オペラ公演関連ニュース
【インタビュー】『ピーター・グライムズ』演出 ロバート・カーセン(La Scala-Magazineより)
コミュニティから孤立したスケープゴート――演出家ロバート・カーセンは主人公ピーター・グライムズをこう解釈している。その物語は、「異質」と見なされた人々に対して社会がどう振る舞うかを浮き彫りにする。
作曲家ブリテンの名を、第二次世界大戦後の惨禍から抜け出そうとしていたヨーロッパに知らしめた傑作舞台作品――『ピーター・グライムズ』――で、ベンジャミン・ブリテンが描いたのは、排除された者、社会から疎外された者たちであった。カーセンにとって、ブリテンがこの「破滅した」人物――孤独で暴力的な漁師――に共感を抱いていることは疑いようがない。このカナダ人演出家は、グライムズを愛したい、あるいは少なくとも理解したいと願っているのだ。
(聞き手・文 マッティア・パルマ、日本語訳 鉢村優)
疎外された者、グライムズ
―グライムズの何が異質なのでしょう? なぜ村人全員が彼を拒絶するのでしょうか。
カーセン その理由が明らかでないことが重要です。原作であるジョージ・クラブによる詩『町(The Borough)』では、グライムズが罪を犯していることは明らかです。しかしブリテンと台本作家モンタギュー・スレーターは、テキストを改変しました。「罪を犯したから拒絶される」という論理は、オペラ『ピーター・グライムズ』には当てはまりません。グライムズは本当に罪を犯したのか――ブリテンとスレーターは、あえてそれを明確にしませんでした。村人たちはグライムズを理解せず、グライムズの方でも、理解してもらおうと努力することは決してない。村人たちの敵意が強まるほどグライムズは心を閉ざし、彼らと関わろうとしなくなるのです。ある集団にとって、自分たちに馴染まない者を孤立させるのはまったく簡単なことです。ヴェルディやヤナーチェク、そしてもちろんブリテンなど、多くのオペラがこのテーマを扱っています。とくにブリテンは、たびたび「異質な存在」に焦点を当てています。
―作曲家の人生を念頭に置かれていますか? とくに、彼の性的指向について。
カーセン もちろんです。米国で『ピーター・グライムズ』を書いていた頃、これはブリテンにとって非常に困難な問題でした。たとえば(当時の友人である)詩人のウィスタン・ヒュー・オーデンが経験したこととは対照的でしょう。
それだけではありません。彼が芸術家として歩み始めた頃、イギリス社会は彼に好意的ではありませんでした。平和主義者であったブリテンは、戦時中には激しい批判にもさらされます。要するに、ブリテンは必ずしも誤解されていたわけではありませんが、間違いなく、十分には理解されていなかったのです。そのことが彼をグライムズのような人物へと駆り立てたのかもしれません。
―グライムズに罪はない、とあなたは解釈していますね。
カーセン 弟子の少年を死なせたことに責任はありません。しかし、グライムズが弟子に対して思いやりがあったともいえません。彼はぼろぼろになるまで弟子を働かせ、殴りもしますが、殺人者でもペドフィリア(小児性愛性)でもない。ブリテンはそういう方向に話を進めたくなかったのです。それでも村人たちは、二人の少年がグライムズのもとで働いていた時に亡くなったことを理由に、彼を恐れるべきだと決めつける。たしかに彼らの見方も理解できますが、グライムズの無実については明確にしておかなければなりません。
―しかし、たしかに暴力はある。エレンは幼いジョンの首に青あざを見つけますが、それはグライムズによるものでした。
カーセン グライムズは弟子が間違えると手を挙げます。自分の気持ちをうまく表現できないせいで、応答が身体的なものばかりになってしまうのです。グライムズも明らかに、子供のころ同じように扱われていたと思います。私たちはいつも、幼い頃に虐待を受けた人々が、大人になってその暴力を再現していることに衝撃を受けます。暴力のループは頻繁に起こっているのです。この「繰り返したい」という衝動を、どうすれば説明できるのでしょうか。精神分析学では、人間は常に自分が知っているものに戻り、慣れ親しんだものを再現するのだといいます。
―つまり、何も変わらないのですね。
カーセン 親に苦しめられた人々について考えるとき、フィリップ・ラーキンの詩『This Be The Verse』が思い浮かびます。この詩は「親は君をめちゃくちゃにする」と始まり、「だが、彼ら自身もまた、めちゃくちゃにされていたのだ」と続きます。
―グライムズは孤立から狂気に陥る......そこで思い浮かぶのは、また別の20世紀の傑作オペラです。アルバン・ベルクの『ヴォツェック』。あなたは数年前にアン・デア・ウィーン劇場で演出されていますね。
カーセン 『ヴォツェック』がなければ、ブリテンは『ピーター・グライムズ』を作曲しなかったかもしれません。とはいえヴォツェックの他者との関係性は、グライムズとは異なります。ヴォツェックは、あえて言うなら、はじめから狂っています。しかしピーター・グライムズが狂気に陥るのは物語の終盤になってからです。このオペラの真のドラマは、グライムズが本心では「何事もうまくやりたい」と願っている点にあると思います。教師のエレンと結婚し、世間的に成功したいと願い――そうできるはずだと思い込んでいるのです。自分が実際には何をしているのか分からずに。
―つまり狂気こそ、グライムズが望む安息の「港」なのでしょうか。
カーセン そういう面はあると思います。たとえグライムズが、安らぎは他人から受ける尊敬にあり、それが世間的な成功とお金によってのみ得られると信じていても。しかし安らぎが訪れるのは、彼が闘うのをやめたときだけです。こうしたことは、この貧しく孤立した漁師町に限ったことではなく、普遍的なものでしょう。私たちはみな、他人から好かれ、社会の一員でありたいと願っています。しかし残念ながら、それが常に叶うとは限りません。誤解され、拒絶されていると感じることもあります。いま世界で、疎外はますます蔓延しています。人々には時間がなく、また関心もないのです。
―エレンとバルストロードはグライムズに関心を寄せているように見えます。
カーセン エレンはすぐにグライムズの味方になり、彼を助けようとします。しかし2人目の弟子ジョンも亡くなっていたことを知り、衝撃を受けます。同じことが繰り返された。しかも、新しい弟子を連れて来たのはエレン自身だったのです。このオペラでは「必ずうまくいく」と思っている人々が、避けようもなく失敗してしまう姿が繰り返されます。
このプロダクションでは、バルストロードを実業家だと捉えています。漁師たちはみな彼のために働き、「オールド・ジョー」という歌に歌われている通りのこと――魚を釣り、内臓を取り、包んで売る。これらはすべて舞台上で演じられます。バルストロードは漁師たちに報酬を支払っていますが、これこそ、グライムズがあれほどお金について語る理由です。グライムズは友達がどんなに稼いでいるか目の当たりにしているのです。バルストロードは村の皆に仲良くしてほしい。さもなければ商売がうまくいかなくなるからです。彼がグライムズを助けるのは、キリスト教的な利他主義からではなく、仕事のために他なりません。劇中でパブの女将が、「お酒を売らなきゃいけないから」という理由でどちらの肩も持とうとしないのと同じことです。
―バルストロードは、船を沖へ出して沈めるようグライムズにすすめます。つまり彼はグライムズを自殺に追い込んだ。これについてどうお考えですか?
カーセン バルストロードはその瞬間、グライムズに対する群衆の憎しみが極限に達し、間違いなく彼をリンチするだろうと悟ったのです。逆説的ではありますが、唯一の逃げ道は自ら溺死することだったのです。
―海について。このオペラで海は何を象徴しているのでしょうか?
カーセン 海は過酷で予測不可能な環境です。漁師たちのコミュニティをめぐる海の傑作オペラにはもうひとつ、ヴォーン・ウィリアムズの『海へ騎りゆく者たちRiders to the Sea』があります。ここでも、『ピーター・グライムズ』と同様に、海は生計を立てる手段を人々に与える一方で、突然の喪失や悲劇にも追い込みます。生き延びる唯一の方法は、自分一人ではどうにもならないと悟ることです。誰もが何かの形で助けを必要としています。しかし、グライムズは常に孤独です。彼は他の人々と協力せず、他の人々も彼と協力しようとはしないのです。
―海には比喩的な意味もあるのですか?
カーセン 海は波、風、嵐といった移り変わる自然の姿をイメージさせます。これはグライムズの内面、つまり彼の頭や心の中に対応しているでしょう。そのため、あまり説明的な演出にならないよう心がけています。舞台はすでに登場人物たちのナラティブで充満しているからです。そこから、やがてグライムズと彼の思考だけが残る。物語を動かすすべてのエネルギーが突然、たった一人の男に集中することになるのです。
彼は時に支離滅裂な表現をします。字幕の翻訳がどうなるのか、とても気になります。はっきりしないものを訳すのは非常に難しいことです。ふつう翻訳とはテキストに意味を持たせるものです。では、テキストから意味を引き出せないとしたら?
―舞台美術にはどんな見どころがありますか?
カーセン このオペラは村の公会堂での尋問の場面から始まります。今回のプロダクションでは本物の法廷のようなデザインで、これが間奏曲の間に変化していきます。法廷はだんだんと変貌を遂げるものの、依然としてもとの形が認識できる。まるでグライムズの裁判が絶え間なく続いているかのようです。
「異質な者」への社会の態度には循環的な性質があります。糾弾するための新たな"ピーター・グライムズ"を、社会は日々生み出しているのです。
- 新国立劇場HOME
- オペラ公演関連ニュース
-
【インタビュー】『ピーター・グライムズ』演出 ロバート・カーセン(La Scala-Magazineより)
