて、大志を抱いて挙兵した人々はこの山々を越えて行軍していったのだという。その道のりの過酷さはどれほどだったであろうか。

「これが俺の田んぼか」
伊達さんは楽しそうに言うと、あぜ道を少し歩いてみた。仙太も耕したであろう土の感触を確かめているようだった。その脚に"ひっつき虫"がいくつもついている。伊達さんは自分の足からそれをつまみ上げ、手の中のそれを眺め、それから周囲の山々に目をやった。

俳優の身体に、今、この土地はどのように吸収されているのだろうか。

上村さんはと言うと、眼前にそびえる加波山を見上げてどこか遠くに想いを馳せているようだった。カメラが近づいたのに気づいて笑顔を見せると、
「『土と共に生きる』ってことが大きなテーマであるんですけど」
と話し始めた。

「田んぼのことかと思ってましたが、山のことでもあるんですね。こんなに背景に山がある。力強い生命力の象徴といいますか...」

上村さんは言葉を選びながら続けた。
「人は風景と共に生きる生き物なんですね。自然との対峙から人の感性は生まれる。日本人の原風景を感じさせる舞台設定でもあるんですね」

演出家もまた、この土地の息吹を体内に取り込んでいるようだった。

ここは、この作品のルーツとなる風景の一つだ。筑波山、加波山を背後に並ぶ二人を見てそう思った。





仙太の田んぼを後にして旅は一路、水戸市内へと向かう。そこには激戦地となった場所や藩士たちの墓、そして彼らが泳いで渡ったという那珂川がある。

文 フリーライター本田 潤

<後編へ続く>