オペラ公演関連ニュース
【インタビュー】『ピーター・グライムズ』タイトルロール ブランドン・ジョヴァノヴィッチ
インタビュー・文●高坂はる香〈音楽ライター〉
イギリスの漁村を舞台に、孤独な漁師が徒弟の少年殺害の疑惑をかけられ、追い詰められていく悲劇を描いた、『ピーター・グライムズ』。ロバート・カーセン演出により2023年にミラノ・スカラ座で初演されたプロダクションでタイトルロールを担い、絶賛されたブランドン・ジョヴァノヴィッチが初来日し、新国立劇場での上演で再びグライムズ役を歌う。
演出と音楽の効果を両立させたプロダクション
──テノールは英雄的な役柄も多いですし、ジョヴァノヴィッチさんにとってグライムズのようなキャラクターを演じることは、やはり珍しいのでしょうか?
ジョヴァノヴィッチ そうですね、珍しいですし、非常に難しいです。グライムズはぶっきらぼうで荒々しい性格なうえ、自分が常に人から攻撃を受け、"誰かの親指の下で押さえつけられている"ような感覚を持っています。グライムズを演じながら自らその感情を持ち、みなさんと共有することは、簡単ではありません。
彼は周囲から嫌われてばかりに見えますが、実際は心に空いた穴を埋めようと努力し、自分は愛されるに値するのだと社会に訴え続けている人です。しかし彼自身の性格がその実現を妨げ、物語に深いダイナミクスを生み出します。
ロバート・カーセンの演出では、ステージ上に私の目元が大きく映し出され、その下で人々が動いていることにより、観る人に、怒りや恐怖を抱くグライムズの頭の中に入り込んだかのような感覚をもたらします。効果的な空間の使い方により、逃げ場のなさも伝えます。
そのうえ歌手たちが無理のない動きの中で歌える、音楽を尊重した演出です。スカラ座での初演の際、ロバートと指揮者のシモーネ・ヤングは、演出と音楽の効果をどう両立させるか、綿密に話し合いをしていました。おかげで、このバランスの良いプロダクションが完成したのだと思います。
愛を望みながら悲劇へと向かうグライムズの叫び
──グライムズの歌唱は、ブリテンが親密だった歌手のピーター・ピアーズを想定して書かれています。ご自身の声とこの役柄の相性について、どう感じていますか?
ジョヴァノヴィッチ ピアーズは、私とは全く違うタイプのテノールです。私の声はとても特徴的だと自分で思っています。ただ、自ら認識しているものと聞こえてくるものが別物のように感じることも多いのです。鏡で自分の姿を見て驚くことがあるのと同じような感覚だと思います。
20年以上一緒に仕事をしている声楽のコーチが、あるとき「君の声は、音そのものに悲しみを帯びた重さがある」と言いました。私自身はとても社交的でハッピーな性格なので意外だったのですが、実際に私の声は彼の言う通りの印象を与えるようです。歌うと本来の性格と真逆になると言うことが、自分でも本当に不思議でした。
オペラの終盤、少年が死んでしまう前のシーンで、グライムズは、自分の夢について語り、少年もその夢の中に含まれていると伝えるべく、「君は僕の息子になるんだ。家族になるんだ」と言います。しかしその後、夢が目前に迫ったところで再び悲劇が襲う場面は、胸が締めつけられるようです。
この感情のジェットコースター、社会に対する映し鏡のように彼が見せる感情の動きを表現できる声こそが、グライムズには合っていると思います。
グライムズは常に心に重荷を抱えている人でした。愛を望みながらも、彼は彼であるがゆえに傷つき、救われることがありません。彼が実在の人物だとしたら、私とは正反対です! でも声の面では合っているようです。
──ジョヴァノヴィッチさんにとって、母国語の英語で歌える数少ない作品でもありますね。
ジョヴァノヴィッチ 英語で歌う機会はあまりないので、とても嬉しいです! ただ、台詞の流れこそがオペラの真の美しさだと考えると、イタリア語やフランス語のように音楽的な美しさのある言語ではないので、その意味ではとても難しいですね。滑らかに流れない母音や子音が多いので、単語を理解させつつ台詞の良い流れをつくるのは簡単ではありません。
── 作品に入り込んで感情的になっているときでも、技術的に安定させて冷静に表現する精神的なバランスを保つことが必要になると思います。自らの体が楽器である分、声楽家は、それが特に大変そうですね。
ジョヴァノヴィッチ まさにそれこそがオペラを歌う上で最も難しい点の一つです。そのバランスを見つけられない歌い手の表現は、退屈に感じることが多いのではないでしょうか。
私は演技も勉強したので、その中でこの技術をある程度身につけ、さらに経験を積むことで上達していったと感じています。まるでサーカスの綱渡りのように、繊細なバランスを保ちながら歩けるようになっていったのです。
──子供の頃、お母様の弾くピアノに合わせて歌うようになったのが、音楽との出会いだそうですね。
ジョヴァノヴィッチ はい、母は決してピアノが上手だったわけではないのですが、簡単なコードを弾いて子供たちと一緒に歌うことを心から楽しんでいました。私はそうして知らないうちに声を鍛えていたようです。その後、10歳の頃からやっていたアメリカン・フットボールで奨学金を得て、ノースダコタの大学に入りましたが、寒いのが嫌で(笑)、暖かい地域の大学に移りたいと思いました。希望したアリゾナの大学ではアメフトで奨学金が出なかったので、自分の歌のビデオを提出したところ、奨学金を得られて大学の合唱団で歌うことになりました。これが声楽の道への第一歩です。数年後、役者の勉強に転向し、こちらで学位をとりました。
その後、ニューヨークのオフ・ブロードウェイで舞台に立っていたのですが、仲間たちからしょっちゅう「君は声が大きい」「声量がすごい!」と言われていました。するとある時、友人の一人が「君は絶対にオペラに行くべきだ」と言い出したことで、オペラの道に進みました。彼がそう言い出さなければ、今はありませんでしたね!
物語が提示するのは いまも変わらない社会の真実
──最後に、今の時代にこの『ピーター・グライムズ』の物語からどんなことを感じてほしいでしょうか。
ジョヴァノヴィッチ この物語は、社会や群衆というものが、異質なものやアウトサイダーをなかなか受け入れられない現実を描いています。そして結果的に悲劇が起きますが、そんなことがあっても、時が経てば何事もなかったかのようにまた元の生活が始まります。誰も何も学んでいません。
これは、私たちの現実を映し出す鏡のように感じられるかもしれません。例えばアメリカでも、学校での銃乱射事件がたびたび起きるというのに、それに対処する法律は生まれません。これはほんの一例です。戦争や飢餓も同様で、こうした悲劇は繰り返されます。
この作品を見ることが、みなさん一人ひとりにとって、社会の中に起きる不都合な真実に向き合うきっかけになってくれたらと思います。
そして、今回の舞台で、初めて日本の観客の皆様にお目にかかれることを楽しみにしています!
Brandon JOVANOVICH(ブランドン・ジョヴァノヴィッチ)
世界の主要歌劇場を舞台に、フランス・オペラ、イタリア・オペラ、ドイツ・オペラ、スラヴ語圏のオペラで活躍するテノール。これまでのハイライトに、オランダ国立オペラ『道化師』カニオ、ベルリン州立歌劇場『サムソンとデリラ』サムソン、シカゴ・リリック・オペラ『蝶々夫人』ピンカートン、ウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座『トロイ人』エネー、ウィーン国立歌劇場『フィデリオ』フロレスタン、『ルサルカ』王子、ベルリン・ドイツ・オペラ『パルジファル』タイトルロール、ウィーン国立歌劇場、ロサンゼルス・オペラ『カルメン』ドン・ホセ、『ムツェンスク郡のマクベス夫人』セルゲイ、メトロポリタン歌劇場『ルサルカ』王子、サンフランシスコ・オペラ、パリ・オペラ座『ニュルンベルクのマイスタージンガー』ヴァルター、チューリヒ歌劇場『ローエングリン』タイトルロールなどがある。最近では、メトロポリタン歌劇場『ナクソス島のアリアドネ』バッカス、『ムツェンスク郡のマクベス夫人』セルゲイ、『白鯨』エイハブ船長、英国ロイヤルオペラ『ローエングリン』タイトルロール、ベルリン・ドイツ・オペラ『ワルキューレ』ジークムント、ウィーン国立歌劇場『パルジファル』タイトルロール、『フィデリオ』フロレスタン、ミラノ・スカラ座『ピーター・グライムズ』タイトルロール、バイエルン州立歌劇場『スペードの女王』ゲルマンなどに出演。新国立劇場初登場。
- 新国立劇場HOME
- オペラ公演関連ニュース
-
【インタビュー】『ピーター・グライムズ』タイトルロール ブランドン・ジョヴァノヴィッチ
