演劇公演関連ニュース

レポート「こつこつプロジェクト ―ディベロップメント―」の現場から





通常の、公演のために行程を逆算しながらの稽古ではできない"試し、作り、壊し、また作る"、創作のために十分な試行錯誤を行える時間と場を、日本の作り手に提供したいという小川絵梨子演劇芸術監督の強い想いから立ち上がった「こつこつプロジェクト―ディベロップメント―」。

3名の演出家が参加した初年度は、2019年3月にそれぞれが選んだ戯曲を観客を入れてリーディング上演する機会を設けた。三者はその後も各グループごとにクリエーションを重ね、新国立劇場スタッフに向けた最初の試演を実施。そのリポートお贈りしたい。

プロジェクト・レポート:西 悟志『リチャード三世』1st Trial

1st Trialでの目的・意図

リーディング公演では、冒頭より3幕4場(ヘイスティングズ処刑)までを抜粋し、上演を実施。よって、今回の1st Trialでは、3幕5場以降の作品後半部分の探求と同時に、「最も経済的な身体で台詞を発する事」とはどういう事かを皆で共通認識を持つことに主眼を置いた。

取組み

「最も経済的な身体」で演技をするという事はどういうことか?それを掘り下げていくにあたって「時間」「意識」「呼吸」という3本の軸が演出家より提案された。 「時間」とは、音楽でいう所のBPM(Beats per Minute)を意識するという事。一つのベースとなるリズム(拍)を持って、その上で緩急をつけられるようになるには?その習得のために「速回し」と名付けられた稽古を通し、役者の身体が自由に台詞の速さを操れるよう稽古を重ねた。 「意識」については、台詞を発していくうえで、常に先々のテキストに意識を飛ばしながら(テキストをブロックとしてとらえ、読みながら先のブロックを意識する)、俳優の身体がテキストを操れるようになることを狙う。 3点目の「呼吸」については、上記2点「時間」「意識」を持った身体の状態に持っていけるような呼吸への探求である。 上記3点をもって「最も経済的な身体」を手に入れた俳優が、それぞれの身体、声、言葉、感情を使用して、台詞に操られるのではなく、台詞を操れるようになる事、その事によって、俳優の身体を通して発せられたシェイクスピアの台詞がより身近なものとして観客に「伝わる」事をテーマに稽古を重ねた。

試演会リポート

リーディングから約2か月後、最初の試演に臨んだのはシェイクスピアの『リチャード三世』を選んだ西悟志のグループだ。


「プロレスの入場か!」と思わせる派手な音楽で開幕し、女優が戯曲冒頭のリチャードの長ぜりふを語り出したことや、途中お笑い芸人のような語り口で作品背景や登場人物の解説を交えるなど、西のリーディングの際の演出には従来の、シェイクスピアを観劇する観客にありがちな「身構え」を払しょくする痛快さを感じた。


その西が、今回立てた課題は「せりふの発語と速度のコントロール」。俳優が、シェイクスピアのテキストを操ることができる呼吸や身体を、獲得するための方法を模索する稽古を重ねて来たという。リーディングから少し顔ぶれの変わった6人の俳優は、全て新国立劇場演劇研修所の修了生だ。


稽古場に三々五々散った俳優たちが、戯曲冒頭のリチャードの長いモノローグを語ることから試演は始まった。


俳優たちは一人一人、それぞれの速度と言葉の切り方でモノローグを語る。そこに乗せられる感情やテンションも異なり、あるテーマを奏法やアレンジを変えて演奏する音楽のようでもあり、装飾的なせりふの裏にあるリチャードの生々しい感情が立ち上がるように感じられた。


他にもシーンを変えながら、「リチャードのせりふを二人一役で発語する」「漫才のように掛け合いで会話を紡ぐ」「会話の途中で演じる役を入れ替える」など、思いもよらぬスタイルでの言葉の応酬が飛び交い、ギャラリーはその度に息を詰めたりニヤニヤしたりと、断片を見ているだけにも関わらず、明らかに感情を揺さぶられている様子だった。


圧巻は終幕近く、戦闘前夜にリチャードの夢枕に立って悪夢をもたらす亡霊たちの場面。俳優は横一列に並び、正面を向いたままリチャードへの呪詛とリッチモンドへの祝福を一語一語たっぷりと間を取りながら、見えるもののように眼前に置いていく。身体の動きはほぼないが、取り分け劇的にテキストが立ち上がる瞬間を目撃させられた。続く、リッチモンドの自軍の兵士に対する訓示を西自身が読み、この日の試演は終了となった。


続けて小川絵梨子芸術監督や劇場スタッフと、西チーム全員とで意見交換の時間に。「俳優たちは"時間を感じながらせりふを喋る"ことを実践している。日本でのシェイクスピア上演が抱える<課題>に取り組む最前線がここにある、と自負している」「リーディングに続け、女優にリチャード役を多く委ねているのは"ヒールを履いた女性が世を呪い、男たちをなぎ倒すイメージ"が自分の中にあったから。古典劇の中の、女性の存在感の薄さに対するアンチテーゼ」など、西から取り組みの意図なども語られる。また次回は、「発語時の身体の状態、動きとせりふの関係性の追及」に取り組むとのこと。歩みを進めるごとに、戯曲の新たな側面を見せてくれる西演出の次の一手に期待が高まる。

(試演会リポート 尾上そら)

プロジェクト・レポート:西沢栄治『あーぶくたった、にいたった』1st Trial

1st Trialでの目的・意図

リーディング公演として一つの形を見せた『あーぶくたった、にいたった』という戯曲を肉体化、より強度を上げる。今回は「住まう」ことと「におい」というワードに着目し、戯曲を抜粋、1場・4場・5場・6場・10場を上演した。

取組み

上演戯曲の理解を深めるために、参考となる他の別役作品を探した結果、「住まう」ことへの挑戦と執着する男の顛末を描いた『風のセールスマン』と、『あーぶく~』の最終景を発展させた形に読み取れた『この道はいつか来た道』をピックアップ、新たに本読みした。『この道はいつか来た道』のモチーフは『あーぶく~』に似ているがテーマが違うことに気づき、結果的には上演に反映されなかった。『風のセールスマン』は、『あーぶく』に潜在しているテーマを浮き彫りにさせるため、今回の上演に一部折りこんだ。リーディングにおいては「小市民」そのものを描いてみようとする試みだったが、ファーストの稽古で実際に動いてみたところ、実は「小市民」という実体はなく、ただただ「小市民」たらんとする人間の健気な努力だったり、あるいは、たらんとする振る舞いがあるだけではないだろうかということに、思い至った。

試演会リポート

3月のリーディング時点で、最も「観客に見せること」を意識した上演を行ったのが西沢栄治演出による『あーぶくたった、にいたった』だろう。日本の不条理劇のオーソリティ・別役実による今作は1976年初演。婚礼らしい情景を幕開きに、夫婦となったとおぼしき男と女が、まだ生まれてもいない我が子の成長について、互いで増幅し合うように膨らませていく"もしも"の話が主軸となる。


舞台中央には金屏風。あとは場面ごとに椅子の配置などで情景を変えるシンプルな演出と、男女2人ずつ4人の俳優による確かな発語が、会話を重ね、積み上げた言葉だけで日常という現実の足元を崩し、世界を反転させる別役戯曲の怖さを舞台に現出させる。物語をけん引する男1と女1を演じた佐野陽一、浅野令子が醸す明るいユーモアと、夫婦の会話のシリアスさとに生じる絶妙なギャップも味わいどころだった。


続く最初の試演で西沢が取り組んだのは「戯曲のさらなる肉体化と、表現の強度を上げる」こと。演者は佐野、浅野とリーディングで男2を演じた龍昇の3人で、『あーぶくたった~』から抜粋した数場と、その合間に、今作と類似性を持つ別役作品として西沢が見出した一人芝居『風のセールスマン』の一節を織り込んだ構成で試演を行った。


『風のセールスマン』は2009年、柄本明の一人芝居として別役が書き下ろした戯曲。水虫防止付靴底シートを売り歩くセールスマンの自嘲的な独白が、養子である子どもの死や妻の自殺など深刻な事情へと転じ、ついには主人公の存在をも不確かなものにしていく。


稽古場の背景には脚立を支柱にして万国旗が下げられ、上手寄りに一畳ほどの敷物を敷いたスペース。試演は全10場のうち1、4、5、6、10の5つの場を上演し、狭間に龍が演じる『~セールスマン』の一節を差し込むという構成だ。


台詞が入っているらしい佐野と浅野は台本を持たず、演出家の合図でフワリと戯曲の世界に移行した。


夕方の、人々が去った後に吹く風。そんな茫漠とした場所で、自分たちの将来に悲観的な想像を繰り広げる男女。ご近所づきあい、節約、子どもの成長など観客にも繋がる市井の生活、それらを語るせりふのリアルさが格段に増していた。作品世界の条理・不条理に関わりなく、舞台に登場人物たちが確かに存在することがまず提示されたことで、せりふに宿るユーモアと狂気が際立って来る。龍のチャーミングな演技は、作品を必要以上に重い空気にせぬためのセーフティネットだ。抜粋上演にも関わらず、俳優たちの強度を増した演技により戯曲の世界観や作家の文体は、リーディングよりも色濃く伝わって来るようだった。


1時間ほどの上演の後は小川絵梨子芸術監督を含む、劇場関係者との意見交換。「戯曲が腑に落ちた」「作品の面白さに気づかされた」など、<不条理劇=わからない>という図式を覆す作品への理解と納得を、参加者が共有できていることが感想に表れていた。「こういう戯曲をフンイキでつくったら、作家の意図を取りこぼしてしまう。でもこの試演は登場人物が心と心で繋がっていることがきちんとわかり、意味を越えた真摯な感動が感じられる」とは小川の弁。


回を重ねるごとに確実に精度を増すカンパニーの表現、その先に見えるだろう戯曲の本質はきっと、別役戯曲の新たな魅力を示してくれる予感がした。

(試演会リポート 尾上そら)

プロジェクト・レポート:大澤 遊『スペインの戯曲』1st Trial

1st Trialでの目的・意図

台本の精度を上げること―リーディング公演を経て、これが以降の最も大きな課題として挙がった。言葉数が多いフランス語を耳で聞いて捉えやすい日本語にすることを主眼に、稽古開始前に翻訳家と演出家で言葉を練り直して新たな台本を作成。1st試演会では、この新台本を俳優とともに再度検証し、演じ手と観客の双方にとって違和感なく通る台詞を探る。

取組み

稽古では、練り直した台本を俳優の体を通して検証することで、さらに生きた台詞にブラッシュアップすることをメインとした。同時に、リーディングではやりきれなかった"役を深める"作業を進めた。6日間ほど綿密なテーブルワークをし、キャラクターについての共通認識を得、その後台本を持ちつつの立ち稽古へ移行し、役同士の距離感や関係性の具体化を目指した。なお、この作品は「スペインの戯曲」という家族劇と、俳優自身の「モノローグ」のミルフィーユ構造になっているが、1st試演会では特に「スペインの戯曲」部に焦点を当てて取り組んだ。

試演会リポート

舞台上にあるのは登場人物5人が座る人数分の椅子と、その少し前・中心の位置に据えられたスタンドマイク。俳優は自身のせりふを語る出番ごとに、かわるがわるエリアを区切るようにスポットに照らされたマイクの前に出て、発語する。リーディングの、王道スタイルで3月の公演に臨んだのが大澤遊『スペインの戯曲』チームだ。

作者ヤスミナ・レザ(フランス)の作品は、近年日本での上演機会がとみに増えている印象があるが、今作はその中でも「スペインの戯曲本編」「それを演じる素の俳優たち」の2層に加え、「『スペインの戯曲』内で語られる『ブルガリアの戯曲』」というパートも存在し、交錯する、なかなかに手強い作品と言えるだろう。

その"手強さ"への取り組みとして、最初に大澤が掲げたのが「台本の精査」だ。翻訳を手掛けた穴澤万里子明治学院大学教授の協力を仰ぎ、日本語よりも格段に言葉数の多いフランス語の戯曲を、日本人の耳で捉えやすいものとするための吟味が試演に先駆けて行われたという。

その台本をもとに、俳優たちとは各役のキャラクターについて掘り下げる話し合いを実施。パッとしない舞台女優の姉、映画スターの妹、姉の夫の数学教師、姉妹の母とその恋人の不動産業者ら5人の登場人物を、「各俳優個人から見たキャラクター」と「自身の役から見たキャラクター」の二視点から検討し、そこから出た各人の意見をカンパニー内で共有する。人物の内面に関する分析の箇条書きが稽古場の壁に貼られ、いつでも確認可能な状態になっていた。

1stで取り上げられたのは「スペインの戯曲」を中心としたシーン。母が娘たちである姉の夫婦と妹を招き、再婚相手となる不動産業者を交えたティー・パーティが主たる場面だ。もちろん、折々にそれらの役を演じる俳優自身のモノローグも挟み込まれる。二層の往還は観客にはもちろん、演じる俳優にもメリハリのつけどころが難しいものだが、整理された戯曲の言葉によるものか、せりふがより"立っている"と感じられる。そのため、発語するキャラクターの輪郭もクリアになり、5人の登場人物たちが互いに抱く不満や怒り、そこから立ち上がるストレスの連鎖が、3月の上演よりも、さらに生々しくかつ滑稽に感じられるようになっていた。

馬鹿馬鹿しいほど直截にぶつかり合う、いい大人たちの不格好なやりとりと、それを演じる俳優たちの、一見深く想いを巡らしているようでいて実はひどく偏ってエゴイスティックな作家や演出家に対するモノローグ。両者のギャップと共通項を、観客自身にも重ねて見せてしまう構造が作品の肝ではないかと思い至らされた。

終了後の意見交換には俳優も参加。目標だったキャラクターの掘り下げと確立に高評価が相次いだ。俳優たちからも、訳の精査がもたらす有効性について言及があり、翻訳劇だからこその時間のかけ方、かけるべき作業について言及する場面も。小川芸術監督からは「翻訳から問い直し、創作の手数を重ねた分だけ活き活きする俳優の表現が魅力的だった。だからこそ、戯曲のモーメントをさらに細かくピックアップし、"笑い"を立てるなどできると、見え方がさらに変わるのでは」とのアドバイス。

この稽古場の壁の、俳優たちが正面に向かい合う場所にはもう一つ貼り紙があり、そこには「前へ」と大きく書かれていた。チームの標語だろう言葉通り、今回のステップを踏まえて前進する『スペインの戯曲』、その変貌を心待ちにしたい。

(試演会リポート 尾上そら)