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1928年にベルリンで初演の幕を開けた『三文オペラ』は、その4年後に『乞食芝居』という題名で日本で上演されました。当時はまだ翻訳台本もなく、千田是也氏がドイツで見てきた上演の記憶をもとに、映画のシナリオを参照しながら再現したとされています。この芝居が、いかに千田是也氏の目に鮮烈に焼き付き、当時の日本での上演を急ぐ情熱を駆り立てたか……。
─まさに、「JAPAN MEETS… ─現代劇の系譜をひもとく─」をそのまま実現したかのような逸話です。ジョン・ゲイの『乞食オペラ』をもとに、元々はドイツのキャバレーの芸人たちを集めて上演されたこの芝居は、多様な音楽様式と軽妙なドラマで構成されています。それが、終景の大ドンデン返しによって、享楽的な「ヒーロー一代記」から、巨大な社会構造への抵抗へと姿を変えていき、更にはそれすらシニカルに客観視する、桁ハズレの底力を見せます。若きブレヒトとヴァイルが、あり余るエネルギーをぶつけて作り上げた『三文オペラ』を、その娯楽性とメッセージ性を柱にして、挑みたいと思います。
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新国立劇場では、2005年に「日本におけるドイツ年」の一環として、栗山民也演出、大竹しのぶ主演で、『母・肝っ玉とその子供たち』の新訳を担当させていただいた。さて今回は、宮田慶子さん演出の『三文オペラ』である。宮田さんは「音楽に寄った音楽劇」というよりは「芝居に寄った音楽劇」を目指したい、と言われる。芝居とオペラと音楽劇。どんな配役になるのだろう。実はひそかに、『三文オペラ』は女たちの芝居ではないかとも思っている。男と女。如何にもメッキースだけが超主役の芝居に見えるが、女たちも実に生き生きと元気はつらつで強い。その女たちが裏切られても惚れて追っ掛けるのが、メッキースだ。気障なダンディで、マッチョなやくざ者。男たちは資本主義の屋台骨を表裏両面で抜け目なくしたたかに支えているかに見えて、実はけっこうドジで間抜けで、ピーチャム夫人やポリーやルーシー、娼婦のジェニーなど女に頼り切ってコミカルな可愛い気もある。ブラウンもピーチャムも。乞食たちも泥棒たちも。
ただし「大企業の背後には銀行が控えている。銀行強盗に使う合鍵など、銀行の株券に比べれば何ほどのものでありましょうか」─半沢直樹のようなリアルな啖呵を切って社会の本質を暴露するのはしかし、男のメッキースだ。ヴァイル作曲の音楽も娯しい。したたかな社会風刺の娯楽劇。さまざまなイメージを膨らませる起爆力をもったこの作品が、宮田演出でどう舞台に立ちあがっていくのか、楽しみにしたい。